トピックス

2019.09.12

9月8日(日)の夜半、関東地方(鎌倉地方)を直撃した台風15号ですが、
皆様のお宅への被害は如何だったでしょうか。何もなかったことをお祈りするばかりです。

鎌倉市のハイキングコースは、天園ハイキングコース、祇園山ハイキングコース、葛原岡ハイキングコース共、倒木や地滑りにより、通行に危険が伴う状況が発生しているということで、原則として通行禁止になりました。
(現在のところ、復旧の時期は未定)
これからが、ハイキングの季節到来という時に、残念の一言です。

ただ、幸いにも、9月10月実施予定の当協会の史跡めぐりコースには、ハイキングコースが含まれておりません。
安全にご参加していただけますので、どうぞ奮ってお申込下さい。

* 11月末実施予定のBコース「地獄・極楽めぐり-鎌倉湖畔紅葉狩り-」では天園ハイキングコースを歩く予定です。変更が生じた場合は、追って、このトピックス欄でお知らせ致します。


2019.09.07

韮山・光照寺(征夷大将軍源頼家公の「病相の面」)~北条政子産湯之井戸&堀越御所跡~願成就院(ご法話、運慶作の国宝五軀の仏像群、宝物館、北条時政公墓所等)~韮山反射炉~(昼食休憩)~韮山代官-江川邸~江川家菩提寺の本立寺(北鎌倉・東慶寺の梵鐘)~小田原北条氏による山中城跡
伊豆の国歴史ガイドの会の皆様にお世話になりました。

山中城跡障子堀。

午前中の雨が嘘のような、西の丸物見台からの障子堀の眺めです。
小田原北条氏の特長が良く現れている堀で、障子の桟(さん)のように見えるところから
障子堀と呼ばれます。ここは用水池を兼ねた水堀で、山城では非常に珍しいものです。
障子掘は、畝の部分が複雑なので、敵にとっては動きも制限されてしまいます。(林 国雄記)


2019.09.02


そろそろ衰えを見せるはずの残暑が日中は相変わらずですが、朝夕の風にほんの少しばかり秋を感じるようになってまいりました。お障りなくお過ごしでしょうか?
9月、長月に入りました。日の暮れが段々早くなり、秋が深まる頃で、「長月」とは、夜が次第に長くなる「夜長月」や、秋雨が多く降る時季をいう「長雨月」などが略された異称ということです。

さて、今月ですが、ABコースでは、本年「没後500年」を迎える小田原北条氏の祖・北条早雲をとりあげ、2部構成の史跡めぐりとなっています。
Aコース(第1部)は早雲開基の天嶽院でご法話と坐禅を体験していただいた後、早雲の子・氏時開基の二伝寺に参拝します。
Bコース(第2部)は清泉女学院校内にあるため、普段は入れない玉縄城址の「諏訪壇」を特別見学します。
お時間がございましたら、是非ご参加下さい。
* Aコースは9月上旬に実施予定です。お申し込みはどうぞお早めに。
また特別企画のCコースは「源頼朝 落馬伝説の地と大庭景能館跡を巡る」、と題しまして、茅ヶ崎で鎌倉ゆかりの史跡をたっぷりお楽しみいただきます。

吹く風も心地よい好季節となってまいります。皆様、どうぞ奮ってお申込み下さい。♪
〈画像はBコース:玉縄城址から久成寺方面に下りる坂・ふあん坂です〉


2019.08.25

鎌倉ガイド協会では、今月末より、チラシ等のネット配信を始めました。
既にお申込の皆様には、24日付けで送らせていただいておりますが、数名のお客様には残念ながら、送信出来ませんでした。

携帯用メールアドレスからお申込みのお客様へ
リターンメールで戻ってきました。
PDFファイルが受信出来ない設定になっているのかもしれないと、文章のみで送信してみましたが、同じようにリターンメールで戻ってきました。
ご自身で迷惑メール防止機能の受信拒否などを設定されていない場合でも、携帯電話以外からのメールは受信しないよう、標準設定されていることがあります。
この場合、当協会からのメールは届きません。
お心当たりのあるお客様は、ご契約中の携帯電話会社へお尋ね下されば幸いです。

