龍隠庵は、応永26年(1419年)頃、長尾忠政の外護のもと、円覚寺137世“芳隠省菊”により、先師円覚寺102世“大雅省音”の塔頭として開創された。 当初は龍隠軒と称し、円覚寺塔頭「宝珠院」内の寮舎でもあった。 応永33年(1426年)塔頭に加わった。 その後、「宝珠院」が衰退し「龍隠軒」のみが残り、永正6年(1509年)長尾顕忠の妻幸春尼(華渓幸春大姉)の外護により再興された。 その後、庵の場所は度々移転した。 龍隠庵は、太田住職が住職になられた時は、現在円覚寺の墓地になっている場所にあり、その後、現在地に移転した。 |