塞翁が馬

 2007年を迎えた。
 2006年をふり返ってみる。
 1月1日、毎年松竹株式会社の年賀式で、歌舞伎座まで出かけていた。100年を超える老舖(しにせ)の長い慣習で、松竹とその子会社・関連会社の役員、マネスタが集合し、社長の年頭の辞を聞く。近年は、永年勤続社員の表彰式も兼ね行っている。はっきりした年数は覚えてはいないが、30年より長いのは間違いない。風邪で行かれなかったことが、1度や、2度はあったかもしれない。元旦に寝坊も出来ず、屠蘇(とそ)も祝わず、ダークスーツに威儀を正して上京するのは、馴れるまでは気が重かったものだが、その代り社長をはじめ上司の殆どと1度に新年の挨拶ができるので都合のよいこともある。それが、去年はじめて出なかった。鎌倉ケーブルテレビの役員を引き、身分的には松竹との縁が終ったのだ。正直、一抹の寂しさが無くもなかったが、よくまあ続いたものだったと懐しさもあった。平成5年の1月、この「谷戸の風」の最初の稿に、この年賀式のことや元日の銀座について書いてある。それからでも13年が過ぎている。
 1月16日に、漫画家の加藤芳郎さんの訃報を聞いた。昭和33年(1958年)、加藤さんの代表作とも言える「オンボロ人生」を映画化、私がプロデューサーをつとめた。それまでにも、漫画集団の忘年会や横山隆一先生のお花見会などで存じ上げてはいたが、この仕事で更に親しくさせて頂いた。私と同年であることもその時知った。宮城まり子、佐田啓二、益田キートンといった異色のキャストが組めて、プロデューサーとしては愉しい仕事だったし、多芸多才の加藤さんもドロボーの役で出演、役者顔負けの演技を見せてくれた。作品としては成功とまではいかなかったが、私自身には印象深い作品だった。その後も、会う機会が多く、会えば懐かしそうに近付いてくれて、冗談を言いあったりしたものだった。類い稀な風刺のセンスの持ち主で、戦後のマンガ界に一石も二石も投じた人だった。同年の人の死は、特に淋しい。
 5、6年前から悩まされ、投薬治療を続けていた前立腺肥大症が、前年の秋頃から痛みが出だして、2月から3月にかけて更に悪化、夜中1時聞おき位に痛みで眼がさめることの連続で、ノイローゼになりそうだったが、偶然知人の紹介で、名医に出会うことが出来た。東京前立腺センターの細井康男先生で、TUTRPという前立腺の手術で国内随一と謂われている先生の診療を受けた。即手術すべき、と言われ、特別に無理をお願いして4月19日、手術を受けた。翌々日には退院、嘘のように痛みから開放された。この喜びは、痛みを味わった当人にしか解らないだろう。細井先生のあの診断によって、大袈裟ではなく、私のこれからの人生を(どれ位あるかは別にして)明るいものにして頂いたと感謝の気持でいっぱいだ。
 鎌倉文学館は、平成18年度から鎌倉市より指定管理者としての指定を受けて、新たな体制で運営を行っている。従来以上に厳しい責任を負っている中で、春の企画展「与謝野寛・晶子恋ひ恋ふ君と」展が、これまでの記録を破る最高の入場者数(64日間47,272人)をあげたこと、夏に行なった"いま、子どもたちに伝えたいこと"シリーズとして「魔女からの手紙 魔女への手紙」展は、児童文学作家角野栄子先生のプロデュースを得て、文学館始まって以来の斬新なアイディアによる展示が、子どもたちの人気を呼び、魔女の黒マント、トンガリ帽子を着て庭園を走り廻る子どもたちの姿は、文学館の新しいあり方として、新分野を開拓した。文学館という固いイメージを、子どもたちにも喜ばれる場として、いま問題化している幼時教育という面からも、地域の文学館としての新しい使命を産み出したとすれば、大変意義のあることだったと思う。
 秋11月、第1回鎌倉芸術祭が行われた。鎌倉ケーブルテレビの松本社長を中心としたスタッフが世話役を買って出て、鎌倉在住のアーティストたちが進んで参加、40を越えるイベントが、それこそ鎌倉のあらゆる場所で、お寺で神社でレストランで、10日間に亘って華やかに繰り広げられた。建長円覚といった鎌倉の名刹の堂内から、弦楽四重奏やチェロの音が静かに流れ、人々はその得難い時間空間に浸りながら、鎌倉というまちを改めて実感したのではなかったか。今までこういう催しがなかったことが不思議に思われる程、それは2006年の鎌倉に新たな文化の色あいを創出した。特筆すべきことだったと思う。
 僅かいくつかを抽出したにすぎない。新聞、テレビ、何を見ても数限りないおぞましき出来ごとが後を絶たない。嘆いても、怒ってても仕方がない。日本人全体が、恐ろしい程レベルダウンしてしまったのだ。人それぞれの自覚しかない。
 私の2006年、○だったのか×だったのか、それはわからない。過ぎ去って行く時間の堆積が×にならないように、今年もしっかりと生きねばなるまい。

山内 静夫
(鎌倉文学館館長・KCC顧問)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成19年1月号掲載
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