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鎌倉の古建築(寺院編)
薬 医 門
薬医門のいわれは、一説には矢の攻撃を食い止める
「矢食い(やぐい)」からきたと言われています。
また、かつて医者の門として使われたことからとも。
門の脇に木戸をつけ、たとえ扉を閉めても四六時中患者が出入りできるように
していたもといわれていますが、この構造でなければならない理由はなさそうです。
構造の詳細は下の写真と図でご覧ください。
基本は前方(外側)に2本、後ろ(内側)に2本の4本の柱で屋根を支えます。
特徴は、屋根の中心の棟が、前の柱と後ろの柱の中間(等距離)に位置せず、
やや前方にくることです。したがって前方の2本の柱が
本柱として後方のものよりやや太く、加重を多く支える構造になります。

薬 医 門 の 構 造(モデル:仏行寺 山門)
下の小さな写真や図(サムネイル)にマウスポインターをあててください。







薬医門の事例
仏行寺(笛田三丁目、笛田公園の北)の山門は、明治二十九年の建立で比較的あたらしいものです。しかし堂々とした作りで、彫り物が江戸末期以来の系統ということでこの形式のものとして外すことができないことから採用しました。
屋根の下の側面には、束が立ちその両側に笈形がはさむようにつきます。(写真右の中央)


等覚寺(深沢一丁目、湘南モノレール湘南深沢駅の東)の山門は江戸末期、十九世紀中期と推定されています。屋根の下の妻の部分には束を置き、その両側に2つの笈形が束を挟んで立ちます。(写真右)



実相寺(材木座四丁目)の山門は江戸末期、十九世紀中期と推定されています。特徴は冠木(かぶき:本柱のすぐ上の横の太い材)の中間に2本の男梁を配しているとのことです。(写真右)



宝善院(腰越五丁目、腰越中学校の西)の山門は比較的簡単・簡素な構造です。江戸時代とのことですが詳細は不明です。

龍峰院は建長寺の塔頭のひとつです。
一般の拝観はできず、門に近づくことも
できません。
山門は江戸時代後期、十八世紀末頃の
ものと推定されています。


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