ごまめの歯ぎしり

 どうにも腹が立つのと、言わないと気が済まないので、書くことにした。日本相撲協会のことである。
 一つは、礼の問題である。力士は、相撲をとる時、何回礼をするかご存知か。花道を出てきて控えに入る前、土俵へ上がった時、蹲踞(そんきょ)してチリを切る時、勝負がついて土俵を下りる前、次の力士に力水をつけて(勝った場合のみ)、花道に入る所で土俵へ向って、合計五回は頭を下げて礼をする。最敬礼をしろと言うのではない。何に対して礼をするのか解っているのか、柔道なども然り、道場、相撲では土俵という、勝負を争う大切な場所に対する感謝の気持だ。中の三つは、戦う相手に対し正々堂々戦おうという意志、敬意といってもいい、その現れだ。プロ野球の選手だって球場に入る時、出る時は帽子を取って頭を下げる。まして相撲は、国技と称されるものではないか。きちんと形で示さなければいけない。大切なことは、心が籠もっているかどうかだ。テレビで見ていても、一眼でわかる。一番いけないのは勝負がついて土俵を下りる時、負けた力士できちんと礼が出来る人は数える程だ。名前を挙げるのは控えるが、見ていて気持がいい。殆どの力士は、負けた口惜しさはわかるが、相手と眼を合わせようともせず、そっぽを向いて、顎を引くような仕草をしながら土俵をおりる力士がめだつ。
 協会は、そういう教育はしないのか。多分、親方まかせと言うのだろう。汗流して相撲とってくる部屋の力士に、親方がそんな苦いことばを言う筈がないではないか。協会自体がきびしい指導体制を作らなければ駄目だ。相撲に伝わる伝統をきちんと守ることを何よりも優先して考えないなら、行司という審判員があんな時代錯誤な衣装をつける必要もなければ、呼び出しが呼ばなくたって、アナウンスで事が済む。たっつけ姿の呼び出しが、すーと土俵に上がって腰から扇子をとってサッと開く、そこから相撲は始まっているのだ。主役の力士が無作法であっていい筈はない。元凶が誰かはわかっているが、それが一番エライ、断トツに強い人では、協会も頭が痛いことだろう。
 もう一つ言っておく。大関三人の自覚の無さである。三役以上の力士は、協会理事長と並んで初日に主催者挨拶に居並ぶのだから、会社なら部長以上か、まして大関は任期二年の取締役位の責任感を持って貰わねばならぬ。
 「場所前に十分稽古が出来なかった」「とってみないとわからない」等々、新聞記事だから真偽はわからないと言えば、それまでだが、夫々二十年近く(或いはそれ以上)、この年間スケジュールでやっていて、自分の体調コントロールも出来ないでは失格だ。カド番大関のいない場所がないのが見ていて歯がゆい。これも協会のお偉方、社長も専務も常務もいるのだから、親方なんか意識しないで、厳重注意をして欲しい。故障もちで、二場所を万全で出られないなら、自ら出処進退を問うべきだ。第一、相撲全体を面白くなくしているのは、横綱にとって三大関なんて脅威になっていないからだ。横綱朝青龍は、上品とは言えないあのむき出しの闘志、取口の研究、最高位力士としてやるべきことをやっている点は大いに評価出来る。無能な役員(大関)がいて、優秀な社員(若手力士)の出世を妨げているのでは、相撲協会の先が思いやられる。
 心ある相撲ファンは、もう半分見捨てているという現状を、何よりもまず三大関それぞれが自覚して欲しい。流石に、この三力士は礼儀はきちんとしている。それだけではあまりにも情けないではないか。
 五十年をはるかに超える相撲好きの、これは応援歌と思って欲しい。
山内 静夫
(鎌倉文学館館長・KCC顧問)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成17年9月号掲載
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