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成就院訪問記

2005年1月27日

極楽寺切通しの「あじさい寺」真言宗大覚寺派普明山法立寺成就院
平成17年1月27日にお尋ねしました。

江ノ電長谷駅を、海岸方面へ向かい極楽寺切通しへ、鎌倉十井の一つ
「星の井」と「虚空蔵菩薩」を右に見て 、左に見える石段を上がる。

季節には、紫陽花が咲き誇る石段をゆっくり上がると頂上左に山門がある。
振り返ると 由比ガ浜の海岸が一望でき、景色は素晴らしい。

長谷駅・極楽寺駅どちらからも徒歩10分ぐらいか。

所在地 : 鎌倉市 極楽寺 1−1−5



山門 切通し
成就院山門参道より極楽寺方面を望む

参道の石段から極楽寺の切り通し(現在の)を眺めながら山門へ、
振り返ると鎌倉の海岸が望める。参道は、人間の煩悩の数と 同じ108段で、
また、般若心経の文字数と同じ262株の紫陽花が植えられている。

海岸 紫陽花
山門前から鎌倉の海岸を望む季節には紫陽花が参道に咲き誇る

山門を抜けると、右に弘法大師修行像・本尊分身縁結び不動明王三尊・
子安地蔵菩薩が祀られている。左には、成就院寺務所がある。

弘法大師 本尊分身 菩薩
弘法大師修行像本尊分身不動明王三尊 子安地蔵菩薩

成就院総代のお一人である、陶山さんの案内をうけ、客殿でお忙しいご住職からお話をお聞きしました。

創建は承久元年(1219年)で、開基は「北条泰時」・開山は不明です。元弘3年(1333年)新田義貞の鎌倉攻めで本堂が焼失。 近くの西ヶ谷に移っていましたが元禄年中に現在地に復興しました。

内陣
本堂内陣
先代住職の努力などで、最近こそにぎやかになってきましたが、それまでは静かなお寺でした。
旧極楽寺切り通しは、 山門前下に名残があります。
旧道は、山門前と同じ高さで切り通しを越える荷車の後押しで子供たちが駄賃をもらった と伝えられているほど急な坂道だったようです。
この切り通しは鎌倉幕府の裏鬼門の方向にあたり、交通の要塞で防御拠点 でもあり重要な場所だったと推定されます。
この場所は、成就院が建立される前から修行の道場であったと考えられます。 北条泰時は、その地にお寺を建立したのだと思われます。

本堂内の撮影は一般の方はご遠慮ください。
成就院のご本尊は「不動明王」です。不動明王は大日如来が姿を変えたもので、煩悩にとらわれて迷う 衆生を救う仏様です。 大日如来は真言宗の中心になる仏様で、いわばプレジデントの役割で、他の仏様にいろいろな役割をしてもらっていると 考えてください。
北条泰時が成就院の本尊を、不動明王にしたのは鎌倉幕府の裏鬼門で鎌倉を守り敵を追い払うようにと 願ったのかも知れません。

昨年(2004年)9月に高野山の「勧学会(かんがくえ)」に参加しました。 勧学会は勧学院という寺院で毎年9月から10月に行われますが、初年目・2年目・3年目とそれぞれ参加資格が必要で、特に3年目の 参加資格は2年目から10年以上経過しており、年齢も40歳以上から選ばれます。
この勧学会で学んだことの一つが、四社明神(ししゃみょうじん)のことです。かつらぎ町天野の「丹生都比売神社 (にゅうつひめじんじゃ)」は天野四社神社と呼ばれ、次の四つのお社があります。
  • 第一殿 丹生都比売大神
    (にぶつひめのおおかみ)『丹生神社』

  • 第二殿 高野御子大神
    (たかのみこのおおかみ)『狩場明神』

  • 第三殿 大食都比売大神
    (おおげつひめのおおかみ)『気比明神』

  • 第四殿 市杵島比売大神
    (いちきしまひめのおおかみ)『厳島明神』
額
左(恵果阿闍梨)右(空海阿闍梨)
勧学会
僧侶の学道奨励のため、経論祖釈を講讃し論議する法会。
 ○ 高野山勧学会 :  建久年間(1190〜1198年)源頼朝が登山して勧学法会をはじめ、弘安4年(1281年) 時宗が勧学院を建て毎年8月21日から10日間、宝寿両門の学徒が論議する。
(密教辞典・佐和隆研編)

弘法大師は遙々京都の高雄から参拝し参籠して、境内の一隅に曼荼羅庵を建立し金胎両部を立て真言宗密教修法 の道場とし、更に勅許を得て当時神社の狩場であった今の高野山を開拓して、今の金剛峯寺と改め密教の 道場とされました。弘法大師は、この丹生都比売神社を真言宗御守護の大神とあがめたと伝えられています。

護摩の作法について
護摩を焚くときの木は「ハゼ」の木を使います。点火棒には松脂を使用します。 護摩の作法はしっかりと決められており、私の場合で2時間かかりますが、檀信徒の皆さんの前で行うときは、 一段護摩で行います(一般に集中してお参りいただける時間は40分ぐらいかと思います)省略するところは事前に修法しておきます。 手伝っていただく僧侶には、事前にその旨を伝え護摩供養をします。

護摩の修法
「護摩」とは古代インドのヴェーダ祭式の一つである「ホーマ」のことであって、この儀式は祭火の中に 供物を投げ込み、祭火が供物を天上の神に運ぶという信仰に基づいています。この祭式が仏教に採り入れられ、その形式が護摩 として行われています。
文覚上人
文覚上人荒行像
山号

寺号
山号・寺号
虚空蔵堂とのつながり
成就院境内外に、虚空蔵堂を管理しています。実際は檀信徒の世話人さん たちがやってくれています。虚空蔵堂は「星井寺(せいせんじ)」といいます。虚空蔵菩薩と星は近い関係にあります。
また、 弘法大師と星も非常に密接なご縁があります。虚空蔵菩薩は、大日如来の福智の二徳をつかさどっている仏と いわれています。
一般には「智恵を授かる仏様」として人々の信仰を集めています。虚空蔵菩薩の信仰は、奈良時代に はすでに盛んで、修行時代の弘法大師もこの菩薩を本尊とする「虚空蔵求聞持法」を四国の各地で修行しておられます。
虚空蔵とは、虚空が広大ですべてのものを包み込み蔵しているように、無量無辺の福徳や智恵を備え、人々に常に 二つの徳を与えて、諸々の願いを満たす大慈大悲の菩薩といわれています。虚空蔵堂には、地元の信徒さん以外にも 多くの信者さんがいらっしゃって、初護摩やご開帳の日には各地からお参りに来てくださり賑わいます。
寺務所
寺務所
お札
成就院で授けているお札各種
編集子は、ご住職のお話を伺っているうちに、智恵を頂いた(もう手遅れだが)気持ちになりお暇しました。

また、このあたりの本堂裏山は、霊仙山(りょうぜんざん)と呼ばれ鎌倉時代真言律宗極楽寺の支院「仏法寺」があり、忍性が 雨乞いをしたと伝わる池とともに寺の遺構が発掘され、また、五合枡(ごんごうます)と呼ばれる枡形遺構もある。
鎌倉幕府滅亡の際の激戦地といわれ、多数の人骨も発掘されました。鎌倉市では、「世界遺産登録」 の際の重要な一つとしている。


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