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補陀洛寺訪問記

2003年10月9日

今回のお寺さんは、”真言宗大覚寺派南向山帰命院補陀洛寺“
すっかり秋の風景となった10月初旬の午後にお伺いしました。
”補陀洛寺”は、鎌倉駅東口から「小坪経由逗子」行きのバスに乗り「材木座」下車。
酒屋さんのわき道を100M弱行った右側に門柱と本堂が見えます。

(鎌倉駅から歩くと30分弱ぐらいか。)

所在地:鎌倉市材木座6−7−31


「源頼朝公御祈願所 補陀洛寺」と読める石碑を左に見て境内に入ると見事な枝振りの百日紅が目につく、今年は冷夏長雨だったので花つきがよくなかったのでは?と思ったが、なんと例年より一月遅れの9月上旬にはたくさんの花がつき、満開だったが 台風で散ってしまい残念だったよ、とのこと。
入り口
▲バス停からの路地入り口
旧鎌倉市街特有の狭い道が入り組んだ住宅街にたたずむ補陀洛寺までの道は、この辺りをよく知っている人でないと迷いやすい。

副住職さまに時間を頂き本堂でお話を伺った。

このお寺にくるには、バス通りからのは入り口を間違えると迷ってしまうので
バス停「材木座」から萬屋酒店のわき道を来るとよい。
頼朝石柱

▲源頼朝公御祈願所の石柱

補陀洛寺は頼朝の祈願所として、養和元年(1181年)に創建したと伝えられている。頼朝はもともと観音信仰が強い人で、1180年に鎌倉に入り鎌倉の南に位置するこの地に観世音菩薩を祀ったのではないかと推測される。

因みに
  • 西(西方浄土)    阿弥陀如来
  • 東(瑠璃浄土)    薬師如来
  • 北(北方浄土)    釈迦如来
  • 南(補陀洛浄土)   観世音菩薩寺

    と考えられている。

寺名「補陀洛」の意味は、補陀洛はサンスクリット語で「ポータラカ」。ホダラカは「観音の浄土」を意味する言葉で、日本語に翻訳されたとき「補陀洛迦」の字をあてた(「ホダラク」あるいは「フダラク」ははるかな南の海にあると信じられた「観音浄土」ポータラカの音写)。
全国で補陀洛の字のつく寺院は約26〜27ヶ寺ほどあり、補陀洛山とか補陀洛院とか山号、院号に補陀洛の字がつくお寺も多い。いずれも浄土を意味するもので、例えば日光の男体山は補陀洛山と伝えられ、二荒神社は補陀洛がなまったものと考えられる。

本尊 本堂額
本堂内陣本堂内扁額

昔は七堂伽藍をもつ大きな寺院で、境内も一キロ四方あったそうで海が望めたのであろう。由比ガ浜で発生した竜巻がこのあたりを通り、たびたび大きな被害をうけ「竜巻寺」ともいわれ、また、火災もにも遭い古い書物等は残っていない。幸い、ほかの寺院の古文書などに記載されていることを総合し縁起等が徐々に明らかになってきているとか。
竜巻や火災にたびたびあっていても仏像等は残っていて本堂には数多くの仏像が安置されている。
正面中央に本尊「十一面観音菩薩」(平安末期の作で創建当時のものか?)。 時代によって「薬師如来」が本尊のときもあったらしいがはっきりしない。ご本尊左に日光菩薩、月光菩薩を配した薬師如来像(薬師三尊)。さらに、地蔵菩薩、弘法大師像、愛染明王。ご本尊右に不動明王(二体)、千手観音、弘法大師像、毘沙門天、などが安置されている。

平家の赤旗
この補陀洛寺には、お寺の歴史にも記してあるとおり、平家の赤旗が保管されている。70センチ×40センチ角の大きさで「九万八千軍神」の文字が読め、伝えによると源頼朝が平家追討の際、打倒平家を祈願したが平家を滅ぼした際、平家の大将、平宗盛の大将旗を持ち帰り収めたものといわれ、書かれている文字は平清盛の手によるものではないかといわれている。
素材は、麻と竹の糸で織られており、周りがちぎれている。近世に瀬戸内海で疫病が流行った際、この切れ端を煎じて飲むと病が治るといわれ、この布をちぎって送ったからと伝えられている。


この平家の赤旗は、普段は見ることができないが、毎年鎌倉まつりの4月第2週からゴールデンウイーク明けまでの約一ヶ月間公開している。掲載写真は、2004年4月11日に撮影させていただいたもの。

ツワブキ

▲百日紅の下でツワブキ


副住職のお話を聞き終え、お庭に出ると百日紅の根元でツワブキが黄色い花を咲かせていた。
百日紅の見事な枝振りを眺め、満開の時期にぜひお伺いさせて頂こうと思いつつお暇をした。


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