User unknownのお客様へ
メールは大変便利ですが、一字でも違うと、届きません。
メールアドレスは正確にご記入いただければと存じます。

どうか、ご理解ご了承のほど宜しくお願い申し上げます。


2019.08.19

お盆を過ぎてもまだまだ蒸し暑い日が続いていますが、皆様、お変わりなくお過ごしでしょうか。
画像は、Bコース(炎暑一掃 地底伽藍「田谷の洞窟」参拝)で最初に訪れる小雀五霊神社の手前、草むらの中に佇む庚申塔・供養塔です。
向かって右、下部に三猿がついているものが延宝年間(1673~81)、次に古いものが向かって左の念仏供養塔で天和3年(1683)、真ん中の庚申塔は享保7年(1722)になります。
さりげない路傍の石仏にも長い歴史を感じますね。

さて、今月下旬に実施予定されているB・Cコースですが、Bコース28日の実施日のみ、まだお申込み可能です。
宜しかったらどうぞお早めに。

それから、ホームページに早々と10月史跡めぐりコースが記載されています。
お知らせがすっかり遅くなってしまい恐縮ですが、10月はAコースを分割企画しています。
「ありがとう おじぞうさま!」という共通のテーマのもと、A1、A2の2つのコースが設定されていますので、
どうぞお間違えのないようお申込み下さい。

まだまだ寝苦しい夜が続くようですが、夏バテしないよう、どうぞお身体をお大切に。
お元気で史跡めぐりへのご参加、お待ちしております。


2019.08.12

9月Cコース「源頼朝 落馬伝説の地と大庭景能館跡を巡る」の実施日にご注意!
7月下旬から8月初旬にかけて配布しました9月Cコース・チラシの一部に実施日の誤り(9月1日、5日、7日)があるものが混入していましたので、お詫びし訂正いたします。

正しい実施日は9月12日(木)・17日(火)・28日(土)ですのでご注意下さい。


2019.08.09

8月Aコース「《祝 開館》鎌倉文華館 鶴岡ミュージアム&ぼんぼり祭~鶴岡八幡宮参詣・鎌倉文華館入館・ぼんぼり祭(自由観覧)~」が盛況のうちに終了しました。
ぼんぼり祭りがはじまった当時ですが、鎌倉在住の文士たちを中心に揮毫された書画は150点ほどだったそうです。
それから約80年、近年では、約400点ほどの書画が奉納されています。
夏越祭・立秋祭・実朝祭という神事も含まれるぼんぼり祭、炎暑といえども黄昏時、Aコースご参加の皆様には、きっとお楽しみいただけたことと思います。

さて、お次はB、Cコースの出番です。Bコースで訪れる燈明寺には運慶様式の「阿弥陀三尊像」が祀られています。
境内には中村汀女の句碑もたっています。
「木蔭はや 彼岸詣での 肩袂」

手水舎のリアルな龍と、バックに写っているのがその句碑になります。


2019.08.03


暑中お見舞い申し上げます。
先が思いやられる厳しい暑さの毎日、皆様、いかがお過ごしでしょうか。
8月は葉月(はづき)といいます。旧暦では落葉が始まる秋の訪れの頃とか。木の葉が落ちる「葉落月」からこの名称が使われるようになったとする説や、北方から初めて雁が来る頃なので、「初来月(はつきづき)」などが変化したものという説もあるそうです。

さて、8月初旬(8日、9日)はAコースで鶴岡八幡宮をお楽しみいただきますが、下旬になりますと、Bコース、Cコースの実施日が控えています。
8月は、暑さ対策もあり、全て半日コース。午前中の暑さが凌ぎやすい時間帯に、Bコースの壮大な地底伽藍「田谷の洞窟」など如何でしょうか。修行道場としての「喩伽洞」、喩伽=仏と己の調和=禅。暑さを忘れるひとときをお約束します。
Cコースは人気の路地歩き、今回は鎌倉のド真ん中の路地歩きです。コースの最後は、カトリック雪ノ下教会での司祭様のお話とパイプオルガンの演奏鑑賞。ひと味違う特別コースです。

