トピックス

2022.12.08

 令和4年10月27日教養センターにて鎌倉ガイド協会ガイドの島田信夫氏に講演して頂きました。講演を拝聴して、私共が日頃ガイドをしている基本、ガイドのツボを披露して頂いたという感想でした。
 基本資料としてガイドの研修で使った「かまくらこども風土記」、「としよりのはなし」、鎌倉の史話、説話、言い伝え、夢のお告げ、謡曲、江戸文学、歌舞伎など作者によって脚色されたもの、またガイドやバスガイドによる脚色が一人歩きしてお客さまに広がっていったものもガイドのネタになっています。それがお客様に楽しんで頂けるのであれば史実とは異なっていてもよしとしています。
 11月10日、本講座を元に鶴岡八幡宮~小町地区の散策を島田ガイド、横山ガイド、高橋ガイドの3名で催行されました。当日参加されたお客様は20名でした。

 

【コース】鎌倉駅西口時計台広場~本覚寺~大巧寺~若宮大路(段葛)~鶴岡八幡宮~東勝寺橋~妙隆寺
~二の鳥居前

若宮大路(段葛)・・・・悠久の歴史への参詣道・・・・「夢のお告げ」
 若宮大路は京都の朱雀大路に倣って造られたと言われているが三つの鳥居を有する点は朱雀大路と異なる。三つの鳥居の造り替えは江戸幕府二代将軍徳川秀忠の夫人崇源院(お江の方)の願いと伝えられている。崇源院の夢の中に八幡神が現れ、「備前国犬島の奇岩をもって鶴岡八幡宮の鳥居を造立せよ」というお告げがあったという。大工事の上、遠くから石を運ばなくてはならなかったことから4代・家綱の代になって完成したといわれる。

本覚寺・・・・日朝さま・・・・「としよりのはなし」
 日朝上人は本覚寺の二代目住職となったが、間もなく身延山の貫主になった。そこで本覚寺に日蓮の骨を分けて「東身延」と呼び、身延山に遠い人の便宜をはかった。また「日朝さま」は目を直す寺として知られている。鎌倉市教育委員会編「としよりのはなし」に、『本覚寺の三世になられた蓮昭坊日耀というかたが、寛正元年(1460)師の御坊日朝上人の像をつくって当時、身延におられた日朝上人のもとにもっていってお目にかけた。日朝上人は「この像を寺にもって帰って、自分と思って供養するが良い。自分はこのごろ目の不自由なことの悩みを痛切に感じるのでそういう人たちのためになりたい」とさとされた。そんなことから眼の悪い人が日朝上人の像に願をかけるようになった』と記されている。

大巧寺・・・・おんめさま・・・・「言い伝え」
 大巧寺は、もと十二所にあり、大行寺と言った。源頼朝がこの寺で軍評を行い大勝したことから大巧寺と改名させた。本堂には産女霊神や日蓮聖人像が祀られる。産女(うぶめ)霊神は、天文年間(1532~1554)当時の住職が難産で死んだ産婦の霊魂を鎮め、安産の神として祀ったことから、「おんめさま」とよばれ、安産を願う人たちから信仰される。

☆鶴岡八幡宮☆・・・・歴史に残る人間ドラマの舞台
 康平六年(1063)源頼朝の五代前の源頼義が京都の石清水八幡宮を勧請して、鎌倉の由比郷に祀った。その後、治承四年(1180)、頼朝が鎌倉に入った時これを小林郷の北の山に移した。しかし建久二年(1191)に火災で焼けてしまったため、後ろの大臣山にあった稲荷社を隣に移し、その跡に社殿を勧請した。これが本宮(上宮)の起こりで、若宮・本宮からなる鶴岡八幡宮の原型ができた。

大イチョウと実朝
 「吾妻鏡」の記述によると承久元年(1219)正月二十七日、『八幡宮の石の階の際』にて甥の公暁が切りつけ、実朝の首をとって逃げたと書かれている。大イチョウの樹は「公暁の隠れイチョウ」と伝えられているが、惨劇を伝える資料には「イチョウの木」の記述はなく、江戸時代に創作された伝説といわれる。昨今ではバスガイドによる小学生向けガイドで広まった本宮への階段13段目で殺されたということが一人歩きしているようだ。

 

筋替橋辺り・・・・「としよりのはなし」
 『西御門から県道に出るには、いまでは国大付属小・中学校の敷地に沿って曲がっていくようになっているが、以前はそうではなかった。(略)まえには筋替橋からまっすぐに川が上の方へ続いていて、右側は畑だった。そこへ師範学校の寄宿舎ができたんで、県道から入って右へ曲がり、また左へ曲がって西御門へ入るようになっちまった』と記されている。

