名張駅でレンタカーを返却し再び近鉄で大阪を目指しました。はじめの予定では東大阪の司馬遼太郎記念館に行き、最近発見された直筆の原稿などをみて司馬遼ワールドに浸るつもりでしたが、当日は休館日ということで近くの親戚を訪ねることになりました。 当日の夜は小説「夫婦善哉」の著者、織田作之助が愛した
自由軒のカレーライスを楽しむつもりでしたが、やはりここも休業日でした。
泊まったホテルの近くに洋食の
明治軒というオムライスが評判のお店があるということで、そこに入りました。私は牛カツ串とオムライスのセット家内はハヤシライスをそれぞれ注文。そして冷えたワインが合ってなかなか美味でした。創業が昭和元年からということですが明治軒とは?「ややこしいことは言わんで、ええがな」が大阪流かな。
翌日は神戸の実家に義弟の見舞いと、元町にある菩提寺にお参りに。その後懐かしい須磨海岸、舞子海岸を経て明石へ入りました。 明石といえば蛸、そして食べればあつあつ、ふんわり、とろーり、そしてコリコリとタコの歯ごたえの、たこ焼きが有名ですが、明石の地元では玉子焼きと呼ぶそうです。 他の地方では明石焼きというのが一般的なようですが、私の育った神戸では大阪風、明石風のものも、たこ焼きとよんでいたような記憶があります。
明石駅から国道2号線をはさんで4,5分の
魚の棚という商店街があります。入り口を入ってすぐのところに私たちが入ったたこ磯があります。ここは同じく明石名物のあなごが入った玉子焼きが食べられます。あなごとたこのミックスの玉子焼きを注文。家内はあなごとたこが半々のものを想像していたようですが、玉子焼き中身がミックスされたものでした。それはそれで美味しかったのですが、別々に食べた方がよかったかなという感じもします。神戸と違うのは玉子焼きが乗っている台が傾いていることです。神戸は水平です。つまり下駄の歯の高さが前後違うような感じです。そして個数も15個と神戸のよりも多いと思います。
腹ごなしに明石駅の反対側の
明石公園を散策、小学校一年生の遠足以来です。今晩の宿泊のホテルからは夕焼けに染まる明石大橋が見えます。橋のたもとの舞子公園には移情閣という孫文の記念館もあり夕方の散策にはぴったりのロケーションです。
夢レンズという彫刻もありますが、帰宅後調べてみると明石海峡大橋の生みの親である原口忠次郎元神戸市長の偉業を称えた記念碑とのことです。私が小学校の頃、原口さんは名市長と尊敬されていた人でしたが、その頃から壮大な考えを持っていたとあらためて感心することしきりでした。
さて今回の旅も最終日となりました。いつもは三宮あたりでパンを買い求め帰路につくのですが、今回は家内への慰労の意味もあるので鉄分少し高めの家内の意向に沿って京都の鉄博(てっぱく)にちらり寄りました。京都駅からバスをつかい約10分ほどバス停から数分ほどの距離にあります。再来年あたりにJRの新駅ができるそうです。
まず荷物をコインロッカーに預け扇形車庫から転車台のある広場に出ました。写真などでは各時代のSLがずらっと扇形に並んで壮観ですが、今回は1台のみが車庫から出ての顔見せでした。SLの体験乗車ができる駅を見ながら2Fに上がります。ここは運転シュミレータなど体験できる設備や鉄道ジオラマがあり、そのショーを見ることが出来ます。3Fをチラ見した後は1Fに降り鉄道の歴史やら各時代の車両も見ることが出来ます。また懐かしい電車のヘッドマークが展示されています。
さいたまの鉄博は行ったことはないのですが、数年前に行った名古屋の
リニア・鉄道館の方が実際客車に乗れたりする車両が多くそれなりに楽しめたような印象でした。個人的になお勧めは東武鉄道の東向島駅にある東武博物館です。規模は小さいですが資料・車両などを収集・展示している博物館で下町散歩の際立ち寄ると良いかもしれません。
ということで京都駅に折り返し名古屋乗り換えのいつものひかりに乗り帰路につきました。いつも旅行は電車に乗っても「行って帰って」のコースか、車での移動が多かったのですが今回は電車でのかなりの移動距離となり、帰宅後精算すると電車賃だけでも結構な金額になっていました。う~ん。
人間の記憶なんてあいまいなもので、この記事を依頼されて、さぁ書く段になり実際どのようだったかなと資料や写真をひも解きながら、なんとかまとめることができました。そのおかげで旅の面白さが2倍になったような気持ちです。