トピックス

2022.05.14

大河ドラマ館発ガイドツアーは、憲法記念日・快晴の下 63名の方々を、義時コース・頼朝コースへご案内しました。1組10名先着順・定時出発・土日祝催行しています。5/3は、10時半から義時コース2組 頼朝コース1組、13時半から義時3組 頼朝1組でした。受付は、大混雑。義時コースでは開山塔の拝観もあり、入場者全員開山塔拝観という組もありました。

**大河ドラマ館発ガイドツアーとは?   お気軽にご参加ください。
【開催日】 2023年1月9日までの土曜、日曜、祝日に行います。
【開催時間】 10:30~、13:30~ 1日2回  所要時間1回2時間程度
【受付場所】 鎌倉文華館・鶴岡ミュージアム1階(鶴岡八幡宮境内・2階では大河ドラマ館開催中)
【申込受付】 当日15分前から受付 <先着順、定員になり次第締め切ります>
【参加費】 500円 
【ツアー内容】 A 、Bの2コース (10名/ガイド1名につき)
*A義時コース〈承久の乱と北条義時〉
【コース】大河ドラマ館~鶴岡八幡宮~政所跡~大蔵幕府跡~北条義時法華堂跡~(鎌倉宮)~覚園寺~大塔宮バス停(解散)[2時間コース、徒歩距離約3.5㎞、](別途・覚園寺拝観料:500円)
*B頼朝コース〈源頼朝ゆかりの地を巡る〉
【コース】大河ドラマ館 ~ 鶴岡八幡宮 ~ 大蔵幕府跡 ~源頼朝墓(法華堂跡)~永福寺跡(一次解散)~大塔宮バス停(解散)[1時間半コース、徒歩距離約2.5㎞、高低差あり]


5/3 大河ドラマ館入場5万人目の幸運なご家族は東京都北区からお越しいただきました。
3/1オープンから64日目。コロナに祟られながらも、たくさんのお客様にご来館いただくべく開館しています。
GW中の鎌倉は、超混雑状況でした。小町通は、ラッシュアワー並み。銭洗弁財天では、銭洗い場から順番待ちの人の波はトンネルを超え、駐車場入り口前まで200m!長蛇の列でした。

記念品贈呈光景:5万人目の北区のご家族と協議会久保田会長


2022.05.11


一部満員御礼!
5月C(鎌倉街道「下の道」を洋光台から能見台へ)実施日5月17日火曜は、定員に達しました。
5月B(鎌倉幕府宿老・梶原景時の里を巡る)実施日5月24日火曜は、定員に達しました。

締切りました、ありがとうございます。


2022.05.02


薫風の候、いかがお過ごしですか。鎌倉ガイド協会では、4月は新企画・講演会で皆様に、お会いすることができました。5月は史跡めぐりで、またお会いできることを楽しみにしています。今回は募集人数を各日70名、また催行日を増やして、多くの方に楽しんでいただくよう準備しています。
→詳しくは、毎月恒例の「古都鎌倉史跡めぐり」ページをご覧ください。
・休日の日直も再開いたします。御成町事務所には、毎日9時半から2時半まで、協会員が居ます。お気軽にご相談ください。ガイド協会ホームページ(HP)のお問合せページの「お問合せメールフォーム(MF)」やご希望コースのガイドページ「申込MF」などを、お使いいただくとスムースにお応えできます。ご利用ください。
・HPの毎月恒例の「古都鎌倉史跡めぐり」の申込MFからお申込みの際、 フォーム下欄に「史跡めぐりチラシなど配信」に、お名前とメールアドレスをご記入いただくと、毎月メールが届くようになります。ご自分のアドレスを打ち込む際に、間違えると返信されません。すでに、お申込みでも、メールが届かないときは、アドレス違いが考えられます。メールが届かないと感じたら、アドレスをご確認いただき、再度申込みお願いします。
・6月史跡めぐりABCコースの募集開始は、5月3日火曜からです。募集枠が増えていますので、あわてず、お申し込みください。 なお、5/2現在でも、5月史跡めぐりABCコース若干空き(Ⅽコース5/17除いて)があります。 あわせて、お申し込みください。お待ちしています。