お時間がございましたら、どうぞご参加下さい。お申込、お待ちしております。

画像は、Bコースで訪れる小雀公園で、「ミズカンナ」。


2019.07.25


関東地方の梅雨明けが待たれますね。もうじき夏本番です。お変わりなくお過ごしでしょうか。

7月の史跡めぐりですが、残りのBコースも、既にお申込締切が過ぎました。昨日、4日間の実施日の初日でしたが、お陰さまで盛況のうちに終了しています。
さて、次の8月史跡めぐりはAコースから始まります。
鎌倉の観光スポット、不動の第1位は鶴岡八幡宮。その八幡宮にお詣りして、今年6月に開館した鎌倉文華館 鶴岡ミュージアムに入館、後は境内のぼんぼり祭りをお楽しみいただくというコースです。
暑さを避けて、受付開始は14時30分から。お時間がございましたら、どうぞ奮ってご参加下さい。
お申込み、お待ちしています。

画像は、昨年のぼんぼり祭から、ぼんぼりに灯火を入れる巫女さん方です。


2019.07.18

満開のブーゲンビリアや凌霄花の下、地震・津波防災避難訓練が行われました。

【想定】「7月13日(土)12時45分、ガイド中に、マグニチュード8.4巨大地震発生により、12.9mの津波発生」
「鎌倉市内5か所から、夫々の避難場所に、8分以内に、到着できるか」
各班単位、自らの足で、確認しました。
訓練後、鎌倉消防署3Fにて、全体会に先立ち、高橋会長から「自分たちの事として、訓練をとらえよう。」と、元気なご挨拶。

14時から、鎌倉市総合防災課・松野様のご指導で、「防災DVD」を視聴。
「地震被害は、防ぐことはできないが、備えることはできる。」
「東日本大震災では、津波到達時間25分だが、南海トラフ地震では、数分。」の状況を映像で確認。
14時30分、各班班長から、本日の想定場所から避難場所への行動報告と、問題点の指摘が提示されました。
「最速8分・最大高14.5m・高いところへ・てんでんこ」自作のプラカード提示。
「避難場所第一中学の裏山は、がけが崩れそうで危険」
「指定されている由比ヶ浜KKR鎌倉わかみやビルには、本当に避難できるの?」
「避難場所が2箇所あれば、川を渡らない方を選ぶ」
など、各班で体感した発言がありました。

「『助かるんだ』の強い気持ちが、自らを助ける。」
「情報を待っていては、遅れる。感じたら行動。」の鎌倉消防署・松野様からの強い助言で、参加ガイド60名は、防災意識を高めました。(林 国雄記)


2019.07.14


このところ鬱陶しい毎日が続いていますが、七夕が終わり、そろそろ本格的な夏の暑さが始まる頃です。
木立の緑もますます色濃く感じられるようになりました。
皆様、お元気でお過ごしでしょうか。

7月の異称は文月。旧暦では稲穂が出る頃で、「穂見」や「含み」に由来し、稲穂の膨らみを見る月であるため、「穂含月(ほふみづき)」から転じたといわれています。
七夕の短冊に願いを書いたことから「文」の字を当てたともいわれるようです。

さて、今月の史跡めぐりですが、Cコースの平塚八幡宮・七夕まつりは既に実施終了、Aコースもお申込締切日を過ぎております。
残すはBコース「海風そよぐ緑の江の島~東京オリンピックまで1年、セーリング競技会場も見学~」のみですが、お時間がありましたら、是非ご参加下さい。
江島神社のお詣りはもちろん、来る東京オリンピック2020でセーリング競技会場になるヨットハーバーも訪れます。
セーリングワールドカップシリーズ江の島大会(8/25~9/1)目前で各国の選手達も多く、いつもと違った江の島を発見できるかもしれません。
どうぞご期待ください。

(画像は、平塚八幡宮で短冊奉納するご参加の皆様です)


2019.07.07

鎌倉ガイドにとって、建長寺は、語り尽きない。関谷さんの目を通して、三門 方丈 仏殿 総門 唐門 西来庵山門 正続院 半僧坊 について伺いました。

<三門>                                         
建長寺総門をくぐると直ぐに三門がある。三間二階二重門としては鎌倉最大の門で、後深草天皇の筆になる大扁額「建長興国禅寺」を掲げる。後深草天皇は、建長寺創建時の天皇で、鎌倉幕府の全盛期ともいうべき五代執権時頼から八代執権時宗の時代を京において天皇、上皇として過ごされた興味深い姿が「増鏡」や「とわずがたり」などの記録に残されている。

