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成就院の歴史



創建:承久元年(1219年)
山号・寺号:普明山法立寺成就院 真言宗大覚寺派
本尊:不動明王
平安時代、弘法大師が諸国巡回の際、この地を訪ねられ、護摩供養の修法とともに虚空蔵求聞持法を修したと江戸時代に書き改めた成就院の縁起に記されている。

虚空蔵求聞持法とは、百日間のあいだ一日に一万遍ずつ虚空蔵菩薩のご真言を唱える修行法。
成就院は、鎌倉幕府三代執権 北条泰時が弘法大師が修行された護摩壇跡に建立したという縁起をもつ。
「空海この地において数日護摩供を修す、この時、泰時高僧を請うして承久元年 一宇を建立し願成就院を称し、大師護摩の霊場なるを以って普明山と号すとなり」(新編相模風土記稿)

開基泰時は成就院の建立によって、北条一族の繁栄を祈願したという。また、成就院は極楽寺切通しにあって「泰時の物見寺」 ともいわれ当時鎌倉防衛の要衝でもあった。

新田義貞により鎌倉幕府が滅ぼされた元弘三年(1333年)この地は 戦場となり、戦火で寺は焼け落ち、西ヶ谷に移転したが江戸時代に再建され現在に至っている。
「当寺、元弘の乱に寺地を 蹂躙せられ西ヶ谷に遁れて星霜を送りけるが、元禄年中現住祐尊が現旧地に往還し再興せり」(新編相模風土記稿)
室町時代、関東管領足利成氏が毎年正月、成就院住職を御所で接待するほどの格式を誇った。
「管領成氏が、時は毎年正月住持を営中に饗待あり」(新編相模風土記稿)

本尊「不動明王」は、縁結びのお不動様として古来より知られている。
不動明王は大日如来の化身で、人間の煩悩を右手の剣で切り左手の剣索でしばり、後背の炎で焼き清める仏様。

「聖観音菩薩」は鎌倉33観音霊場の21番目の札所本尊である。
そのほか、「金剛界」「胎蔵界大日如来像」「弘法大師修行像」「地蔵菩薩像」など。

「伝・文覚上人荒行像」は一木造りの野趣あふれる彫刻で、平安時代の末期文覚上人が自ら彫ったと伝えられる。
この木像は「日本のロダン」と称される彫刻家萩原守衛(碌山)の作品制作に大きな影響を与えたといわれる。


虚空蔵堂

成就院が管理している虚空蔵堂は「明鏡山円満院星井寺」と称す。本尊は、虚空蔵菩薩で奈良時代に行基が彫って祀ったと伝えられる。
鎌倉時代には、源頼朝の命により秘仏とされ、35年に一度だけ開帳されていた。
現在は、一月・五月・九月の13日に開帳され、大勢の信者を集め盛大な添え護摩供養が執り行われる。


成就院参道

成就院の山門に続く参道は、人間の煩悩の数と同じ108段の石段が刻まれ、般若心経の文字数と同じ262本の 紫陽花が植えられ、毎年数多くの参拝者に「あじさい寺」として親しまれている。(見頃は5月末から6月末まで)



・・ 寺  宝 ・・

不動明王像
聖観世音菩薩
金剛界・胎蔵界大日如来像
弘法大師修行像
地蔵菩薩像




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成就院訪問記
虚空蔵菩薩初護摩供



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