2022.04.29

2022年3月で、当ツイートをフォローしていただく方々が、累計3000名を超えました。
毎月100名以上の方々と新たに出会えました。 さあ、作品を拝見しましょう。

当協会Twitterのフォロワー数が3000を超えました。2017年に鎌倉市との協働ツイート事業発足を機にスタートして5年、沢山の方々にフォローいただき、一同感激しております。厚く御礼申し上げます。今後もメンバーの鎌倉愛溢れるツイートをどうぞお楽しみください。(写真は鎌倉生まれの玉縄桜 3/9撮影)

委員長のつぶやき:いつもご覧いただきありがとうございます。5月史跡めぐりABCコースとも余裕があります。ガイド協会ホームページから、お申込お待ちしています。(5月Ⅽコース5/17は満員御礼)
 https://t.co/MsQjPExllS


2022.04.27


 4月19日・23日 協会員関谷哲雄講師による講演会開催。「源頼朝とその時代の北条義時」と題し、鎌倉生涯学習センターで、2回とも定員いっぱいのお客様でした。 その講演内容をご紹介します。 「本日お話しする時代期間は、源頼朝が挙兵した1180年から頼朝がなくなる1199年までのおよそ20年間を取り上げます。この期間の義時は18歳から37歳で、頼朝の義弟として、また信頼篤き御家人として頼朝のそばに使えますが、頼朝死後の時代に比べて『吾妻鏡』や当時の公家の日記などの記録は少なく、その消息は明らかとは言えません。そこで、頼朝の鎌倉幕府草創の道をたどりながら見え隠れする義時の姿を追いたいと思います。」と始まり、時系列に沿った解説がなされました。「頼朝時代の義時は、まず頼朝の義弟であり、頼朝の信頼篤き側近(家子専一)であった。だが、目覚ましい武功は見当たらない。北九州の蘆屋浦合戦の際、最初に豊後上陸したくらいか。義時にとって、この時期は、頼朝の政治を間近で体得し、その後のサバイバル時代の下地が作られた、目立たないが大事な時代であった。」 と結ばれていました。

 4月8日から12日まで、鎌倉駅地下道ギャラリ展示に出展しました。主催は、鎌倉生涯学習センター。展示スペースは、西入口から大きな窓ガラス3枚分でした。
展示内容は、コロナ禍の中、創立30周年を迎えた2021年度(2021年4月~22年3月)一年間の活動報告として、内藤家墓清掃、 避難訓練、ろう学校生徒鎌倉案内、石碑清掃、1年で50日〈12・1月〉のみのガイド活動、講演会、5月史跡めぐりチラシ
・WITHコロナでの活動:客激減グラフ、ガイディングレシーバ装着ガイドなど
・安心の仕組 組織的な活動:理事会〈年始お祓い図〉、企画委員会、GR管理PT、情報化推進PT、大河ドラマPT、石碑清掃PT、鎌倉FM、広報はzoom会議 
・鎌倉殿の13人放映に際して:大河ドラマ館ポスタ、大河館発ガイドツアーチラシなど A4サイズ写真38枚・A3サイズ4枚・30周年年表(含むコロナ時代ガイド数字急降下)
・風景画像:協会員足立氏提供3点 ご協力ありがとうございました。  広報・ハヤシ


2022.04.23


霊鷲山極楽寺は真言律宗のお寺で開山は 忍性菩薩、開基は北条重時公です。もともと深沢にあったお寺の寺域が狭く、重時公が忍性菩薩に相談されました。三方が山に囲まれ南側に開けた地獄谷と呼ばれる地が仏教興隆に相応しいとの勧めに従って、ここを移転の地としたそうです。重時公は二代執権北条義時公の三男、三代執権北条泰時公の異母弟で、母親は比企朝宗の娘でした。六波羅探題の最高責任者を経て鎌倉に戻り、執権を補佐する連署など重責を担い、一貫して鎌倉幕府、北条一門を支え、極楽寺の移転完成前に亡くなられました。その後、ご子息の長時・業時公が整備を引き継がれ、七堂伽藍、四十九院を有する大寺院となりました。寺内には施薬院、悲田院など不幸な人々を救済する施設も設けられていたそうです。しかし1333年、新田義貞の鎌倉攻めによる被害を受けた後、度重なる火災や震災などを被り、徐々に寺域は狭まり、伽藍の整備統合を経て今日の姿になったそうです。

