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妙本寺訪問記 2004年6月3日 今回は、鎌倉市大町の”日蓮宗本山・長興山妙本寺“ 6月初旬の入梅前にしては、爽やかなお天気になった日にお伺いしました。 ”妙本寺”は、鎌倉駅東口から鎌倉郵便局脇の通りを入り 小町大通りを右へ夷堂橋 を左に折れると道の奥に総門が見えます。 鎌倉駅東口から徒歩7〜10分位です。 所在地 : 鎌倉市大町1-15-1 日蓮宗の大きなお寺は、「二門二堂」という形式もあるそうですが、妙本寺は「総門」「二天門」と「方丈門」の三門と「祖師堂」「本堂」の二堂があります。 総門には山号の扁額が掲げられ、二天門は毘沙門天・持国天に守られています。 二天門は天保年間の建物で、祖師堂と同年代と云われています。 二天門には龍の彫り物があり、ニ、三歩下がって手をたたくと、龍が鳴くように聞こえるといわれています。 ![]()
総門をくぐり、境内坂道の参道を登った二天門奥の大きな瓦葺きの建物は、「祖師堂」で日蓮聖人像が安置されています。 編集子もそうですが、一般の方もお寺の配置は山門奥にある立派な建物が本堂だと思っているのではないでしょうか。 妙本寺の場合、この建物は実は祖師堂です。 ![]() 祖師堂は十二間四方の建物で、一間幅の回廊があり、正面には更に二間の奥行きがあります。 これは、大きなお寺ゆえに大勢の参拝者があるので、できるだけたくさんの人が上がってお参りできるようにという配慮からだそうです。履物を脱がないでお参りできるようになっているそうです。 祖師堂内の中央にあるお厨子は、江戸にあった鼠山感応寺(ねずみやまかんのうじ)が、江戸後期 ”水野忠邦”による「天保の改革」で取り潰された際、感応寺のお堂にあった厨子を妙本寺に移したのだそうです。 この厨子に日蓮聖人像が祀られています。 又、その他の骨材も妙本寺で保管していましたが、身延山が火災で被害を受け再興の時にこの骨材を使いました。 また、左右に第二祖日朗菩薩・第三祖日輪聖人が祀られています。 厨子の中の日蓮聖人像は、池上本門寺・身延久遠寺と一本の木で彫られた「一木三体」のお像といい日法上人の作ですが、そのなかでも妙本寺の像は日蓮聖人御存命時の製作で一番古いとされ、鎌倉市の重要文化財に指定されています。 聖人を祀ってある厨子と左右の厨子の庇は、華麗な彩色と豪華な装飾が施された、大変古い貴重なものだそうです。 妙本寺の始まりは、文応元年(1260年)といわれ、元比企能員(よしかず)の屋敷で建仁三年(1203年)比企の乱で比企一族が、北条氏の大軍に攻められ滅ぼされた地であります。
又、方丈への入り口を右に見て奥へ進むと、鎌倉幕府二代将軍「頼家」の妻比企能員の娘(一幡の母親)「若狭(讃岐)の局」を祀る蛇苦止堂があります。(写真集を見てください) 北条政子の命で屋敷に火を掛けられ、恨みを残して死んだ「讃岐の局」は、約50年後に北条政村の娘に乗り移ったといわれています。加持祈祷をしてもよくならない娘は、日蓮聖人が法華経を唱えると、自分は讃岐の局だと名乗ったそうです。畜生界に落ちて蛇のようにのたうって苦しむ局を哀れに思い、昔の屋敷跡に蛇苦止堂を立てて供養したそうです。 妙本寺は、秋の紅葉が素晴らしく、その季節には大勢の方々がこられ、境内の歴史を刻んだ建築物を包むように 映える紅葉を堪能されます。取材で伺った我々も紅葉盛りに再訪しようと思いながらお寺を辞しました。 |
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