妙隆寺・・・・鍋かむり日親・・・・「寺伝」
 妙隆寺あたりは、鎌倉時代の有力な御家人であった千葉常胤の子孫胤貞の屋敷があったところと伝えられている。寺伝によると至徳二年(1385)日英上人を迎えて寺が建立されたと伝えられる。日親上人は室町幕府の六代将軍足利義教に「立正治国論」という意見書を出し、政治の悪いやり方を直させようとしたが、捕らえられて数々の拷問を受けた。その最後に、焼けた鍋を頭にかぶせられるという刑を受けたという。しかし、それでも熱心に教えを広めたといわれ、そして、「鍋かむり日親」という名を残した。本堂の手前に、鎌倉・江の島七福神の一つである寿老人をまつるお堂がある。寿老人は人々の安全と健康を守る長寿の福の神。

 

お客様は熱心に聞かれ、楽しんで頂けたようでした。≪広報 モリ≫

 

     11月10日 島田ガイド        若宮大路にて 

   横山ガイド、島田ガイド、高橋總ガイド    二の鳥居前にて


2022.12.08

当コース「再考!北条義時と鎌倉幕府」はおかげ様で両日とも満員御礼となりました。お申込みをお受けした皆様、当日のお越しをお待ちしております。
特別展を観覧する鎌倉国宝館と鎌倉歴史文化交流館では、以下をご持参頂くと入館料の割引があります。
★鎌倉市民の方∶
市内在住であることを証明するもの(免許証、保険証など)
★大河ドラマ館に入館したことのある方∶
大河ドラマ館パンフレット(裏面の鎌倉国宝館、鎌倉歴史文化交流館の入場券を未使用の場合)
宜しくお願い致します。


2022.12.06

3000人目久保田ご夫婦と鎌倉ガイド協会石渡会長


12月3日土曜、3000人目のご参加者を迎えた。3月26日開始より84日目である。
1000人目が6月26日。2000人目が10月16日。 ドラマの人気に合わせるように、10月ツアー参加者1日平均57.2人。11月間ツアー1日平均60.8人。12月に入り65人と、盛況であった。
3000人目の参加者は、茅ケ崎市から70歳代の久保田様ご夫妻。以前鎌倉にお住まいで、「ドラマ館ツアーでは、永福寺跡で青春の思い出がよみがえり、また、今日のイベントは本当にうれしい。これを機に、史跡めぐりにもどんどん参加します。」とのお言葉を頂いた。
鎌倉ガイド協会石渡会長・大河ドラマPT後藤リーダー・鎌倉市大河ドラマ担当門田係長ご臨席のもと、記念品授与・イベント記念撮影の後、岩田ガイドに率いられて、覚園寺を目指し義時コースに出発した。当日ツアーガイド担当の1班の皆さまご協力ありがとうございました。                 広報ハヤシ

3000人目の久保田様とツアー参加の皆さん 大河ドラマ協議会関係者


2022.12.05

満員御礼!
Bコース12月16日金曜 再考!北条義時と鎌倉幕府 定員に達しました。
ありがとうございます。


2022.12.01

NPO法人 鎌倉ガイド協会 <後援>鎌倉市

鎌倉ガイド協会 ガイド養成講座受講者募集

 鎌倉ガイド協会は32年の歴史を持ち、史跡・文化財などの案内をしております。
 このたび当協会では下記の通り新しいガイドを養成するための講座受講者を募集いたします。

― 記 ―
【募集人員】40名程度
【応募資格】・鎌倉市及び鎌倉市周辺にお住まいの健康な方
・2023年4月1日現在、原則満70歳以下の方
・養成講座をオンライン形式でも受講可能な方
(通常は対面形式。但し、コロナ等の感染状況によりオンライン形式に切り替える可能性あり。)
・火曜日および土曜日の養成講座に出席可能な方
【申込方法】申込書(鎌倉ガイド協会のホームページより1月8日以降にダウンロードしてください)および、
下掲「①書類選考」記載のレポートを送付先まで郵送ください。
【 送付先 】〒248-0012 鎌倉市御成町1番12号 江ノ電鎌倉ビル4F
NPO法人 鎌倉ガイド協会 12期生ガイド養成委員会 宛
【受付期間】2023年1月8日(日)~2023年2月10日(金) * 当日消印有効
【問合せ先】電話:0467-24-6548 FAX:0467-24-6523
メール:鎌倉ガイド協会のホームページ、お問い合わせページの「お問い合わせメールフォーム」
からお願いいたします。
9:30~14:30(休日:第二土曜日及び12月29日~1月3日の年末年始)
◎選考について
 ①書類選考(一次選考)
 ・「私は鎌倉の魅力をこう伝えたい」という課題で800字以内にまとめたレポートを提出していただきます。
  (書式任意。本レポートは返却いたしません)
 ・選考結果は、2023年2月20日(月)発送の郵便で通知します(合格者には面接選考をご案内します)。
 ②面接選考(二次選考)
 ・書類選考に合格された方に面接を受けていただきます。
 ・面接選考は、2023年3月4日(土)に行ないます。
 ・選考結果は、2023年3月8日(水)発送の郵便で通知します。
◎養成講座
 ・面接選考に合格された方に養成講座を受けていただきます。
 ・養成講座期間・会場:2023年4月1日(土)~12月23日(土)
  週1回~2回(火曜日または土曜日)9:30~16:00頃 鎌倉市内の公共施設など
 ・受講料:30,000円  *別途教材として「かまくら子ども風土記」を各自購入
 ・講座修了者は当協会にて2024年1月よりガイドとして活動することができます。

