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周遊ルート

この夏、故郷(石川県金沢市)への帰省の機会を利用して、下記のルートおよび旅行目的で本州中央部(信州・北陸・東海地方)を周遊した。(旅行ルート図参照)

route

(注) 周遊鉄道ルートは直線で概念的に図示しているため、実際の鉄道ルートと相違があることをご了解願う。

真田氏一族の上田城址

東京駅から北陸新幹線で約1時間半弱で上田に着いた。
 今年のNHK大河ドラマ「真田丸」に出ている真田一族の歴史や上田城址を見学すべく、長野県上田市の上田城跡公園を訪れた。
 私にとって、面白い時代映画・テレビドラマとは、400年ほど前の豊臣秀吉と徳川家康の時代に於けるこの2強のやり取りや出来事を扱ったドラマ・映画・小説であり、役者や筋書きが多少変わっても飽きもせず見ている。小説では20~30年ほど前になろうか、山岡荘八の「徳川家康」20数巻を通勤電車内で読んだものである。しかし、真田幸村については、あまり記憶が無いくらいに印象が薄く、真田幸村とか真田十勇士は豊臣側につき豊臣と共に滅びた一族であったとの認識の程度である。しかし、今現在、NHK大河ドラマ「真田丸」では、豊臣秀吉が亡くなり徳川家康が台頭し始め、そこに真田幸村が家康との対決が始まる佳境に入りつつあり、毎週楽しく観賞している。
 城址公園の中には城門、櫓(やぐら)など当時の面影を示す建物があり、園内の上田市立博物館には往時の武具・文書・衣装などの遺物が多く展示されていた。真田氏の資料を写真に撮っていくつかこのページで紹介したかったが、館内はどこも撮影禁止で残念であった。
 ちょっと印象的だったのは、火縄銃があり、他の所では陳列棚の中に納められ観光客は手で触れられないものだが、ここでは誰でも手に取っても良くずしりと重い感触が味わえた。

上田駅 城門 幸村展 火縄銃

(注)写真にカーソルを乗せると、写真の説明が現れる。

展示場には幸村の年表が掲載されてあり、それによると晩年は以下のとおりであったようだ。

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金沢のお盆

長野県上田市から石川県金沢市までは、北陸新幹線で1時間強であった。
 金沢では7月(13~16日)がお盆の期間である。しかし、石川県の他の市町村は8月(13~16日)をお盆(月遅れ盆)としている。
 金沢市民は7月のお盆の時に、金沢市郊外の”野田山”という墓地山や檀家となっている寺々で墓参りをしている。
 この野田山は、金沢市郊外にある小高い山一帯が金沢市が管理する墓地になっており、私の両親の墓もこの野田山の中腹にあり、隔年に帰省して墓参りをしている。一般市民の墓以外に加賀藩主であった前田利家一族や詩人・小説家の室生犀星などのお墓も存在している。
 私がまだ子供(小学生)の頃(昭和30年前後)にそこで見た強烈な記憶がある。その頃はまだ終戦後10年前後で、傷痍された多くの元軍人さんが存命されていた。このお盆の人出の多い時期に彼らは野田山墓地の入り口に参集し、軍帽・眼帯・白装束に義手義足をつけて、アコーディオンやギターで軍歌などを演奏することで墓参者の気を引いて寄付を募っていた。彼らは太平洋戦争の犠牲になられた気の毒な方たちであるが、子供の目には異様な姿に見えたものである。
 ところで、金沢のお墓には”キリコ”と称する木枠に「南無阿弥陀佛」を印刷した和紙を張り付けて作った”ぼんぼり”風のお供えものがある。それに墓参者の名前を記帳して、花や線香と共に墓前にお供えするのである。キリコの中に蝋燭を立てることができ、日暮れ時に火を灯すと幻想的な墓前になる。
 このキリコは紙を使っているため、お供えした後に雨が降ると紙の部分が破れ、まるで破れ障子のように破れ紙と木枠が残って、ただのゴミ風になってしまうのだ。それで最近は、まだキリコは存在しているが、濡れても形が変わらない板状のおふだのようなお供えが主流になりつつあるようだ。

キリコ キリコ(灯) キリコ(板状)

(注)写真にカーソルを乗せると、写真の説明が現れる。

上記の写真を含め、多くのキリコの写真をサイトで見ることができる。

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伊勢志摩

金沢から在来線の特急で米原経由で約3時間で名古屋に着き、更に近鉄特急で三重県の伊勢志摩地方へ行った。

 ■ 賢島(かしこじま)

近鉄の伊勢志摩方面の終点は「賢島」で、近鉄名古屋駅から近鉄特急で約2時間かかった。
 ご承知のごとく、「賢島」は今年のG7サミットの会場になった場所である。英虞湾に浮かぶ風光明媚な島と聞いていたので訪ねてみた。
 賢島そのものは小さな島で、本州との連絡は鉄道と一本の道路のみである、陸路の入り口にある賢島大橋からは英虞湾の島々の一部を望めたが、雄大な夕景を見るには時間と天候の条件に合わなかった。
 本当の英虞湾の美しさを堪能するには海上からかもしくは島の高台にあるホテルからでないと出来そうもなかったが、それは次の機会に期待することにした。(注)訪問前調査不足であったが、賢島近くに英虞湾を一望できる「横山展望台」があったそうだ。