新型コロナウィルスの感染拡大以前、例年4月7日~9日に行われてきた釈迦如来開帳は感染拡大後のこの2年間は行われませんでしたが今年は実施され、忍性菩薩御廟(忍性塔)特別参拝や灌仏会も実施される4月8日に伺うことにしました。


山門をくぐり、少し散り始めた葉桜混じりの桜の参道を抜けていくと、釈迦如来御開帳前の時間にもかかわらず、境内には既に参拝者が集まっておられ、久しぶりにご本尊に参拝できる皆さまの喜びが感じられました。北条時宗公のお手植えと伝わる八重一重咲分け桜を古株とする現在の桜は、気持ちの良い春の日差しと暖かさの中で満開間近と感じられました。

灌仏会(花祭り)は、毎年お釈迦様の誕生日(4月8日)に、誕生仏に甘茶をそそぐ法会で、花御堂(はなみどう)が設けられ、参拝者皆が手を合わせておられました。
ご本尊の釈迦如来御開帳が始まってしばらくすると地元の稲村ケ崎小学校の生徒さんたちがお参りにやってきました。
花御堂で手を合わせた後、一列に並んで静かに順番を待ち、忍性菩薩御廟に向かって上っていきました。子供たちはとても行儀よく、静かで気持ちの良い時間を過ごすことができました。
元は寺域であった稲村ケ崎小学校のグランドを横に見ながら、私も緩い坂を上って御廟に着き、忍性塔、北条重時公墓所(宝篋印塔)に参拝しました。


年に一度のこのような特別拝観も2年間中止されていたために、本当にありがたく、暖かい晴天の中、元気な小学生たちから元気ももらい、幸福な気持ちになりました。
コロナ禍の2年間、鎌倉の寺社も感染防止のために例年通りの法会、行事を行えなくなっていましたが、様々な対策・工夫が実施され、少しずつ再開されつつあります。このような法会・行事が今後は従来通り続けられることを祈り、お寺を後にしました。

【追伸】来年(2023年)から、ご本尊釈迦如来御開帳は4月7,8日の2日間になるそうです。 (広報 KH)
注)参考文献 
・極楽寺由緒書(パンフレット) 編集発行:霊鷲山感應院 極楽律寺
・かまくら子ども風土記(第14版)平成31年3月31発行 編集:鎌倉市教育センター 発行:鎌倉市教育委員会
・新版 鎌倉観光文化検定 公式テキストブック 平成23年10月10日第1刷発行 編集・発行:かまくら春秋社


2022.04.18


一部満員御礼!
5月C(鎌倉街道「下の道」を洋光台から能見台へ)実施日5月17日火曜は、定員に達しましたので、
締切りました、ありがとうございます。

*Cコース5月11日水曜は、申込をお待ちしています。


2022.04.04


陽春の候、皆様いかがお過ごしですか。まん延防止等重点措置も解け、5月史跡めぐり実施に向けガイド協会は活動を始めました。本日は、募集のお知らせです。
下記のチラシのように、どのコースも、1日70名に募集人数を増やしています。日数も、ひと月6日から8日に増えています。コロナのお休みの間に、ガイドも練習を重ねています。募集は、4月5日火曜朝から受け付けます。ガイド協会HP毎月恒例の「古都鎌倉史跡めぐり」ページの申込メールフォームからお願いします。
 *3月から鶴岡八幡宮 参道横大河ドラマ館では、土・日曜祝日に、10時半・13時半から大河ドラマ発ガイドツアー(お客様10名につき1ガイド)を、先着順で行っています。予約なし、おひとり様500円で行っています。散歩がてら、ドラマ館1Fをのぞいてみてください。
 *4月8日金曜16時から、鎌倉駅地下道ギャラリー展示を行います。4月12日火曜15時まで、鎌倉ガイド協会30年の歴史と2021年5月からの1年間の出来事を、写真展示しています。お気軽に覗いてみて下さい。
*4月19日火曜・23日土曜は義時講演会を実施いたします。お申し込みは、終了しています。お申し込みのお客様お忘れなきようお出かけください。 
–コロナ時代・3密防止『マスク・手洗い・1m間隔』で、生き抜きましょう。