★ホームページのトピックス欄「ガイド養成講座受講者募集について」に募集に関するいろいろな情報がありますのでご覧ください。
★本申込みに際して協会として知り得た個人情報は、「受講者募集」以外の目的には使用いたしません。

 


2022.12.01

ホームページに募集案内が掲載されていますが、ここでは少し詳しい説明をさせていただきます。
今後、数回の内容更新を行う予定ですのでご覧下さい。ぜひ一緒に活動いたしましょう。

 

応募申込開始は1月8日です。先着順ではありません。養成講座の申込用紙は1月8日にこのホームページにアップされますので、ダウンロードし、必要項目を記載の上、作成されたレポートを添えて郵送にて申し込んでください。
「鎌倉市周辺にお住まいの方」とは、鎌倉駅まで概ね1時間以内で来ることが可能な方です。朝早くから活動することが多く、ガイド以外でも、打ち合わせや印刷、ガイドのための下見、委員会活動など、週に数回、鎌倉に来ることもあります。
●応募資格に「2023年4月1日現在、原則満70歳以下の方」とありますが、鎌倉ガイド協会入会後少なくとも10年はガイドとして歩くことが可能であろうと思われる方を想定しています。個人差はあると思いますが、一応の目安を示したものです。
●応募資格の「火曜日および土曜日に出席可能な方」に関しては、講座は講座期間中ほぼ毎週、火曜日あるいは土曜日に行います(火曜と土曜、週2回のこともあります)ので、どちらかを選ぶものではありません。火曜日、土曜日のいずれでも出席可能な方のみとなります。(ガイドとして活動するのは平日が多いこともご承知おきください)
講座修了者とは、出席率85%以上、2回の効果測定(テスト)での合格、などの複数の条件を満たした者であり、ただ講座を受ければ良いというわけではありません。
本講座は、鎌倉ガイド協会のガイドとして必要なマナーや心得、そして一定の知識等を修得するためのものであり、実地でのガイドの模擬演習を含め、かなりの距離を歩く必要があります。知識のみを求める受講はお断りしていますのでご注意ください。
歴史などの知識に不安がある方でも、知識は後からついてきますので心配いりません。
●鎌倉ガイド協会のガイド活動については、ホームページで詳細を見て頂き、当協会の「史跡めぐり」に参加してもらうことで分かると思います。まだ、参加されていない方はぜひ参加してください。
 

≪12期生ガイド養成委員会≫


2022.11.30


初冬の候、いかがお過ごしですか。11月は史跡めぐりで、10日間皆様にお会いすることができました。 3月から始まった大河ドラマ館発ガイドツアーでは、ご参加3000人目前です。
来年の史跡めぐりでも、ガイドはガイディングレシーバーを使い、ご参加の皆様にはマスク着用で、三密防止に努めます。ご応募は、メールに加えFAXをお使いいただけます。⇒詳しくは、毎月恒例の「古都鎌倉史跡めぐり」ホームページ及び チラシの裏面をご覧ください。
*毎日AM9時半からPM2時半まで日直(協会員)が事務所にはいます。お気軽にご相談ください。
ガイド協会HPのお問合せページの「お問合せメールフォーム」や ご希望コースのガイドページ「申込メールフォーム」などを、お使いいただくとスムースにお応えできます。
*【予告】「鎌倉ガイド協会のガイド養成講座」の受講希望者を、来年1月8日より募集いたします。
詳細は鎌倉ガイド協会HPをご覧ください。
*2月史跡めぐりABCコースの募集開始は、12月1日(木)からです。なお、11/28現在1月史跡めぐりABCコースに若干空きがあります。 併せて、お申込みお待ちしています。


2022.11.27

今回は実朝の和歌を紹介したツイートをご紹介します。秋風に揺れる野辺の藤袴(フジバカマ)を詠んだ、花をこよなく愛するツイートメンバーによる久しぶりの《フォト和歌》でしたが、奇しくも投稿日に放映された大河ドラマでは実朝が切ない想いを有名な和歌「大海の…」に託して詠むというシーンがあり、結果的にタイムリーなツイートとなりました。古今和歌集の藤袴の歌を踏まえた作品ではあるものの、どこか奥ゆかしいこの花に心を寄せる実朝の優しさや寂しさを垣間見るような気がいたしました。

鎌倉ガイド協会のTwitterは、ホームページ左の青い小鳥のマークをクリックしてご覧いただけます。ぜひフォローしてくださいね。


2022.11.24

講師は協会員 松下和代さん

去る11月17日(木)、教養センター主催の秋季専門講座が開催されました。今回取り上げられた北条時行は、あるコミックの主人公として人気を集め、最近話題になっている人物です。時行は鎌倉幕府第14代執権 北条高時の遺児で、鎌倉幕府滅亡後、幕府再興を目指す乱を起こしました。この乱は高時以前の治世「先代」と足利氏の治世「後代(当代)」の中間に位置するということで、「中先代の乱」と呼ばれます。(以下概略)

