日記

 日記をつけている人は、どの位のパーセントか、想像もつかないが、随分沢山いらっしゃるだろう。日記の場合、書くと言わないのは何故だろう。辞典で見ると、付ける、は用途が広いが、この場合は、記入する、という意味らしい。自己流に解釈すると、書くと言うよりつけるのほうが、義務的な行為のようにも感じられる。きちんとあるがままを書きなさいといわれているような気がしてならない。書くという方が、自由さ、とか、勝手気儘(まま)さが感じられるのかなァ、と下らぬことを考えながら日記帳を眺めていた。となると、私の場合、書くの方だ。これからは、日記を書く、と言った方がよさそうである。
 大分古いことになって恐縮だが、勤め先が変わって、会社に置いてあった日記帳を家に運んだ。なんとなくそのままにしておいたのを、整理整頓してみた。勿論現在も続けているが、1977年(昭和52年)から現在まではきちんと整理出来た。29年分で、その中26冊は、ホリプロダクションより年賀に頂く黒のノート型日記帳である。妙なもので、一度ある手帳を使ってしまうと、同じものが手に入らないと気が乗らなくなってしまう。
 それ以前は、まるで歯抜けで、1974、75年がプロデューサー協会のポケット手帳を使ったもの、その前は1955年(昭和30年)から62年(昭和37年)までの8年間で、これも協会手帳だが、これは幸いなことに小津組の私のプロデュースした作品が全部この時期に入っているので、記録として役に立っている。
 何故その時期に日記を書くことになったのか、その動機は自分でもわからないが、今繙(ひもと)いてみると、1978年は役員に就任し、テレビ部門を担当となった時、1955年からの8年は、私の担当させて頂いた小津作品6本の制作期間で、今考えれば私の人生で最も大切な二つの節目だった頃とわかる。勿論今になってわかるのである。そうなると動機は、記録する、つけるの方の筈だが、読んでみるとそうでもない。年を経れば、立場も変るし、世相も変わる。いつまでも同じように、人と会ったり、会食したりするような毎日が続く訳がない。実を申せば、私の悪い癖で、毎日の書くスペースをいっぱいに書かないと、どうも気がすまない所があった。つい書かなくてもいい感想を書いたりして、余白を埋めようとするのだ。勿論日記は、極々少数の例外を除けば、公開するものではない。古くは、「荷風日乗」更には「全日記小津安二郎」「大佛次郎敗戦日記」等、御本人に発表される意思がなくとも、見事な文学をなしている日記もある。これは別格である。
 現在私は、週2日のペースで鎌倉文学館に勤めているが、日記に記録するような用件もあまりなくて、日記のスペースを埋めるのに四苦八苦している。強いて申さば、日本語のレッスンのつもりで、千字前後の文章を毎日書いているという次第である。
山内 静夫
(鎌倉文学館館長)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成17年4月号掲載
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