2022.03.31

磯の香りがする 若布 海苔の収穫は冬の終わりごろからですね。江戸時代の初カツオも、腰越からでした。シラス漁解禁日は3月11日です。
さあ、作品を拝見しましょう。
『わかめ漁で獲った天然わかめを湯がいて浜で自然乾燥させます。
春が近いこの時期、湘南鎌倉の海岸で天日干しされているわかめを
見かけます。鎌倉のわかめは、「かながわブランド」に登録されて
います。2/21撮影W』


委員長のつぶやき:海風にさらされているわかめを見ると、実朝公の「世の中は 常にもがもな 渚こぐ 海人の小舟の 綱手かなしも」を思い出します。

https://t.co/UYiqIanFE3


2022.03.30

A. 3/15・19北条義時連続講演会第1回 合田嘉見講師 in鎌倉生涯学習センター
定員いっぱいのお客様に、感謝です。 講演の前段をご紹介します。
「本日、お話しする時代期間は、おおよそ保元元年(1156)~治承4年(1180)の24年間です。この間に頼朝は伊豆に流され多くの人達の影響を受けながら青年期を過ごします。
そして、壮年期に挙兵をします。義時は少年期から青年期にかけて、頼朝の考え方や人柄を見つめながら育ち、挙兵後、共に鎌倉に向かいます。この期間の様々な史実に触れながら、二人のことを考えてみます。
また、現在NHK大河ドラマ『鎌倉殿の13人』が放映されていますので、ドラマの推移と内容を参考にしながら、お話しします。」 
中略  「義時は、二代目執権として北条氏中心の武家政権を確立するまで、大きく分けて四つのライフステージがあったと考えられます。今回は義時の『少年期から青年期の始め』までの史実について触れます。」 と講演は、続きました。

B. 3/23 ドラマ館発ガイドツアー学習講座 謀略の軌跡・北条義時再考 by平田重樹講師
ガイドのための勉強会でした。各班から10名ずつ、事前のレジメを読みこなした上で出席。平田さんの軽快な語り口に、驚きの連続でした。 以下、内容を要約すると、
「伊豆の片田舎で土豪の庶子として生まれた江間小四郎が、武士の世を確立した男と評価されるまでの軌跡を追ったが、明治以後の天皇制国家のもとでは、全くの逆臣であり不遜の人である悪逆な人物として印象づけられてきた事はご承知の通りである。
人物評価や史実と言われるものでも、その時代の歴史観で左右される。日本の中世史学は戦前の皇国史観で失敗をし、その反省から唯物史観が隆盛を極めた。その流れは、『権門体制論』と『東国国家論』に見られる東西史観にもその残滓がみられる。
鎌倉幕府を語るとき我々は、井上章一氏が批判する『関東史観』にたって説明することが多いと思われる。
「歴史の語り部」を自認する私達は、『吾妻鏡』の曲筆指摘から、中世研究者の諸説、さらには史観まで取捨選択し、楽しいガイドしなくてならない。」

配布されたレジメを見ながら、適切な歴史観に基づく言葉を使わねば、と思いを新たにしているガイドの一人です。 広報ハヤシ


2022.03.25


第2回講演会テーマ「源頼朝とその時代の北条義時」4月19日(火)23日(土)両日とも
定員に達しましたので、締切りました。ありがとうございます。
第3回も予定しています。しばらくお待ちください。


2022.03.22


コロナ状況も落ち着きを見せ、3月21日にまん延防止等重点措置解除になりました。
かねて計画していました第2回講演会を、開催いたします。お申し込みは、このホームページ上の「古都鎌倉史跡めぐり」ページにある 申込メールフォームよりお申し込みください。募集開始は、3月23日水曜からです。 コロナ状況落ち着いたとは言え、注意は必要です。『マスクをし、三密は避け、手洗いうがい』