北条高時の息子たち・得宗家の男子
元弘3年(1333)の幕府滅亡時に確認できる得宗家男子は4名、そのうち時行(推定元徳元年(1329)生まれ)の兄邦時(推定正中2年(1325)生まれ)は脱出したものの預けられた伯父、五大院宗繁の裏切りにより落命、猶子治時は建武元年(1334)に京都で処刑された。

時行の鎌倉脱出
残り2人のうち、高時の弟泰家は自害を勧める得宗被官 諏訪盛高(諏訪頼重)に幼い時行を託して逃亡、幕府再興を志す。時行も鎌倉を脱出し、諏訪大社上社の大祝(おおほうり)を世襲する神官一族・武士 諏訪頼重のもとで鎌倉奪還の機会をうかがうことになる。

後醍醐天皇による建武の新政と北条時行による中先代の乱
後醍醐天皇親政下、特に恩賞への不満から各地で反乱が多発。鎌倉幕府と関係の深かった西園寺公宗は奥州に逃れた泰家を匿い、天皇暗殺を企てるも失敗、泰家は行方不明となる。時行も諏訪・滋野氏らに奉じられ信濃で蜂起。後醍醐天皇は京都の防備を固めたが、時行軍は故郷鎌倉の奪還・幕府再興を悲願とし鎌倉に向かい(三浦時継・時明らが合流、5万余騎になったと伝わる)連戦連勝、建武2年(1335)7月、足利尊氏弟、直義が守る鎌倉を奪還した(直義による護良親王殺害はこの際のこと)。
しかし足利尊氏の反撃に備えて進発した時行軍は、台風による大仏殿の倒壊で避難していた兵五百余人が犠牲となるという天災による士気低下もあり、鎌倉から撤退、諏訪頼重ら大名43名は勝長寿院で自害した。この鎌倉奪還は僅か20日だったことで「廿日先代の乱」とも言われる。

時行、南朝に下り、2度目、3度目の鎌倉奪還を果たす
時行は南朝に下ってまで鎌倉幕府を裏切った仇敵尊氏と戦い続けることを決心し、延元2年/建武4年(1337)後醍醐天皇の勅免で南朝に下り、北畠顕家軍に合流。新田義興(義貞子)と共に鎌倉を守る足利義詮を追い落とし、斯波家長を鎌倉杉本城で敗死させるなど、時行は二度目、三度目の鎌倉奪還を果たす。が、ついに捕らえられ、正平8年(1353)5月20日鎌倉郊外の龍口(藤沢市片瀬)で処刑された(享年25推定)。幕府滅亡から20年を迎える2日前のことであった。共に処刑されたのは北条得宗家被官、長崎氏・工藤氏の子孫。時行が20年間も諦めることなく戦い続けられたのは鎌倉幕府再興を悲願とする彼らの存在も大きい。

中先代の乱の歴史的意義
時行を支えた諏訪氏ゆかりの諏訪大社ご祭神、タケミナカタノカミはどんなに劣勢でも容易には屈しない勇敢・勇猛な軍神である。この気概・気骨は時行にも共通し、時行は尊氏にとっては脅威だったと思われる。この乱がきっかけとなり、尊氏は後醍醐天皇に離反、室町幕府の成立・南北朝時代へとつながっていった。

以上、あまり一般に知られていない人物がテーマでしたが、諏訪上社・下社や時行潜伏の伝承が残る大鹿村への訪問レポートや写真も含めて、大変聴き応えがありました。最後は諏訪神の性格の話から、今の大河ドラマの主役、北条義時が兄宗時の敗死以降、数々の危機を経て鎌倉幕府確立の過程で尽力したことに話が及び、時行がその末裔であることに触れて講座が締めくくられると、会場からは大きな拍手が起こっていました。[広報A]


2022.11.10

満員御礼!


