秋の実り

 11月3口から12日までの10日間、第1回鎌倉芸術祭が行われる。このような規模の大きい文化イベントが、市民の手によって行われるのは、恐らく鎌倉では初めてではないだろうか。実行委員会方式で、各界のリーダー格の方々に発起人になって頂いたことが、この初めての試みを大いに盛り上げる力となった。実行委員長は、鎌倉ケーブルテレビの松本社長で、動いている人たちはケーブルテレビのスタッフが中心になっている。仲間うちを持ち上げるようで少々気恥かしいが、ことの起りは、ケーブルテレビの15周年行事として考えられたのを、まち全体の催しにしようと決断した松本社長に拍手を送りたい。
 思えぱ鎌倉というまちに、こうした芸術文化のお祭り的イベントがなかったことがそれこそ不思議で、かっての鎌倉文士全盛時以来、この地には数え切れない程の作家、アーティストが住んでいる、宝の山なのだ。勿論そうした一流人たちにとっては、この地はゆっくり心を休める場所なのかも知れないが、今回このプランをご相談したら、殆どの方々が快く引受けてくださった由、さすが鎌倉である。そして四十を越す各種のイベントが、所謂ホールだけでなく、名刹といわれる寺院の堂宇、神社の直会殿等々を舞台ステージとしてクラッシックコンサートが行われたりするのは、他のまちからみれば垂涎の的に違いない。
 ところで、芸術祭というネーミングが、いささか古風な感じを、若い人たちには与えるかもしれないという気がしないでもない。第一、芸術とは、芸術家とは、と開き直って問われると返答に困る。私のこじつけ答案では、自ら芸術家と稱する人は周囲がみんなそっぽを向くし、周りがあの人こそと思っているのに、ご本人は芸術家といわれるのが大嫌いな人、そういう人こそ本物の芸術家、というのはどうだろう。事実、私の狭い経験でも、芸術ということばに無関心の方は多い。芸術祭という言い方も、別に芸術家が参加するという意味ではない。一つ道を人生かけて生きつづけ、何かを追い求めている人は尊い。その追い求めている何かが「芸術」、と言ってわるければ「芸」ではないのだろうか。多くの若いアーティストたちが、この芸術祭に参加している。その人たちこそが、何かを追い求めつづけている人たちであり、その人たちの歩く道の彼方(かなた)、地の果てのはるか遠くかもしれないが、必ずそこにあるものを信じている人たちの祭りが、鎌倉芸術祭なのだ。
 私は、20歳前半位の若い頃、日本橋三越本店にあった三越劇場で、月1回行われる三越名人会に毎月行っていた。あらゆる芸能の一流の人たちの芸を見た。舞踊、落語、講談、長唄、清元、常盤津、新内、曲芸、奇術、まだまだ数えあげたら切りがないが、よくわからなくても、ただ一生懸命に見た。この人たちは名人上手と言われる人なのだという先入観はあっても、どこが上手(うま)いのかがわからない。長唄と清元の区別もつかない。一年以上毎月通った。勿論、興味のもてるものとそうでないものとができた。何も知識として身につきはしないが、いい芸かどうかは何となく感覚的に仕分けられるようになった気がしている。有難い経験だったと今でも感謝している。今回の芸術祭でも、いろいろなジャンルの芸能や芸術を見ることが出来る。見たことのない、知らないものを見るいい機会でもある。是非とも愉しんで、欲張って何かを心に焼きつけてほしい。
 鎌倉は、自然と歴史のまちだけではない筈だ。いま世界遺産登録へ向けての運動が動き出している。仲々平坦な道ではないだろうが、市当局も熱意をもって進めている。同時に、芸術文化は鎌倉のもうひとつの柱だ。鎌倉という美しい空間の中を吹き抜ける風、現代の息吹きに、心なごむ文化の香りが常に漂うまちであってほしいと願う人も多いと思う。
 第1回のこの試み、100%うまく行かないかもしれない。しかし、来年、再来年と続けられるような素地を是非つくりあげたい。楽しい街づくりもいいではないか。古きものを護ると共に、変化する時代に対応して前進する"生きているまち"づくりの第1歩になればすばらしい。
 市民の皆さん、応援してください。

山内 静夫
(鎌倉文学館館長・KCC顧問)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成18年11月号掲載
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