小津監督と鎌倉

3月の絵  北鎌倉の浄智寺の谷戸を、参道に沿って坂道を上っていくと、左手に人ひとりがやっと通れる位の小さなトンネルがある。トンネルを抜けた処は、わずかな平地が開かれているだけで、右側の崖の真下二、三十メートルのところを横須賀線が走っている。そこに文化勲章受賞者の女流画家、小倉遊亀先生のお住まいがあり、他には二軒の家があって、三十年前までは映画監督で初めて芸術院会員となった小津安二郎先生の住まいだった。

 戦後、小津監督は一時大船撮影所の中にある監督室に住んでいたが、撮影所の火事で焼け出され、そこに移った。小津監督の名作と言われる「晩春」、「麦秋」は、いずれも鎌倉が舞台になっており、もともと鎌倉が好きだった小津監督は、晩年の十二年間程をその家で過ごした。

 小津監督は生涯独身だった。年老いた母と二人だけの生活で、口では「ばばあはオレが飼育している」などと憎まれ口をきくが、こよなく母を愛し、慈しんだ。母もまたこの著名な大監督である息子を「安二郎がいつもお世話になって」と誰彼なくにこやかに頭を下げた。小津映画そのもののような、美しい親子の姿であった。

 一九六三年十二月十二日、小津監督は前年亡くなった母の後を追うように世を去った。その日は奇しくも、小津監督の満六十歳、還暦の誕生日であった。

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネル鎌倉」
平成5年3月号掲載
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