<後深草天皇>                                      
後深草は、後嵯峨天皇を父とし西園寺実氏の娘で中宮姞子を母として寛元元年(1243)6月に生まれた。同母弟に亀山天皇が、異母兄に建長寺第14世となる高峰顕日、鎌倉幕府将軍となる宗尊親王がいる。                                
寛元四年(1246)6月、後深草は4歳(数え年、以下同様)で即位し、父後嵯峨上皇の院政が始まる。
建長五年(1253)11月、建長寺は落慶供養。この年の正月、後深草は11歳で元服した。増鏡は「いとあてにおわしませど、余りにささやかにて、又、御腰などあやしく渡らせ給ふぞ口惜しかりける。」と、上品ではあるが小柄で腰もしっかりと立たないのが残念だと伝えている。この為もあってか後嵯峨は、活発な亀山を寵愛し、後に持明院統、大覚寺統の分裂を生む。元正元年11月(1260年1月)、後深草(18歳)は、亀山(12歳)に譲位させられた。               
文永九年(1272)、後嵯峨法皇崩御、後嵯峨は、治天の君の決定を幕府にゆだねた。幕府は、後深草、亀山両人の母である大宮院(姞子)に後嵯峨の意図を確認し、亀山天皇(24歳)の親政が始まる。   
文永十一年(1274)蒙古襲来の年、亀山は後宇多天皇に譲位して上皇となり院政を始めた。皇統は亀山の系統に決定的となり後深草は不満を募らせた。翌春、後深草はついに上皇退位の意向を漏らす。驚いた幕府は、後深草の皇子伏見を亀山の猶子として立太子させ、後深草は退位を思いとどまった。

<治天の君>                                       
弘安十年(1287)、霜月騒動の後、幕府は、後宇多の退位を奏請し、伏見天皇が即位した。その2年後、後深草の孫・後伏見(2歳)を立太子させ、さらに、鎌倉の将軍惟康親王を京都に送還し、後深草の皇子久明親王を将軍として鎌倉に迎えた。後深草は、天皇と将軍の父となり、治天の君として都に君臨した。
正応三年(1290)、後深草は日記に次のように書き残し出家する。
「今生の栄を思い、いよいよ来世の果を恐れ、たちまち太上天皇の号を解き、すみやかに釈尊の遺弟として、二世の願望成就の条、喜悦肝に銘ずるものなり。」満足した気持ちが素直に残されている。

<方丈>                                         
方丈は、創建当初から建立されたが何度か災害にあい、寛永十年(1633)、建長寺を訪問した沢庵和尚は、「方丈は百年におよびこれ無く・・」と記述。それから間もない寛永十八年(1641)再建されたが、その方丈も関東大震災で倒壊した。現在の建物は、昭和15年(1940)、京都の般舟三昧院から移築された。

<般舟三昧院の歴史>                                     
般舟三昧院(以下、般舟院)は、文明年中(1469~87) 後土御門天皇(鎌倉光明寺を勅願所とし、十夜法要を許した天皇)が、幼少期を過ごした離宮の伏見殿を勅願寺としたことに始まる。当初は真言・律・天台・浄土の四宗兼学で、東山の泉涌寺とともに皇室の香華院であった。伏見殿は、後深草が伝領し持明院統に伝えられた長講堂領の離宮で 、後深草が亀山や後深草二条らと過ごした記録が残る。   
文禄三年(1594)、般舟院は、当地に伏見城を築城した豊臣秀吉の命で千本今出川に移された。
明治四年(1871)、神仏分離にともない、般舟院に安置されていた歴代天皇の位牌は泉涌寺に移され、敷地の大部分は、上京第七番組小学校(現在の嘉楽中学校)となった。今、嘉楽中学校の門前に「禁裏道場跡」の碑がたつ。石碑左側面に、碑文が刻まれている。「本校元講堂ハ御歴代御尊牌ヲ奉安セシ所ニシテ本校元正門ハ桜町天皇御殿門ノ下賜ニ係レリ」 「今年(昭和十五年)夏建長寺ノ懇請ニ遭ヒ大正十二年震災大破ノ仝寺複旧ヲ助援シ前記講堂正門ノ二ツナガラ仝寺ニ諒与セリ」  
般舟院は、享保十五年(1730)大火に遭って霊牌殿が被災し、その後、享保十七年(1732)に再建された。建長寺総門も般舟院より移されたものだが、その前歴は、桜町天皇御殿門で、天明三年(1783)の建立。

