佐助稲荷(赤旗が階段を包む山奥の社)

佐助稲荷
舗装道路の先に続く参道に入ると赤い旗が立ち並ぶ鳥居のトンネルの中を急な石段が続いている。石段を登り詰めるとウッソウとした森の中に小さな社殿が建っていて、その右側には広くは無いが静かな広場があって、腰を下ろして休める台も置かれている。
この社殿の横から裏にまわり 石段を上がると一段小高い所に奥の社殿が建っている。(この奥社の前から左手に山道を登っていくと裏山に通じていて、大仏ハイキングコースに出られる。)

下の社務所前に建てられた「相州鎌倉隠里 佐助稲荷神社由縁」には
「当社は源頼朝公の再建せし古社にして、御祭神は 宇賀御魂命(うかのみたまのみこと) 大己貴命(おおなむちのみこと) 佐田彦命(さるたひこのみこと)  大宮女命(おおみやひめのみこと) 事代主命(ことしろぬしのみこと) 。 往古 頼朝公伊豆蛭ケ小島の配所にて、平家討伐を日夜念じおりし折・・・・・・・・・ 頼朝公天下一統の基礎を固めし後、稲荷神霊の加護に感謝し、畠山重忠に命じ佐助山隠れ里の霊地を選び社殿を造建せしむ・・・・・・・・・ 」とある。
また 鎌倉子供風土記には「蛭ヶ小島に流されていたとき 病の床で白ひげの老人が夢に現れて、この薬をせんじて飲めば治る 治ったら兵をあげよ 成功うたがいなしと告げ、頼朝のどなたですかとの問いに “隠れ里の稲荷である” と答えた」と書かれている。
また 社務所と並んで、徳川時代に足柄郡の尼寺から ここに移設されたという「縁結び十一面観世音菩薩」を祀ったお堂がある。



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