*中止していました「鎌倉大河ドラマ館発ガイドツアー」は、3月26日土曜から開始します。土曜日曜祝日、10時半・13時半、参加料500円、ドラマ館1Fスタートです。予約不要で、当日先着順、1ガイド多くて10名様で出発です。お気軽にご参加ください。覚園寺拝観には別途500円お願いします。


2022.03.16


3/9水曜10時よりNPO鎌倉にて、総務ガイド委員会開催。足立委員長〈9期〉と各班からのメンバーによる6名で、月1回開催されている。
学校・旅行社から毎日のように、寄せられる問合せ・申込に、コロナ状況が合わさり、2021年度中は、「多くのガイド申込があるがキャンセルも多い、先が見えない状況だが、準備だけはしっかりやる。」との委員長の言葉に、夫々の申込に丁寧に対応しているが、コロナにより未実施の悔しさが伝わってくる。学校ガイドでは、「日本史を学ぶ場を失ってはいけない。」との悲壮感にも似たものが、学校教師と委員から感じられる。

3/11金曜9時半からZoomで、情報化推進PTの会合が、藤川リーダー(11期)筒木理事・原田アドバイザー・各班の担当〈全7名〉が出席。 2021年度実績と来季の目標が、確認されていた。  ①ワンドライブの活用・支援 ②共有PCの環境整備策 ③各情報機器の管理表作成とユーザーへの指導など熱心に討議されていた。
特に、広報関係では、ネット配信といわれるBCC一斉配信の精度向上とエラーアドレス対応。HPの仕組みと文章作成サイトの見直しなどアドバイス・改善提案を頂いている。感謝!

広報委員会はZoom併用で、月2回開かれている。3/11林委員長〈10期〉自宅から1時より各班担当と6名で開催。 ①毎月の史跡めぐりチラシ作成と広報手段について ②主要システムHP・BCC一斉配信確立検討・勉強 ③来月記事作成と現在進行中の記事状況 ④4月鎌倉駅地下道ギャラリー展示・広報委員会2021年報告など討議。 各委員会・PT年度末に向け、進行中。
  広報ハヤシ 取材より        


2022.03.14

教養センター秋季専門講座2021.11.11 を編集いたしました。

テーマを「大型石造物が語る」と「語る」を入れたのは、忍性・叡尊で知られる西大寺流律宗と共に鎌倉に来た職能集団の石工が造り出した大型石造物と鎌倉の関りを中心に講座が出来ればと考えたからです。明確な関係資料が足りない中でのテーマですが、新しい視点を持つ参考になればと思います。

〇 中世の石造物 - 西大寺律宗と石造物
 中世の海岸沿いの東西の境界領域にある寺々には、律宗が関わるとされる石工集団の石造物が多く残ります。それは、西の極楽寺、長谷寺、高徳院等々。東の別願寺、安養院、廃寺・感応寺、満福寺(光明寺境内)などの宝塔、宝篋印塔、板碑、石仏等々。
忍性を中心とすると律僧集団は港湾管理・維持・修復の他、道路造成・架橋・切通開削・井戸掘削・伽藍の建立などの土木事業や慈善救済事業を多くなしてきました。その背景には幕府の庇護を受けての教線の拡大がありましたが、それに伴って多くの石工、番匠(大工)、鋳物師をはじめとする職能集団が来鎌しました。鎌倉とその周辺においては、大仏をはじめ様々な寺院や和賀江島をはじめとする公共施設がまず浄土系念仏衆の勧進によって興され、それが漸次西大寺律の管理下に入っていく現象が、13世紀半ばから後半にかけてみられます。それでは、西大寺律宗に係る石工集団(大蔵派)の痕跡を東西の境界地域にある寺院と関わらせながら石造物を説明します。

〇 鎌倉前浜の東西に位置する石造物
① 極楽寺(仏法寺)と満福寺(光明寺境内)
極楽寺には、忍性墓、千服茶臼、製薬鉢と井戸、極楽寺坂切通付近にあった西方寺(廃寺)には伝上杉憲方七層の墓・逆修塔が有り、仏法寺は津料をとる権限の和賀江島や殺生禁断権を持つ前浜など鎌倉湾・相模湾を一望し、海上交通を見張る要衝の地にあることから、光明寺移転以前(正中2年:1325)には極楽寺末寺満福寺があり、和賀江の管理・維持の拠点としていたと考えられます。その満福寺*の地蔵菩薩坐像背面に「  発願満福寺 仏師沙弥」と刻銘があります。  
 *満福寺は金沢文庫古文書に出てきます。