Cコース12月2日・9日両日 紅葉ヶ谷・天園の「冬紅葉」を楽しむ 定員に達しました。
両日とも締切りました。ありがとうございます。

特別企画12月20日 定員に達しました。 締切りました。 ありがとうございました。


2022.10.31


初霜の候、いかがお過ごしですか。10月は史跡めぐりで、10日間皆様にお会いすることができました。大河ドラマ館発ガイドツアーでも、2000人目を超えるご参加を頂きありがとうございます。
12月・翌年1月の史跡めぐりでも、ガイドはガイディングレシーバーを使い、ご参加の皆様にはマスク着用で、三密防止に努めます。ご応募は、メールに加えFAXをお使いいただけます。⇒詳しくは、毎月恒例の「古都鎌倉史跡めぐり」ホームページ (HP)及び 募集チラシの裏面をご覧ください。
*休日の日直も実施しています。事務所には毎日9時半から2時半まで、協会員がいます。
お気軽にご相談ください。ガイド協会HPのお問合せページの「お問合せメールフォーム(MF)」やご希望コースのガイドページ「申込MF」などを、お使いいただくとスムースにお応えできます。
*大河ドラマ館発ガイドツアーは、従来の「義時コース」と新に「北条執権コース」を10月からスタートしています。3/26~10/16ご参加2000人をお迎えしました。ツアー終了まであと2ヶ月になりました。土日祝日10時半と13時半、予約なし当日申込みです。
*1月史跡めぐりABCコースの募集開始は、11月8日(火)からです。なお、10/28現在11・12月史跡めぐりABCコース(12月特別コース・12/2Cコースを除く)に若干空きがあります。 併せて、お申込みお待ちしています。


2022.10.28


2022年3月26日スタートし、6月26日で1000人を数えたものの、暑さとコロナ感染で伸び悩み。10月に入り、ご参加者が急増。10月16日に2000人目をお迎えし、石渡会長のご挨拶を頂き記念式を開会した。2000人目のお客様は、横浜市青葉区の室田様 「小栗 旬が好きで歴史も好き、北条義時がどう変わるかテレビから目が離せない。史跡めぐりにも参加したい。」とのこと。お友達で、埼玉県越谷市の照井様 「義経大好き。鵯越のシーンがお気に入りで、今日はラッキー!また来ます。」

このお二人のご参加の義時コース参加者全員に、記念として観光協会カレンダー2023と武者絵Tシャツとハンカチ(大河ドラマ協議会提供)が贈呈された。

10月だけでは実施日7日間で401名(平均/日;57.3名)と好調です。10月からスタートした「執権コース」も順調です。ガイド協会全体で、3000人目のお客様をお迎えする意気込みを感じました。    (広報ハヤシ)


2022.10.26

一部満員御礼!

12月2日 紅葉ヶ谷・天園の「冬紅葉」を楽しむ 定員に達しました。
締切りました。ありがとうございます。
12月9日は、余裕があります。お申し込みをお待ちしております。


2022.10.26

9月のツイートから、今回はガイド協会のツイートではこれまで取り上げることの少なかった江ノ電に関するツイートをピックアップしました。「乗り鉄」を自称する新メンバーによる当ツイートはとても新鮮で、開業120周年という江ノ電の歴史に改めて敬意を感じるとともに、当協会Twitterのフォロワーの皆様からもこのツイートに多くのリアクションをいただいたことにも感銘を受けました。

★当協会のTwitterは当ホームページの青い小鳥のマークをクリックするとご覧になれます。ぜひフォローしてくださいね。


2022.10.25

 皆さんがいつもインターネットをしたりメールをしたりしているパソコンやスマートフォン、今や一人ひとりが持ち、仕事や趣味など生活に欠かせないものになっている「情報化社会」。鎌倉ガイド協会の「情報化」を支えるクループがあります。それが「情報化推進プロジェクトチーム」。このチームは、各班からパソコンなどのIT機器やソフトウェアに明るいメンバーと担当理事で構成されており、主な役割は、協会員が使用する共有ドライブの保存資料の充実化・活用支援、協会員が使用する共有PCの維持管理と環境整備、などです。
 さて、今回はその「情報化推進プロジェクトチーム」の活動の一端を紹介します。10月14日に行われた会議を取材、この日の会議は、協会事務所で使用しているデスクトップPC買い替えの機種選定がメインテーマです。このデスクトップPCでは、メールによるお客様からの史跡めぐりへの参加申込み処理や史跡めぐりの案内・募集チラシのネット配信(メールによるBCC一斉送信、広報委員会が担当)などを行っています。

NPOセンター鎌倉での会議風景 取材日に撮影


 お客様からの史跡めぐり参加申込みメールは多い日には1日100通を超え、また、ネット配信は、約800名の登録された方へ毎月一回お送りしています。現在のデスクトップPCは8年以上使用し、協会員から処理能力の向上を望む声があり、買い替えることになりました。
 この日の会議では、各社デスクトップPCのスペックやコストパフォーマンスを比較した機種選定、サポートの良い購入先、また、購入後の入れ替え手順、など具体的な検討課題が熱心に話し合われていました。
 取材を通して、近いうちにデスクトップPCが更新され、お客様からの史跡めぐり参加申込みメールへの返信がすばやく処理できるようになり、また、ネット配信も効率よく多くの方に送れるようになるだろうということが予感できました。また、広報関係では、ガイド協会ホームページのサーバー運用やコンテンツ、ネット配信についてアドバイスを頂いています。感謝。[広報K]


2022.10.22

(8/20に撮影、10/29放映の関係で、HP掲載は1週間前の10/22になりました。)


