鎌倉市材木座の、浄土宗大本山・光明寺の山門右に位置する
「蓮乗院」を5月11日の午後にお訪ねました。
5月にしては少し肌寒い日和でしたが、ご住職様が快く取材に応じてくださいました。
鎌倉駅東口から京急バス(九品寺・小坪経由)逗子行きで6〜7分「光明寺バス停」下車、光明寺総門をくぐり山門右に
「蓮乗院」の山門があります。
所在地 : 鎌倉市材木座6−16−15
山門手前左に、蓮乗院と書かれた表札があり、その後ろには弘法大師の霊場札所を示す石塔があります。

蓮乗院山門
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蓮乗院表札
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外出から帰られたばかりのご住職に、庫裡へ案内して頂き話をお伺いしました。吉田宣生ご住職は77世になるそうです。

弘法大師坐像 |
当院の詳しい資料は残っていません。言い伝えや「新相模風土記」などに記載されているものが手がかりになります。先代住職の
残した当院の縁起書が確かなところだと思われます。山号・寺号はありません、当院は光明寺草創以前からこの地にあって、その当時は
「蓮乗寺」と称して真言宗に属していたと伝えられています。創立年代や開山については、はっきりしません。ただ、私が77代(世)の住職ですので、
かなり歴史が古いと推定されます。
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山門左の弘法大師石碑 |
光明寺が佐介ヶ谷から、この地に移った時期以降光明寺の塔頭と称されるようになりました。光明寺が創建されたとき、開山の「良忠上人」は
落成するまでの間、当院に居住して督励に専念されたという由緒により、その後、光明寺の新住職が入山される場合は蓮乗院の本堂でお経を上げてから
山門扉を開け、光明寺に入るようになりました。 蓮乗院は、光明寺に関する僧侶の方々の控えの場だったのでは
という見方もあったようです。 当院の資料があまりないのは、関東大震災のときだったかもしれません。過去帳が散逸したので、先々代が墓誌からすべてを興し
過去帳を作り直しました。 |
当院は本堂以外の建物が倒壊しましたが、本堂は屋根が落ちたものの屋根をそのまま上げて復旧したそうです。全体がやや傾いていたので耐震補強をしました。

蓮乗院の寺紋 |
この本堂は、正徳2年(1712年)に立てたという棟木が残っているのでおよそ300年を経た建物で、木のぬくもりや香りがなんともいえず、大変貴重だと
思っています。 源頼朝の御家人、千葉介平常胤とのかかわりがあったのか、千葉家の家紋が当院の寺紋となっています。 |

正徳2年の棟札 |
江戸時代の襖絵を昭和53年(1978年)に、
月岡栄貴画伯と
後藤芳世画伯が彩色を施しました。

本堂左手の板襖絵 |

本堂内陣の格天井絵 |
内陣の、格天井絵は
松岡家(鎌倉大町在住)三代に亘る行業です。昭和53年に花鳥風月の格天井絵が完成しました。月岡栄貴画伯を主宰として16人の画伯が彩管を
ふるったそうです。