旅に憶う

5月の絵  2ヶ月程前、所用があって鹿児島市へ行った。1泊の予定を、急に思い立ってお隣り熊本県の人吉へ足をのばすことにした。前日の雨があがって、きれいな青空に、桜島がくっきりと美しい日だった。
 鎌倉に住んでおられ、何かと親しくさせて頂いた漫画家の那須良輔さんの故郷であり、10年前那須さんが亡くなられた後、そこに記念館がつくられたというので、かねてから1度行ってみたいと思っていた。鹿児島から肥薩線で吉松という山間の駅で乗り継ぎ、人吉までたっぷり3時間かかる。ローカル線特有の上り下りの交換待ち、ディーゼル車特有の油の臭い、関東よりも日暮れがおそいのか、暮れなずむひと気のない駅のプラットフォームなど、久しぶりに旅情のようなものをたっぷり味わった。
 翌日も晴れ渡り、タクシーで古い寺々を見ながら記念館を訪れた。正確には、人吉市から1時間弱の湯前(ゆのまえ)町が、那須さんの生家があるところで、名称も「湯前まんが美術館」である。尖った屋根をもった木造3棟の、こじんまりと暖かみのある建物だ。展示された作品、那須さんの書斎の再現など、すべてに那須さんの強烈な個性が溢れていた。那須さんは、政治諷刺まんが、似顔画の第一人者だった。正義感と怒りが、常に筆先に篭められていた。お元気だった頃の那須さんは、よく電車の中などで、乗務員などがいい加減なことをすると、大声で注意したりしておられるのを見たことがある。曲がったことを見逃したり出来ない人だった。
 町で那須さんの小学校の同級生という人にあった。学校の授業中でも、那須さんはいつも絵ばかり書いていたそうである。老人は昔を思い出すかのように、遠くに眼をやって、あの人は天才です、と呟いた。
 日本の農村を絵にかいたような、豊かな自然の中に育った那須さんが、若冠19才で画家の志をたて、この村をあとに東京へ向かった日の姿が、私の脳裏をよぎった。

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネル鎌倉」
平成11年5月号掲載
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