早春賦

 異常気象とは言っても、春は春である。三月の声を聞いたら、空気の色が違ってきた。
 一、二月の寒(かん)のさなかでも、コートのいらないような日が何日かあった。ワイシャツ姿のサラリーマンが、昼休み日比谷公園を散歩している様子を、テレビのニュースで見かけた。然し、所詮はまやかしで、翌日には十度も下って、それが又ニュースになったりしていた。暖冬という語が、活字でも会話でも日常化してしまって、その年だけのものと言うより、地球全体の変化が始まっているのではないかと、心ある人は、憂慮、いや不安を覚えているのではないか。暖冬は、もはや冬の季語にいれてもよいかもしれない。
 映画、演劇、マスコミといった自由業の、それも大OB連の気楽な集いがあって、春秋二回、殊勝にも花見と月見をテーマにしているのだが、これが仲々うまく当らない。まあ名目は名目として、花より団子、月見で一杯、さえあればそれで結構という無風流な人の方が多いので、幹事さんもさほど責任を感じることもないのだが・・・。
 今年は、三月二十九日と決め、うまく当れば、若宮大路、段葛の桜を満喫できるお店を、二月中に予約した。梅の開花などから類推すると、葉桜見物になるぞと意地の悪い予想をするやからもいる。例年より早いと予想する方が当然かもしれない。私のような、原住民の如く鎌倉に住みついている人間は、四月に入ってから二、三日して満開になるという既成観念がある。私の家内は、四月九日生れだが、私の誕生日に桜が咲いてないことはない、と自信満々だが、今年は怪しい。
 花は咲かずとも、鎌倉のまちを取り囲む山々も春を告げる。樹々の緑に、濃淡が出てきて、やわらかな表情を見せ始める。山笑う、という季語があるが、成程と肯けるものがある。鎌倉文学館は、その山々に囲まれた谷戸(やと)の奥にあり、まさに緑の懐に抱かれている。券売所のある門までのアプローチは、ゆるくて長い石だたみの坂道で、両脇の樹々が道におおいかぶさって、陽の光りをとりどりの模様に変えて石だたみに映し出している。バス通りから七、八十メートル入っただけなのに、別の世界だ。館の三階からは、由比ガ浜が一望できる。春の海はおだやかだ。波がしらは一つもなく、ヨットの白い帆が、三つ四つ、水色の鏡の面に点となってじっとしている。
 まことに、ひねもすのたり、である。
 こういうまちの風情(ふぜい)というものは、鎌倉独特のもので、古くからの住宅地の家並の一軒一軒に、自然のたたずまいと住んでいる方たちの息使いが感じられるのだ。それがこの数年、いや一、二年の間に、五階建てぐらいのマンションが蔟出(ぞくしゅつ)、まちの様相が一変した。文字通り、アッという間である。一体鎌倉市は、このまちをどんなまちにしたいのか、未来にどんなイメージを描いているのか、伺って見たい。石渡市長は、就任以来ずっと"元気なこどもの声が聞えるまち"を、具体的なイメージとして言い続けておられる。少子高令化の進む全国有数のまちだから、極めて適切なスローガンだが、まさかそれがマンション建設と因果関係があるとは考えたくない。一方で、世界遺産登録の推進という課題もある。価値のある歴史的文化遺産は多々あるが、市民の生活している地域も含めて、平面的に捉えるとすれば、いまの開発行為を許容する方向と整合性があるのだろうか。当市に限らず、行政の縦割り制度に問題があるように思えてならない。
 異常気象の話が脱線した。市の観光協会の行事、鎌倉まつりは四月八日、若宮大路の桜も微妙なところだ。桜の花があるかないかでは、パレードのムードも大違いだ。四月の第二日曜と決っていて、今年は最も早い第二日曜だが、何とかそこまでもって欲しい。桜は満開即散り初(そ)めだから、チラチラと花びらがふりかかるようなら最高だ。実を言うと、私もパレードに参加することになっている。テレくさいから、見物の関心が桜の方にいってくれると有難い。
 何にしても、寒暖が不規則なのが一番いやだ。俗に謂う"寒さ暑さも彼岸まで"は、長い間の習性として身についた季節感で、身も心も新しい季節の予感を覚える。特に春は、着るものひとつにしても軽やかになり、心も弾むのである。重いコートを脱ぐという行為が、新しい行動への無意識のバネになるような気がする。
 陽の光が違う。足の運びも違ってくる。人間と、自然界のリズムが調和して季節が移ろっていく。
  鎌倉の 春 豊島屋の 鳩サブレ
 久保田万太郎先生の句である。
 さんさんと春の陽を浴びて、三三五五、若宮大路を歩く若い入達 −− 手に黄色い袋をぶら下げて
山内 静夫
(鎌倉文学館館長)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成19年4月号掲載
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