この度、TV局からの依頼~撮影~放送までの流れをご紹介します。
・8/9(株)テレパック Yプロデューサーより、事務所に電話・FAX送信にて出演依頼あり。
日直は、広報担当に連絡。
・8/10広報委員長は、Y氏に電話で確認後、1班班長にTV出演可能で、8/20-22で都合のつくガイドの選考を依頼。①班長より小杉啓治氏を推薦され ②推薦を受け、小杉氏本人に状況説明。
・8/10午後、広報は、Y氏に連絡。小杉氏本人と直接連絡を取り、出会う場所・日時を確認後、「取材確認書」の作成及び林宛に送付を、広報はY氏に依頼。
取材確認書より【番組企画概要】歴史上の英雄たちの偉大な功績と意外な素顔をクローズアップ。各分野の研究者・専門家の多角的な視点を交えて一枚の履歴書にまとめ、英雄たちの人物像や業績を現代的視点から再評価する。
今回は北条泰時生涯を振り返る中で、鎌倉のゆかりの地をめぐり泰時の功績と人物像を探る。(撮影場所 和田塚、和賀江島、朝比奈切通など)

撮影終了後、小杉啓治氏の述懐:8/20土曜 曇9:15から撮影開始。カメラは和田塚駅踏切で、
電車撮影。和田塚、和賀江嶋、宇都宮辻子、そして朝比奈切通。それぞれでインタビューを受け、
3時間半の撮影時間でした。インタビューアーは、演出家S氏。事前の台本はほとんどなく、
ガイドの言葉で語らざるを得ず、日ごろの勉強とガイド姿勢が試されました。
 (広報 ハヤシ)


2022.10.16

満員御礼!

12月20日鎌倉殿「ゆかりの地」めぐりー北条義時ゆかりの地めぐりーは、定員に達しました。
締切りました、ありがとうございます。


2022.10.05

教養センター主催の秋季専門講座・初回講座が開催されました。
テーマは「大河ドラマ館発ガイドツアー」の補足エピソードです。

2022年1月からNHK大河ドラマ「鎌倉殿の13人」が放映されて間もなく、大河ドラマを見て鎌倉に興味を持って来訪した観光客のために、鶴岡八幡宮の境内に「大河ドラマ館」が設置されました。狙いは「鎌倉殿の13人」を興味深く紹介し、鎌倉大好き人間を増やすことです。それをサポートする形で、「大河ドラマ館発ガイドツアー」がスタートしました。(大河ドラマ「鎌倉殿の13人」鎌倉市推進協議会と鎌倉ガイド協会との協働事業)

話題沸騰中の大河ドラマも後半の佳境に差し掛かってきましたが、放映開始時を振り返り、「源頼朝の原点を探ってみよう!」との企画は、私を含め聴講者の皆さんには記憶をリフレッシュさせてくれて、とても興味深い内容だったと思います。そして、その視点もさることながら、講師を務めてくれた青木ガイド協会員の別名が「笑風亭かん治」と言う高座名を持つ玄人はだしの落語家だったのです。所々にオチを挟んだ興味深い内容でしたので、オチオチ?居眠りもできず、ふと…学生時代の歴史の授業もこうだと、もっと成績も上がっただろうに…と悔やむ反面、今日の出会いに感謝した講座(高座?)でした。

講座は、「西行法師と源頼朝の出会いの場面」から始まります。青木講師はこの場面には拘っているようで、今回は「吾妻鏡」の原文を使っての熱の入れようでした。
他にもなかなか知りえない由来等が披露されます。こだわりの一部をご紹介致します。

【“伊豆の国市”は源頼朝と北条義時の出会いの里】
頼朝の父(義朝)が平治の乱で敗れたが、頼朝は殺されずに14歳で伊豆に流される。北条義時は頼朝配流の3年後に時政の次男として生まれる。当時、姉・政子は7歳。
弱小豪族だった北条氏の記録は余り残っておらず、義時の名が『吾妻鏡』に登場するのが、頼朝挙兵時の治承4年(1180年)の8月20日。次男の義時は、幼い頃より江間の館で育ち江間小四郎と称していた。兄宗時が戦死するも北条の後継者ではなく、「江間家」の創設を考えていたようだ。その後、『吾妻鏡』には、義時の名前は347ヶ所も登場し「相州」「右京兆」「奥州」とも呼ばれていた。

【相模川河口の「馬入川」呼び名の由来】
国道1号線の馬入橋から茅ヶ崎方面へ2㎞行くと国指定史跡「旧相模川橋脚」がある。
この橋は建久9年(1198年)の12月に頼朝の家臣で武蔵野国を治める稲毛重成が亡き妻(政子の妹)の供養のために掛けた橋と言われています。その橋供養式に参列した頼朝の乗る馬が突然暴れだし、川に入り込んだからこの辺りを「馬入川」と呼ばれるようになりました。

そんな専門講座に相応しい深掘りされた講演の所々にオチが散りばめられていました。
その一部も是非ご紹介させて下さい。

その1  頼朝は平清盛により伊豆の蛭ヶ小
島に流されて、北条一族(時政・政子・義時)との出会いから時代の歯車が回るが、平清盛が頼朝を生かして伊豆に流したのも義母の池禅尼の嘆願あっての事。
「“いず”れに流そうか?」
「“伊豆”に流せ!」・・・・・・・

