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妙隆寺 訪問記


今回は、鎌倉駅から遠くない若宮大路の東100mほどを、平行に走る小町大路沿いで、周辺に鎌倉七福神の四箇所が点在し、そのうちの「寿老人」が祀られている日蓮宗の古刹叡昌山妙隆寺をご紹介します。

寿老人の祠
訪問したのは6月中旬の梅雨空で、紫陽花を見て歩くにはほど良い時期だった。

小町大路から少し奥まったところに山門があり、正面の本堂左に庫裏そして本堂手前の右側に「寿老人」が祀られている。


又、本堂と「寿老人」の祠との間、お墓に寄った所に日親上人が百日の水かぶり苦行をされたと言う池がある。
お墓の入り口付近に新劇俳優だった「丸山 定夫」の碑があり、また庫裏の入り口正面には「寿老人」の石像があった。

お忙しいご住職に、時間をさいて頂き縁起にもあるお寺の由来等お話をお聞きする。

特に冠鐺日親上人(なべかむりにっしんしょうにん)のいわれは、興味深い。
本堂に掲げてあった「鍋かむり日親上人 徳行記」の写しによると:
  • 炎天に日親を獄庭へ引き出し、薪を積んで火をつけ苦悩に耐え難ければ念仏を唱えよと要求した
  • 凍りつくような寒夜に獄庭に引き出し、裸のまま木に縛りつけ夜通し笞を打った
  • 日親を浴室に入れて、戸を閉じて火を強くたき続け、もう死んだに違いないと戸を開いて見れば依然として小声に題目を唱えていた
  • 梯子に日親を縛りつけ、提子に水を汲んで口から流し込んだ。三十六杯まで数えていたが、その後は何杯に成ったかがわからない位だった
  • まっかに焼いた鍋を頭上にかむせた。髪は燃え肉も焼けただれたが大きな苦悩もなく、しばらくの後本復した。これにより「鍋冠日親上人」と呼ぶように成った
日親上人がお寺に来られた応永34年(1427年)の冬、「大法弘道に耐えうるや否や、自らの忍力を試さん」と本堂前の池で、寒百日間水行されたという。
この話は「妙隆寺」の代表的な歴史で、現在その池「日親上人行法御池の霊跡」は周辺地質の変化で水位が下がったので、コンクリートで底を固めているそうだ。

丸山定夫の碑

新劇フアンには周知の、広島の原爆に被災して死んだ新劇俳優の丸山 定夫のお墓もあり、お参りされる方も多いとか。



今では有名な、鎌倉江ノ島七福神の寿老人は十五年程前から始め毎年訪れる人が増えているそうだ。この寿老人にちなんだ厄除けのお守りを受けることができる。なかなか評判がいいですよ、という住職のお話だった。あまりにもかわいいので私もひとつ頂いてきた。

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