<仏殿>                                          
仏殿は、寛永五年(1628)徳川第二代将軍秀忠夫人崇源院の御霊屋(霊牌所)として芝増上寺に創建され、20年を経て、正保四年(1647)、建長寺に仏殿兼法堂として移された。何故、由緒ある建物を移すことになったのか?二説ある。式年遷宮にならい創建20年を経た御霊屋の作り替えであるとの説と、崇源院の葬儀とこの御霊屋を差配した家光の弟忠長への遺恨がその理由だという説である。

<崇源院、家光、忠長>                                        
崇源院は、秀忠との間に、家光、忠長ら2男5女に恵まれた。秀忠や崇源院は、病弱で吃音があった竹千代(家光)よりも容姿端麗・才気煥発な国千代(忠長)を寵愛した。そして、それらに起因する竹千代擁立派と国千代擁立派による次期将軍の座を巡る争いがあったが、元和元年(1615)春日局による家康への直訴により、竹千代の後継指名で決着したことはよく知られている。       
元和九年(1623)家光は征夷大将軍の宣下を受ける。

<寛永三年(1626)>    
この年9月、大御所となった秀忠と将軍家光は、京都二条城に後水尾天皇を迎えた。所謂、「二条城行幸」で、徳川の世となったことを天下に示す一大デモンストレーションであった。5日間に渡る行幸を終えた翌日の9月11日、江戸より早馬が到着する。徳川実記は、「此日関東より大御台(崇源院)御病危篤のよし告げる。・・・駿河大納言忠長卿は即日出京有りて、夜を日について道を急ぎはせ下らる」と伝える。しかし、15日崇源院は亡くなり忠長は間に合わなかった。秀忠と家光は、それぞれ太政大臣、左大臣に昇任、その後も行事が続き、直ぐに江戸に戻るわけにはいかなかった。     
崇源院の葬儀が行われたのは10月18日であった。麻布野で荼毘に付され、芝増上寺に葬られた。忠長がこれを行った。秀忠は駿府にあって代理を送った。家光の動静の記録はない。

<崇源院霊牌所と唐門>                                    
寛永五年(1628)9月崇源院三回忌に合わせ増上寺に霊牌所が造営された。9月10日 家光はこの霊牌所に詣でている。寛永十一年(1634)頃に作られたとされる「江戸図屏風」(国立歴史民族博物館所蔵)に、秀忠の台德院霊廟の北隣に単棟の崇源院霊牌所が鮮やかに描かれている。これが現在の建長寺仏殿で、後に方丈前の唐門と西来庵の唐門とともに移された。屏風絵をよく見ると霊牌所前の中門は、平唐破風門である。ということは西来庵唐門ということになる。では、現在方丈の前の向唐破風の門はどこにあったのか? 昭和34年、戦災を受けた増上寺墓地の調査が行われた。崇源院の墓塔と伝わる石造の八角宝塔の土台が除かれると、その地中から複数の石造物が出てきた。組み立てれば5mを超える宝篋印塔で、塔身に崇源院の名が刻まれ、その櫃の中には木炭と人骨があった。崇源院の最初に造られた宝塔である。報告書は、その埋設の様は粗略で意外の感を受けたと記録している。              
二代目の墓塔である八角宝塔の前には、明治初年まで唐門が建っていた。建長寺方丈の前にある向唐破風の唐門は、初代の宝篋印塔の前に建っていたと想像することができないだろうか? そして、家光と秀忠の確執を垣間見る思いがしないだろうか?