その2  源頼朝の挙兵は文覚上人のある
行動から始まる。
配流先の伊豆で文覚上人(後白河上皇により伊豆へ流される)と出会います。
文覚は、髑髏を3個もって頼朝に会いに行く。
文覚「これが貴方の父上の髑髏だ」
頼朝「しかし、何故、3個あるのだ」
文覚「小さいのはご幼少時、中くらいのが元服の折、大きいのが亡くなった時の物」
頼朝「・・・・?」

その3  文覚上人は昔、遠藤盛遠という北面の武士だった。
友人の源渡の妻“袈裟御前(ケサゴゼン)”とは相思相愛の中で、ある夜、袈裟の
夫・源渡と誤って袈裟を殺してしまう。落語では刀を切りつけると布団の中にはおひつ
に入った炊き立てのご飯がありました。「しまった!今朝の御膳か・・・」

講座の前半は終了し、部屋の換気を含めた休憩を挟んで後半の高座が始まりました。
黒板の前には演台が用意され、颯爽と浴衣に着替えた青木講師の登場です。
否!「笑風亭かん治」さんが目の前に現れました。
演目はもちろん「源平盛衰記」

内容を解説するのは野暮ですので、興味のある方は「落語 源平盛衰記」を調べるか、
鎌倉芸術館や横浜にぎわい座にどうぞ。
この演目で「競馬の天皇賞」は鎌倉時代に始まった事を知りましたので付け加えます。
頼朝が後白河上皇から院宣を頂き木曽義仲を追悼する場面。
頼朝の愛馬の中でも名馬二頭は生唼(イケヅキ)が佐々木高綱に、摺墨(スルスミ)は梶原景季がそれぞれ頼朝から拝領して、宇治川合戦で争った話は有名です。
どちらが先陣を取るか馬券売りが出てきまして「朝廷の綸旨」を頂いたものですから、
「これが、最初の天皇賞だ・・・」

あっと言う間の2時間でした。
私の感想を一言でいうなら、青木講師より「笑風亭かん治」さんの方が弁舌爽やかで滑る(禁句?)ように演技しておりました。
最後に司会者からは「いつも落語があると思わないで下さい」と締めて下さいました。納得!!  広報 Y

以 上


2022.09.30


菊薫る候、いかがお過ごしですか。9月は史跡めぐりで、7日間皆様にお会いすることができました。ご参加ありがとうございました。台風の影響で中止の日もあり、お申込みの方には心苦しく思っております。10月の史跡めぐりでも、ガイディングレシーバーを使い、三密防止に努めます。11月史跡めぐりでは、定員を設けません。(会場の都合で、定員を設定することはあります。)年内12月末までのご案内も致します。ご応募は、メールに加えFAXをお使いいただけます。⇒詳しくは、毎月恒例の「古都鎌倉史跡めぐり」ホームページ(HP)及び チラシの裏面をご覧ください。
*休日の日直も再開しています。事務所には毎日9時半から2時半まで、協会員が居ます。
お気軽にご相談ください。ガイド協会HPのお問合せページの「お問合せメールフォーム(MF)」やご希望コースのガイドページ「申込MF」などを、お使いいただくとスムースにお応えできます。
*HPの毎月恒例の「古都鎌倉史跡めぐり」の申込MFからお申込みの際、フォーム下欄に「史跡めぐりチラシなど配信」にお名前とメールアドレスをご入力いただくと、毎月1回、月初めにメールが届くようになります。すでにお申込みでも、メールが届かないときは、メールアドレスの入力間違いやメールの送受信設定を今一度ご確認ください。
*大河ドラマ館発ガイドツアーは、従来の「義時コース」と新に「北条執権コース」を10月からスタートします。土日祝日10時半と13時半、予約なし当日申込みです。
*11月12月史跡めぐりABCコースの募集開始は、10月1日(土)からです。なお、9/27現在10月史跡めぐりABコース・Cコース後半に若干空きがあります。併せて、お申込みお待ちしています。


2022.09.27

令和4年8月27日鎌倉歴史文化交流館の学芸員大澤泉さんを講師としてお招きして、鎌倉ガイド協会企画委員会主催による講演会が教養センターにて開催されました。タイトルは「頼朝時代の文士たち」、「貴族VS武士 対立する存在という歴史観の見直し」というテーマで講演をして頂きました。