② 長谷寺と感応寺(廃寺)
弘長二年(1262)銘の三枚の板碑(前浜西:長谷寺    前浜東:廃寺の感応寺)

(ア)長谷寺の弘長二年銘(1262)の板碑
感応寺・光明寺一帯からみれば、長谷は浜の対称位置。弘長二年は西大寺叡尊の下向年。異界の前浜を支配したのは西大寺流極楽寺で、和賀江の維持管理権を得て、殺生禁断の地としたことから、この板碑が結界の標識である可能性が指摘されます。
(イ)五所神社の弘長二年(1262)板碑(重要美術品)
中央に大日如来を表す種子「バン」が剣に巻付いた竜になぞらえて蓮座上に直立。これは「大日変じて不動となる」意を表現したもので、感応寺(廃寺)*にあったものです。
(ウ)光明寺の弘長二年銘(1262)の板碑
蓮座上に安住する弥陀を種子で表したものです。寸法も幅も五所神社(感応寺)とほぼ同じで双対をなしています。
* 感応寺(廃寺)
 醍醐寺塔頭三宝院末寺。長谷寺同様に寺院創建の際に西大寺流律宗が関ります。
③ 長谷寺と安養院
徳治三年(1308)銘の宝篋印塔陽刻板碑(大工沙弥信阿)と宝篋印塔(大工沙弥心阿) 
(前浜西:長谷寺      前浜北東:安養院)

(ア)長谷寺の徳治三年(1308)銘の宝篋印塔陽刻板碑(大工沙弥信阿)
 観音像を遷座(昭和18年:1943)した際に、その足下から発掘された板碑です。
(イ)安養院の徳治三年(1308)銘の宝篋印塔(伝:尊観上人墓塔)(大工沙弥心阿)
本塔は尊観上人墓塔との伝があるが、川勝政太郎氏は刻銘に「…(観)上人之」があることから良観上人とみて、忍性の供養塔かと推定されている。塔の製作者は「大工沙弥心阿」。長谷寺宝篋印塔陽刻板碑(徳治三年)の刻銘にみえる「沙弥信阿」と同一人と推測されます。
④ 大仏(高徳院:前浜西)の鋳造と常陸国・般若寺の梵鐘(鋳物師:丹治久友)
忍性は弘安7年(1284)に永福寺・五大堂(明王院)・大仏(高徳院)の別当に任命されています。常陸国般若寺の源海上人は叡尊の弟子。丹治久友は鎌倉大仏鋳造に関わった鋳物師。また永福寺Ⅲ期の瓦は、鎌倉市内の極楽寺で出土した瓦と同様の意匠を持ち、忍性率いる造瓦集団との関連が指摘されています。
⑤ 別願寺:宝塔(伝、足利持氏墓):前浜北
第四代鎌倉御所足利持氏の墓の伝えがありますが、鎌倉時代末作で室町期ではありません。
⑥ 九品寺:石造薬師如来坐像:前浜東
九品寺は建武三年(1336)草創と伝わりますが、この石造薬師如来坐像は、永仁四年(1296)の銘から廃寺・感応寺から奉入されたものか?忍性の意を受けた箱根精進池の湖畔にある石造遺物群との関係性が言われています。
〇 市内他の石造物 
①光明寺(歴代住職墓:無縫塔=卵塔)、②浄光明寺(地蔵菩薩)、③覚園寺(開山塔、大燈塔、無縫塔群)、④大慶寺(宝塔)、⑤深沢文和五年銘塔(宝篋印塔:泣き塔)、⑥北野神社応永十二年銘(宝篋印塔)、⑦由比ガ浜明徳四年銘塔(宝篋印塔:伝畠山重保墓塔)、⑧浄妙寺明徳三年銘塔(宝篋印塔)、他


