小田原・北条氏の家臣であった「嶋村釆女氏」が、晩年津に移り住んだ時に隠居所の守護神として祀り、笛田の日蓮宗「佛行寺」が別当寺となった。 明治八年ごろ、宮辺の指示(神仏分離)により取り壊されそうになったので、嶋村家の稲荷祠を遷座し、これは稲荷神社であると届出て取り壊しを逃れた(鎌倉こども風土記参照)といういきさつは興味深い。以来、稲荷神社として守られてきた。 (付記:法人登録も「稲荷神社」となっている)
鎌倉市史は、手広の稲荷神社の項に「風土記稿に見えない、安政三年の石鳥居がある。例祭には、笛田佛行寺がお経を上げに来るという」と付記している。 また、新編相模国風土記稿には稲荷神社はないが、青蓮寺の塔頭「宝積院」の境内祠堂記載末尾に「番神堂笛田佛行寺持ち」と記されている。 その他、手広村明細帳にも明記されているが、稲荷神社は見当たらない。公式には、三十番神宮は無いことになっている。 三十番神宮の祭礼としては、10月9日に佛行寺住職による祭礼、その後講中による直会(なおらい)が執り行われる。 又、稲荷神社としての祭礼は、1月31日に岩瀬の「五社稲荷神社」の宮司によって行われ、合わせて稲荷講などを行う。 過去のいきさつ(歴史)から、一つの神社で、仏式と神式の祭典がそれぞれ毎年あるのは珍しいのではないだろうか。 氏子(講中)は近隣8軒という少数で、氏子総代は置かず毎年交代で世話役となり、代々受け継がれている。 行事
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