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帰源院訪問記

2005年11月8日



今回は、北鎌倉駅東口側の鎌倉五山第二位臨済宗円覚寺派
総本山の「円覚寺」塔頭「帰源院」をご紹介します。

所在地:鎌倉市山ノ内416



円覚寺境内に入り、山門手前を右方向へ国宝洪鐘の看板を見て、右方向へ登る坂道を上がって行くと左上に山門が見えます。

配置図 立て札
境内配置図 観光客お断り

原則一般の方の入山をお断りしていますので、観光ついでの拝観は出来ません。




何かとお忙しいご住職に、お時間を頂き本堂でお話を伺いました。
冊子
鎌倉漱石の会発行(絶版となっている)
帰源院の歴史は、"鎌倉漱石の会"で発行された「夏目漱石と帰源院(絶版となっている)」に書かれている「帰源院の今昔」に記されています。
(編集者注:帰源院の縁起ページに転載してあります)
開山は、「傑翁是英(けつおうぜいえい)」です。是英は仏恵禅師とも言います。傑翁是英は各地の寺院の住職を歴任したあと、鎌倉では「浄智寺」「円覚寺」の 住寺となり、帰源庵を創設します。是英は帰源庵を隠居所としました。は後にとしました。

天明の円覚寺本末帳によると、円覚寺塔頭として書き上げられ、末寺を十二ヶ寺有していたそうです。円覚寺は大火に三度ほど見舞われ、塔頭の資料はほとんど残っていません。
塔頭には、門外塔頭と門内塔頭がありますが、門外塔頭は山号がありますが門内塔頭は控えめにしているのでしょうか、山号・寺号はありません。 塔頭の起源はいろいろあるでしょうが、塔所といって偉いお坊さんのお墓を造ってそれが塔頭になった場合や、お墓を守る人の宿舎が塔頭になった場合、また、 偉いお坊さんの隠居所が塔頭になった場合など様々でしょう。

帰源院の山門は、由緒は伝わっていませんが室町時代の建築で、様式は鎌倉時代といわれています。
参道も本堂を建て直した、昭和四十年代までは鎌倉石の石段でした。材料を運ぶために石段を坂道にしましたが、現在は車でも上がってこれて便利なのでそのままにしてあります。

関東大震災で被害を受けましたが、建て替え前の帰源院の旧本堂は震災後の建物で茅葺でした。

ご本尊は「傑翁是英像」で室町時代の作だそうで、鎌倉市の文化財に指定されています。「帰源院」のご本尊と一緒に「臥龍庵」のご本尊「大川道通禅師像」もあります。私が「臥龍庵」の 住職を兼務しているからです。


境内の漱石の句碑
漱石と当寺の因縁は、漱石が円覚寺に参禅した時帰源院に泊まっていたからです。後年、その体験記を小説『門』に書いています。
また、先代住職で私の父「富沢敬道」が神戸の祥福寺に いた頃、漱石と親交があったこともあり、昭和三十六年に境内へ漱石の句碑を建てました。その際「鎌倉漱石の会」が出来、それ以来毎年春(漱石の命日が4月29日) 秋(12月9日)の二回本堂で講演会を開いています。

手紙

漱石が先代住職へ宛てた手紙

鎌倉漱石の会は、今は代表がいませんが、事務局の方が案内状を発送したり司会をしたりして、午前と午後の二回講演会を運営しています。 お昼には弁当が出ます。
多い時には300人位来ますので、本堂内も片付けて大勢の方々が入れるようにしますが、境内も人でいっぱいになります。
私は、集まった方々に甘酒を飲んでいただくため、毎年数日前から甘酒の仕込みをします。甘酒目当ての方もいらっしゃるようですよ。




本堂で書き物や、お塔婆に文字をお書きになっている手を休め、席を移して編集子に説明してくださいました。


帰源院の周辺地図



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