●頼朝の挙兵に集う人々
鎌倉幕府は武家政権ではあるが政権は「武」と「文」の両翼によって支えられていた。
初期の鎌倉幕府は頼朝の家政機関であり、両者を横断する人々が家人→御家人となって支えていた。京都から下ってきた下級貴族は京都の朝廷で実務経験を身につけていた文士であった。反乱軍が武家政権へと変貌を遂げる過程において「文」の側面も重要になった。
●初期のブレーンたち―頼朝を「文」の面から支えた人々
・藤原邦通:山木兼隆への襲撃に備えた行動をした。館に入って絵図を作った。
 文士で絵師。安達盛長の推薦。頼朝の右筆となる。
・佐伯正長:筑前国住吉神社の神官。兄の昌助が伊豆国に流された縁で頼朝に仕えたか。
 山木兼隆襲撃の戦勝祈願、祈祷ができる。天文の知識があった。

【頼朝時代の初期段階】
治承4年(1180)から寿永元年(1182)に行われた造営・修造等の奉行:大庭景義
寿永2年以前に招聘された技術者や宗教者についても、頼朝流人時代の所縁の他、流人として東国に滞在していた者や、御家人の仲介によるものが多くを占めていた。
この段階では京都から呼び寄せることが困難であったことを物語る。
〔寿永2年(1183)の転機〕吾妻鑑に寿永2年の記述はない。
寿永2年の10月宣旨まで京都の朝廷の認識は「東国逆乱」、頼朝=反乱軍。しかし、頼朝は後白河院と早い段階から連絡をとっていた。頼朝の挙兵は後白河院の意に叶うものであった。
寿永2年に何があったか?
→「寿永2年10月宣旨」挙兵から3年、反乱軍から正規軍(官軍)になった。義朝時代を継承した軍事拠点としての鎌倉から鎌倉殿たる頼朝の政権拠点へ。
新しい政権拠点・鎌倉の象徴が勝長寿院であった。建立のため南都の仏師定朝、京都の絵師藤原為久が参上。落慶式には後白河院の近親者など多くが京都から出席した。勝長寿院の建立は後白河院を中心とする京都と頼朝のもとに生まれた新しい鎌倉を象徴するデモンストレーションであり、文士たちもこのような状況下で下向してきた。

●文士たちの下向
元暦元年(1184)迄中原親能や大江広元が下向、同年4月三善康信が京都から鎌倉に到着
【中原親能】
頼朝より4歳年上、幼少期を相模国で育ち、流人時代の頼朝と「年来の知音」
(『玉葉』)→頼朝の挙兵にいち早く駆けつける。京都との人脈を持っていたことから、度々上洛し鎌倉と京都を繋ぐ窓口として活躍。
【三善康信】
京都の下級貴族。叔母が頼朝の乳母であった縁から、流人時代の頼朝に10日に1度、毎月3回使者を送り、京都の情勢を伝える。京都でのキャリアを生かし、文書作成などの実務や寺社関係の職務に携わる。問注所が設置されると初代の長官(執事)に就任。
承元2年(1208)名越の邸宅の「山際構文庫」焼亡。
【二階堂行政】
母は熱田大宮司季範の妹。永福寺の近くに邸宅を構えていたことから、二階堂氏を名乗る。熱田大宮司家は朝廷で文章博士や大学頭をつとめる学者の一族で、季範の娘は源義朝の妻となり、頼朝、希義、女子(一条実保の妻)を生む。
鎌倉に下る以前は京都でキャリアを積む。その経験から、鎌倉では、公文所設置や寺社の差配、幕府の財政など、さまざまな業務に携わる。
【大江広元】
儒学を専門とする京都の下級貴族・中原広季の養子、実父は大江維光とされる。
京都でキャリアを積んでいたが、源頼朝が挙兵すると鎌倉に下向。執権ともいえる立場。
比企氏の乱:「自らは文士であるから、合戦のことには意見を述べない。」実朝の代になると北条氏との協調関係を保ち将軍の政治を補佐。京都の藤原定家と実朝の間を仲介し、和歌などの文化的な活動を支える。和田義盛が北条義時打倒の兵を挙げた和田合戦、義盛は義時邸、将軍御所とともに、広元邸にも攻め入る。広元は実朝と共に御所の裏山、頼朝の法華堂に逃れる。後鳥羽院が義時追放の兵を挙げると、広元は京都へ進撃を強く主張し、幕府の勝利に貢献した。
元仁2年(1224)北条義時が没し、翌年には大江広元が、その1カ月後には北条政子が亡くなる。→幕府は一つの節目を迎える。
『吾妻鏡』貞永元年(1232)12月5日条 → 大江広元が草創期の鎌倉幕府で果たした役割の大きさが述べられている。

文士たちの活躍:京都で実務を積んだ後、活躍の場を別に求める。地方では彼らの公文の能力が買われ、目代として国衙の経営にあたっていた。彼らが求める新たな「活動の場」が鎌倉だった。今回の講演を拝聴し、文士がいなければ、鎌倉幕府は成立し得なかった。

大河ドラマ「鎌倉殿の13人」とは違う人物が出てきて、私共には耳慣れない方々でしたが大澤さんはとても身近に感じていらっしゃるようで、親しみをこめてお話しされていたのが印象的でした。大澤先生の研究を2時間にわたり自ら講演して頂き、とても感銘を受けました。貴重なお時間をありがとうございました。[広報M]


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