本覚寺の楼門は、それ以前にあった四脚門が1862年(文久二年)に消失、明治の初期に他寺(名前、所在地など不明)から移築されたものということです。 "部材の入れ替えが多く判定は困難であるが、建築年代は江戸時代後期、十九世紀初期ではないか"とされています。(資料) 初層、上層とも桁行(横)三間、梁間(奥行き)二間の三間楼門で、瓦葺の入母屋屋根です。
柱と柱の間は、初層で中央の桁行が約3メートル、その他はすべて約2.1メートルです。上層は下層に比較してやや狭く、柱の間は約1.85メートルです。
全体としては和様の特徴が見られます。柱は真っ直ぐで、禅宗様のような両端の丸味(粽:ちまき)がありません。(写真上左)
斗きょう(「きょう」は「木」偏に「共」と書きます)は和様で、肘木の下部には角があり、禅宗様に見られる丸味がなく、肘木の上の面もまっすぐで、曲線の彫り(笹繰り:ささぐり)がありません。(写真上左)
斗きょうの間には、撥束(ばちつか)が配置されています。(写真上右)
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上層は、長押(柱と柱をつなぐ横材で、柱の外側につく)が用いられ、やはり和様です。両側の窓は連子窓(れんじまど)と呼ばれるものです。(写真上左) 上層の中央の出入り口(扉があった)の上部には、”眉方の虹梁”がつき、(写真上右)これが特徴的とのことです。
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下層の両脇には仁王様を配しています。
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なお、本覚寺の本堂は大きく立派な建物で、
大正七年の建造です。
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