建長寺の唐門は、もとは寛永三年(1626)から同五年の間に建立された芝増上寺の徳川秀忠夫人崇源院御霊屋正殿(現在、仏殿)前の中門と考えられるとのことです。正保四年(1647)に移築され、方丈(龍宝殿)の正面にあります。 |
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正面の柱の間は4.1メートル、前の丸い柱は42センチ、後ろの角柱は36センチと、堂々とした作りです。丸い柱は、両端がやや丸められた粽(ちまき)と呼ばれる部分があり、禅宗様です。妻の部分は虹梁(こうりょう)と呼ばれるゆるやかにカーブをした梁の上に瓶のような形の大瓶束(たいへいづか)がのっています。花紋や唐草の彫り物がつき、もとは漆塗りであったという文様が残っています。
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建長寺の西来庵の唐門は、上記の唐門と同様で、もとは寛永三年(1626)から同五年の間に建立された芝増上寺の徳川秀忠夫人崇源院御霊屋の唐門を移築したものと考えられるとのことです。
唐破風が妻側にあり、平入りの唐門です。2本の本柱の前後に控えを配したもので、構造としては棟門と同様です。細部は禅宗様で、桃山風の意匠を示しているとのことです。
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西来庵は公開されていません。4月下旬に訪ねたときに門が開いており、牡丹が見事でした。(法要でもあったのでしょうか、理由を伺いましたが不明でした。)
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円覚寺唐門は方丈の前にあります。天保十年(1839)の建立とのことです。彫り物がすばらしく、鎌倉の江戸末期の代表的なものとのことです。
正面の柱の間は3.3メートルで、前の丸い柱は36センチ、後ろの角柱は28センチですから、建長寺の唐門よりやや小ぶりです。
妻部分は、大瓶束の左右に笈形(おいがた)がつきます。松と鳥、獅子や象(または獏)、扉には龍・雲・波濤など、見事な彫り物が見られます。
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円覚寺のもうひとつの唐門は舎利殿の前にある正続院唐門です。正面の柱の間は2.1メートルとさらに小ぶりです。天保十年(1839)の建立です。 ”装飾の細部は幕末期の特色を示しながら、全体はあっさりし、幕末期の鎌倉の佳作と目される”とのことです。 普段は近づけませんが、正月の3日間や特別に拝観できる日があります。 |
英勝寺の唐門は側面に唐破風がつく、平入りの唐門です。正面の柱の間が2メートルで、英勝寺の創建当時の江戸初期で、寛永二十年(1641)頃かとのことです。禅宗様を基調にしています。琵琶板(通常、組み物のある壁板を呼ぶ)に花と流水紋の透彫りがあります。(写真右下)
(写真左上)妻は虹梁大瓶束で、大瓶束の両脇に雲文形の若葉模様を反復した笈形かつきます。(写真右上)軒は吹寄垂木(ふきよせたるき:普通、垂木は均等に並んでいますが、2本(など)がまとまっているようなものをいいます。)です。この唐門は”鎌倉地方の伝統ではなく、水戸徳川家に招かれた大工の作と思われる”とのことです。
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