2022.03.05


啓蟄の候、卒業式・確定申告など一年を締めくくるときになりました。皆様にはいかがお過ごしですか? まん延防止等重点措置延長により、鎌倉ガイド協会の史跡めぐりは当分お休みです。4月史跡めぐり準備していましたが、本当に残念です。毎朝体温を測り、免疫力を高め、三密を避ける日々を過ごすしかありません。
大河ドラマでは鎌倉のシーンが多くなり、鶴岡八幡宮 参道横に大河ドラマ館が開かれています。大河ドラマ館発ガイドツアーも週末土日祝一日2回予約なしで、お一人でも参加できます。今回のまん延防止等重点措置延長により、大河ドラマ館発ガイドツアーは3/21までお休みになります。
3月の講演会募集締切ました。4月も予定しておりますが、改めてご連絡いたします。その際は、HPメールフォームからお申し込みください。 
御成町事務所は、3月21日まで閉鎖中です。以降、日直再開します。再会できる日を楽しみにしています。

写真:大船の我が家の梅にメジロが来ています。


2022.03.04


① ガイド協会創立30周年記念事業としてスタートしたが、地域貢献・全員参加で見事に成果をなしている事業である。スタッフに感謝!
② コロナ時代にあってガイド協会員が、存在意義を見出すことのできた活動である。
③ メンバーのモティベーションを維持するために、メディアを有効に使っている。
以上は、筆者の感想である。


2月17日石碑清掃PT会議が開かれ、筒木理事・岡田リーダーを含む各班からのスタッフ総勢6名が集まった。「あと一息で、目標80石碑の清掃・ペイントが終了し、報告書を作成できる。」との自信に満ちた会議であった。作業前・後 などの報告書は、4月提出。
全員参加: 各班は、4つのグループに分かれ、1グループは、3~4石碑を担当する。
作業経緯: 8月に鎌倉市へ作業の許可願・石碑保全の要望書を提出。11月地権者や寺社に、作業の申し入れ。12月下見開始 石碑周辺草刈・水洗い。1・2月石碑文字ペイント入れ。
コロナ対応:三密防止のため、石碑一つに作業3名以下・マスク手袋着用。まん延防止等重点措置下で、一部作業中断して調整。 広報ハヤシ


2022.03.01

大河ドラマ館は、鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムに10か月設置される。巨福呂坂入口から2階へ上がると、巨大な北条義時写真が出迎える。
・2階がドラマ館有料1000円で、NHK大河ドラマにたっぷり浸れる。
・あたかも自分がドラマに出演している気分、出演者とのツーショットが楽しめる。
・13人で参加型のパノラマ、デジタルサイネージ・4Kスクリーン・しゃべる肖像画ポスターと、デジタル技術満載。展示スタッフの助けが必要。iPhoneならOK。

・「大河ドラマ館発ガイド」受付は、2階ドラマ館を楽しんだ後、階段を下りてポスターが設置されている。平家池に面したところにスペースがあり、雨の日用。晴れの日用は、1F売店スペースを抜けて、鶴岡八幡宮 参道側に設置される。参道を行きかう人にも声をかけお知らせすることは可能。1Fは無料で開放されている。来館の方に事前に、ガイドがあることを伝えておくことが必要。 時間調整には、巨福呂坂入り口から平家池プロムナード、国宝館・源氏池側の牡丹園など。              広報・ハヤシ

*ガイド協会作成の「大河ドラマ館発ガイド」チラシを公開!3/12土曜より毎週土日祝


2022.02.27

世界平和を祈り、建立以来およそ760年一人座り続ける阿弥陀如来。特に雪の日・炎天下に座り続けるお姿に、毎朝高徳院の職員の方々が、手を合わせている姿が印象的です。
作品を拝見しましょう

『雪の日の高徳院。大仏様を取り巻く山々にも白く降り積もり、
幻想的な光景が広がりました。若い参拝者たちは声を上げて大喜び、
境内に笑顔が溢れていました。1/6 撮影 Z』