<正統院>    
正統院は、高峰顕日の塔頭で、江戸初期には荒廃し、春日局により中興された。今、正統院本堂に「中興開基 麟祥院殿仁淵了儀尼大姉」と書かれた春日局の位牌が残る。            
何故、正統院は、春日局によって中興されたのか疑問に思っていたが、最近、正統院本堂にある高峰顕日坐像の胎内納入木札にその答えがあることを知った。木札には「征夷大将軍家光公の命を以て、(春日局を)正統庵中興開山と成さ令む」とあった。将軍家光の命令であった。その故は、西岸院の庵を正統庵に移すためだという。西岸院とは、崇源院の従姉妹で春日御局之内の人であった。崇源院の死後、出家して鎌倉で崇源院の菩提を弔った。その西岸院が亡くなったので庵を移すのだという。では何故、家光は正統院を中興し移させたのか? 当時、正統庵を訪ねた沢庵和尚は「空房にして白日老鼠が行きかい、野狐、夜に入りて宿す。」と嘆いている。建長寺や正統庵の荒廃を家光に知らせるものがあるとすれば、家光が帰依した沢庵ではないだろうか。しかし、沢庵は正統院を何故そこまで気遣ったのか? 沢庵は大徳寺派の僧だが派祖の宗峰妙超は長く高峰顕日のもとで修業したので、大徳寺派の人達は高峰顕日を派祖同様に大事にするとは正統院ご住職のお話であった。正統院は寛永十六年(1639)中興、建長寺の仏殿の移建は、正保三年(1647)で沢庵が亡くなった翌年の事である。

<半僧坊 品川 沢庵和尚>    
半僧坊の石造手すりには「品川講社」「北品川相模楼」の文字が読み取れる。お気づきであろうか?多くの品川の貸座敷の名が刻まれている。また、畳職、鳶、廻船などの職種もみることができ品川宿の人々の講社が造ったことが分かる。講元の板には明治36年と刻まれている。品川宿の西に家光が沢庵を開山として創建した東海禅寺がある。かつては塔頭17を数える大寺であったが、明治になって学校用地や鉄道用地に切り刻まれた。わずかに残された墓地に沢庵は眠る。辞世の偈は「夢」であった。

建長寺を往きつ戻りつ、思いつくまま所縁の人々のことを想い、調べているうちに思いがけずも、幾多の縁を知ることとなった。今日の話は、私の見た「夢」みたいなことでしたが、お楽しみいただけたなら幸いです。

 

(講演内容は、パワーポイント96枚。文章A4 22ページと膨大なものでした。)
*****もう少し調べてみたい。この細い道を行ったら、何処に行くのか?つい、スケジュールに追われ、出来ないままに居たことを、関谷さんは、やってくれました。最初は、小さな気づき「おや」から、疑問「?」、調べる。これは楽しく、時間を忘れます。次の疑問につづく。この波に乗り遅れた方のために、まとめてみました。直接、関谷さんに、お尋ねいただくのもいいですね。(林国雄記)


2019.07.01


PART8に引続き、PART9の会員募集案内です。
鎌倉とその周辺では毎月伝統のある「祭」が神社や寺院で行われています。
「祭」それは神・仏への饗応であり「饗応」の本番は会食といえます。
「祭」を楽しみ、合せて鎌倉と周辺の名店で「会食」を楽しむ参加者を募集します。
ベテランのガイドが祭りの解説をし、ご案内を致します。
【祭】:PART9
第1回 達磨忌(円覚寺)        2019年10月 5日(土)
第2回 一ッ火(遊行寺・藤沢)       11月27日(水)
第3回 火伏まつり(満福寺・小田原) 2020年 1月28日(火)
第4回 花まつり(建長寺)           4月 8日(水)
第5回 瀬戸神社例大祭(瀬戸神社・横浜)   5月15日(金)
第6回 祇園舟(富岡八幡宮・横浜)      7月12日予定
第7回 皇大神宮例大祭(皇大神宮・藤沢)   8月17日(月)
(祭は事情により、変更する場合があります)
【食】:各地域の名店(その都度ご案内します)
*会員は「祭」と「食」両方に参加していただきます*