近鉄「賢島」駅 賢島が浮かぶ英虞湾 賢島の高台にある観光ホテル 賢島に咲く花(ハマボウ)

(注)写真にカーソルを乗せると、写真の説明が現れる。

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 ■ 伊勢神宮「外宮」

「外宮」の近くにある近鉄「伊勢市」駅は、近鉄名古屋駅駅から約1時間半くらいの距離にある。
 伊勢神宮は去る平成25年に、20年毎の式年遷宮が行われその時点で参拝したかったがかなわずで、それ以来一度は参拝したいと訪問の機会を待っていたので、今回の旅でようやく参拝の機会を得た。
「外宮」の参拝に際して、外宮入り口近くに案内所があり、幸いにもマンツーマンの無料ガイドを付けてくれると云うので、早速利用させて頂いた。おかげで、伊勢神宮の歴史や参拝の仕方など教わり大変ありがたかった。
神宮の敷地内に入れば、太くまっすぐ高い何本ものの杉の木が茂り、緑深い荘厳な環境の中にお社が存在しているようである。しかし、参拝した当日は、参拝者が多く列をなして境内を歩いていたので、落ち着いた雰囲気を味わうことはかなわなかった。
「外宮」には「正宮」と、いくつかの「別宮」があり、ガイドさんの説明で初めて知ったことは「正宮」への参拝では、”お陰様で毎日生活出来ている現在の自分がある”ことなどへの感謝の気持ちを捧げるものであって、お願い事のみをするものでは無いとのことであった。なお「別宮」ではその限りではなく、願いことをしても良いとのこと。
 また、すごく感銘を受けたことは、毎日欠かすことなく朝夕2度にわたり神様に食事を捧げるとのことで、しかも米・野菜・魚などの食材は全て神宮で自給自足したものであるとのことである。

近鉄「伊勢市」駅 外宮 正宮 別宮

(注)写真にカーソルを乗せると、写真の説明が現れる。"看板"の写真のみは、クリックすれば別の拡大画面になり説明文を読むことが出来る。

伊勢神宮・外宮の詳細や写真については ここ(公式サイト)を参照願いたい。

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 ■ 伊勢神宮「内宮」

「内宮」へは外宮前からバスで10分くらいで着いた。
 五十鈴川に架けられた宇治橋を渡って「内宮」に入る。「内宮」は「外宮」と同様に緑深い荘厳な雰囲気であるが、さらには境内には清らかな五十鈴川が流れており、参拝者は手をつけて清めをおこなっている。
「内宮」にも「正宮」と幾つかの「別宮」があり、多くの参拝者は順に巡って参拝していたが、「正宮」は階段を上ってからの参拝であったが、多くの参拝者で混雑していて、落ち着いての時間をかけての参拝は無理であった。
伊勢神宮の「外宮」でも「内宮」でも、参拝の仕方は「二拝二拍手一拝」で「拝」では深くお辞儀することが作法であると「外宮」のガイドさんから教えられた。
 ともかく、長年の望みであった伊勢神宮の参拝をすることが出来たことは何よりであった。お守りも買っって我が家に飾ったので、これからもお守りを見るにつけ参拝時の気持ちを思い出すことになるだろう。

内宮 五十鈴川 正宮 御儀殿

(注)写真にカーソルを乗せると、写真の説明が現れる。"看板"の写真のみは、クリックすれば別の拡大画面になり説明文を読むことが出来る。

伊勢神宮・外宮の詳細や写真については ここ(公式サイト)を参照願いたい。

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 ■ おかげ横丁

「内宮」の入り口前に多数のお土産店が道の両側にびっしりと並んだお「おはらい通り」があり、その通りを進むと「おかげ横丁」と云う、やはり多くの土産店が並ぶ通りがある。「おかげ横丁」の名前の由来は伊勢神宮の参拝は、”おかげさまで”と感謝のお参り(おかげ参り)であることからとのことらしい。
この「おかげ横丁」で、伊勢と云えば有名な”赤福もち”を試食することにした。1人前は赤福もち3つと伊勢茶のセットで290円であったが、餅を包む”こしあん”はさっぱりした甘さで美味であった。

おはらい通り 「赤福」餅

(注)写真にカーソルを乗せると、写真の説明が現れる。

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旅を終えて

夏の暑い盛りの5日間にわたる旅であったが、故郷で両親の墓参りをして、兄弟および旧友の無事を確認して、彼らと酒を酌み交わして2年越しの再会を喜び、また初めて訪れた上田と伊勢志摩で新しい知見を得て無事に旅を終えることが出来た。
 これからも体が元気である限り、「旅をして広い世間を見聞きしたい」との思いから、未知の地方への旅の機会を探していこうと思う。