委員長のつぶやき;今年の鎌倉は、寒さは厳しいですが、雪との出会いは少ないですね。
その中でのシャッターチャンス見事です。新潟や東北・北海道の方々には、お見舞い申し上げます。 このツイートは、HP本文トップページ左下鳥マークからご覧になれます。

https://twitter.com/sfxnu9gpuipy0x1/status/1479400082302992389?s=21


2022.02.23


第1回講演会テーマ「伊豆の源頼朝そして青年・義時」3月15日(火)19日(土)両日とも
定員に達しましたので、締切りました。ありがとうございます。
第2回も予定しています。しばらくお待ちください。


2022.02.20


北条義時法華堂跡の先鳥居をくぐり石段を上り詰めると、石垣に囲まれた中に古墳時代の末期にみられる横穴墓を改装したやぐらが三つ並んでいる。中央に源頼朝の招きで鎌倉に来て、公文所や政所の別当として幕府の政治を進めた大江広元公の墓といわれるものがある。明王院を出てすぐの小道を…ハイキングコースを登っていくと、山頂に「はじめ弁天」神社があり、そこからさらに進むと、丘の上に大きな層塔が立っている。鎌倉幕府の基礎を固めた大江広元公の墓といわれている。明石橋を渡って向かい側の住宅地の中に「大江広元邸址」の史跡案内の石碑が立っている。
国道204号線(金沢街道)十二所バス停から徒歩3分にある大江稲荷は、明王院上の大江広元公墓と大江広元公屋敷跡碑との真中に祀られている。また、嘉禎元年〈1235〉建立明王院の敷地は大江季光〈大江広元公の四男〉の敷地であったこともあり、地元の人々に大切に祀られている。ご祭神・大江広元公の木像〈天保期作〉は、普段は明王院に祀られて いる。明王院は、大江稲荷の言わば別当寺にあたる。
お祭りを運営しているのは、地元十二所の大江稲荷講36軒の方々であり、今年の祭りはコロナ禍で関係者のみで行われた。2月12日10時半に明王院から、ほら貝の音を合図にご住職がお渡りになり、祭壇に祀られた大江広元公木像前で読経。地元の方々及び関係者が、各自お参りする。今年は、地元の方々、鎌倉市・観光協会の関係者約50名。NHK大河ドラマで、大江広元を演ずる栗原英雄氏が、駆け付け「三月から年末まで、出演します。」とご挨拶。「大江稲荷社」説明版除幕式にも参列された。 以上、初午祭りの報告であり、地元の人々のつながりを感じた。

大江広元公について「鎌倉人名辞典安田元久編 」では、次のように述べている。
『吾妻鏡では、元暦元年〈1184〉六月一日条が初見。中原親能〈大江広元の兄〉が源頼朝と親しい関係にあったことが鎌倉下向の要因であろう。同年十月に公文所が開設されるとその別当となる。 頼朝の信任厚く、常に幕府の中枢にあり、数多くの政策に関与し、幕府の基礎固めに尽力した。文治元年〈1185〉に守護・地頭の設置を頼朝に進言したことはよく知られている。正治元年〈1199〉正月の頼朝没後も、政子の信任を受け依然として将軍側近としてしての立場を保持し、二代将軍頼家の下での宿老十三人による合議制にも加わった。同年十一月に66名の御家人が連署して梶原景時を弾劾した事件でも、頼家への取次ぎを和田義盛・三浦義澄らは広元に依頼している。
元久二年〈1205〉には六月に畠山重忠追討、七月に時政出家、平賀朝雅追討などの事件を経て、義時と結びつく。それは広元にとっては幕府内での自己の地位の保全のために他ならなかったが、優れた事務官僚である彼の存在は結果として義時の執権政治の成立に貢献することになった。
承久三年(1221)承久の乱がおきるが、五月十九日の軍評定で、幕府首脳の意見が足柄・箱根を固め京都側の来攻を迎え撃つ守戦論にまとまりかけていたときに、広元は積極的に京都に攻め上ることを主張した。この意見が受け入れられ、戦いは幕府側の勝利となった。』 その後、大江広元公のご子孫は全国に及び、とりわけ、地元十二所は広元公を崇敬し、絆のシンボルとしてお祀りしている。

参照文献  鎌倉・室町人名辞典安田元久編 新人物往来社昭和60年
鎌倉子ども風土記第13版  大江稲荷社説明版


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