[募集定員] PART9:40名 (お申し込み多数の場合は抽選になります)
   ※応募条件:全7回中5回以上に出席可能な方
[応募締切] 2019年8月20日(火)(必着)
[参 加 費] 年会費(通信費他):2,000円  (初回参加時にいただきます)
        各 回 参 加 費  :1,000円/回(各回参加時にいただきます)
※会食費は実費負担:2,000~3,500円、 ※拝観料・交通費は別に実費負担
[参加お申込み方法]
 ○往復はがきに、①コース(「祭と食」PART9)、②住所、③氏名(ふりがな)、④電話番号
(固定および携帯)、⑤FAX番号、⑥メールアドレス(所有の場合)を明記の上、申込先へ
お送り下さい。 
※お申込みは一通につき1名様。往復はがき以外のお申込みは無効です。
 ○当選した方には会員証(詳細についてはその都度ご案内)をお送りします。
[申込先] 〒248-0014 鎌倉市由比ガ浜4-1-1
     NPO法人 鎌倉ガイド協会 「祭・食」PART9係
[問合せ] 9:30~15:30(休日:第2土曜日) TEL:0467-24-6548 FAX:0467-24-6523


2019.06.22

6月ABCコースの実施日10日が恙無く終了しました。
特に6月Aコース最終実施日20日(木)は天候にも恵まれ、申込数155名に対し予想を上回る161名のお客様がご参加下さり、大盛況でした。
多くのお客様から、「一条恵観山荘」や滑川に架かる「橋」めぐりという新しい切り口のコースをご称讃いただきましたこと、改めましてお礼申し上げます。

さて、7月史跡めぐりはまず特別企画のCコース(5日、6日)から始まります。平塚八幡宮「開運七社詣」と七夕まつり、締め切り日が近づいてきています。どうぞ奮ってご参加下さい。
Cコース終了後は中旬にAコース(山水納涼の霊場 神武寺の特別拝観)、下旬にBコース(海風そよぐ 緑の江の島)が控えています。

毎月変わる鎌倉ガイド協会の史跡めぐり、お客様に喜んでいただけるよう、コース企画等全力で取り組んでいます。どうぞ奮ってご参加下さい。

(画像は神武寺の緑豊かな裏参道で)


2019.06.10


いつのまにやら入梅、そして梅雨時のはっきりしない空模様が続いています。
6月は水無月と言われ、新暦では梅雨時ですが、旧暦では梅雨が明けた夏の酷暑の頃。厳しい日照りが続き田の水も涸れて干上がり、「水の無い月」という事から、このように呼ばれたようです。また、田に水を張る「水の月」という説もあるそうです。
梅雨冷えの折、皆様、どうぞくれぐれもお身体を大切になさって下さい。

さて、今月の史跡めぐりのお誘いです。
Aコースでは「滑川」を遡り、10の橋を渡ります。コースの最後は、一条恵観山荘。庭園では、日本古来の山紫陽花を存分にご鑑賞いただけることと思います。
Bコースは東国花の寺、「東慶寺・浄智寺・海蔵寺・英勝寺」を訪れ、当協会員による落語をお楽しみいただきます。
特別企画のCコースは中の道シリーズ第5弾、畠山重忠公ゆかりの旧跡をめぐります。

美しい紫陽花が咲き揃う季節、どうぞ、今月も鎌倉ガイド協会の史跡めぐりで楽しい一日をお過ごし下さい。
ご参加、心よりお待ちしております。
(画像はAコースから東勝寺橋です)


2019.06.01


2019年度はPART8とPART9を催行いたしますが、今回はPART8の募集案内です。
鎌倉とその周辺では毎月伝統のある「祭」が神社や寺院で行われています。
「祭」それは神・仏への饗応であり「饗応」の本番は会食といえます。
「祭」を楽しみ、合せて鎌倉と周辺の名店で「会食」を楽しむ参加者を募集します。
ベテランのガイドが祭りの解説をし、ご案内を致します。
【祭】:PART8
第1回 薄念仏(遊行寺)      2019年 9月15日(日)
第2回 湯立神楽(白旗神社)         10月28日(月)
第3回 御鎮座記念祭(鶴岡八幡宮)       12月16日(月)
第4回 左義長(大磯北浜海岸)   2020年 1月12日(日)
第5回 節分会(遊行寺)            2月 3日(月)
第6回 国府祭(六所神社・大磯)        5月 5日(祝)
第7回 建長寺開山忌(建長寺)         7月23日(木)
(祭は事情により、変更する場合があります)
【食】:各地域の名店(その都度ご案内します)
*会員は「祭」と「食」両方に参加していただきます*

[募集定員] PART8:40名 (お申し込み多数の場合は抽選になります)
   ※応募条件:全7回中5回以上に出席可能な方
[応募締切] 2019年7月22日(月)(必着)
[参 加 費] 年会費(通信費他):2,000円  (初回参加時にいただきます)
        各 回 参 加 費  :1,000円/回(各回参加時にいただきます)
※会食費は実費負担:2,000~3,500円、 ※拝観料・交通費は別に実費負担
[参加お申込み方法]
 ○往復はがきに、①コース(「祭と食」PART8)、②住所、③氏名(ふりがな)、④電話番号
(固定および携帯)、⑤FAX番号、⑥メールアドレス(所有の場合)を明記の上、申込先へ
お送り下さい。 
※お申込みは一通につき1名様。往復はがき以外のお申込みは無効です。
 ○当選した方には会員証(詳細についてはその都度ご案内)をお送りします。
[申込先] 〒248-0014 鎌倉市由比ガ浜4-1-1
     NPO法人 鎌倉ガイド協会 「祭・食」PART8係
[問合せ] 9:30~15:30(休日:第2土曜日) TEL:0467-24-6548 FAX:0467-24-6523


2019.05.27

連日、はや本格的な夏を思わせる日盛りです。お変わりございませんでしょうか。

5月26日(日)、市内一斉清掃「クリーンアップかまくら2019」に当協会からも11名参加し、晴天の下、下馬から二の鳥居間の清掃に携わりました。
元気な協会員たちのスナップ写真です。


2019.05.13

満員御礼
5月特別企画Cコース(浄楽寺運慶仏と葉山御用邸)の実施日令和元年6月1日(土)は、定員に達しましたので、申込を締め切りました。ありがとうございました。


2019.05.08

携帯用メールアドレスで、史跡めぐり定型フォームからお申込のお客様は、ご自身で、
迷惑メール防止機能の受信拒否などを設定されていない場合でも、携帯電話以外からのメールは受信しないよう、
標準設定されていることがあります。その場合、当協会からの返信は届きません。

ご不明な場合は、ご契約中の携帯電話会社へお尋ね下されば幸いです。
なお、当協会では、リターンメールには極力、電話連絡を入れて対処しております。


2019.05.01

新たな気持ちを胸に進んで行きたいですね。
皆さまのご健康と益々のご活躍をお祈り致します。

さて、風薫る5月は皐月の異称があります。
旧暦では梅雨。「皐月晴れ」は梅雨の晴れ間のことでした。早苗を植える「早苗月」の呼名が略されたと云われています。また、耕作を意味する古語の「さ」に、「神にささげる稲」という意味がある「皐」を当てたとも。

鎌倉ガイド協会の今月の史跡めぐりAコースは、明月院拝観後、明月院口から天園ハイキングコースに上り、大平山を経て、珍しく釜利谷方面に向かいます。昇堂する白山東光寺はもと鎌倉薬師堂ヶ谷(現鎌倉宮辺り)にあって、医王山東光寺と称し、畠山重忠公開基と伝わるお寺。歴史ファンの多い、頼朝公の寵臣・畠山重忠公を偲ぶいい機会です。
また、Bコースは、鎌倉幕府が壊滅した元弘3年(1333)5月22日に因み、極楽寺の転法輪殿に安置される新田義貞公の陣太鼓をご覧いただき、古戦場ゆかりの場所を歩いて、歴史の真実を探ります。
Cコースは、申し訳ないのですが今月は定員制(150名)でして、6月1日(土)のみ、現時点で若干の空きがあります。参加ご希望の方はお急ぎ下さい。
毎度のご贔屓、心より感謝しております。

それでは、皆さま、今月も鎌倉ガイド協会の史跡めぐりで楽しい一日をお過ごし下さい。

(画像は葉山公園から御用邸に向かう折、渡る臨御橋です)


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