師走雑感

2003年12月01日  いよいよ師走である。何がいよいよか分からないが、一年の棹尾を飾る月で、一年間への想いを総括せざるを得ないキリの月である。(ちなみにキリは花札の桐であって十二月を表し、物事の終わりを意味し、ピンは一で物事の始まりを言っているようだ)
 今年の印象はやはり何といっても「デジタル時代」の幕開けとしての意味深い年だということだ。ものみなデジタルと化し、遂に私達の情報収集の大半を担っているテレビの世界で完全なデジタル化がなったことは大きい。真打ち・地上デジタル放送の登場だ。未だ日本全国の隅々とまではならないが、やがてなる。この便利な代物を私達はどう扱えばいいのか。またその醍醐味を味わうデジタルテレビは家庭生活の中心となって情報家電の司令塔ともなる可能性を秘めている。家の主人よりも大きな顔をして茶の間の中心に座ることになるであろう。
 ここ2・3年で私たちの生活は大きく変化を遂げる。その時、私たちは何を利用し、何にこだわって、何を捨てずに残して行くかを問われる−
 もうひとつは極く個人的なことだが、わが女房殿が、現在鎌倉で単身赴任の私と一緒に住むと言い出したことだ。今日時点では具体的に決まったことは何ひとつないのだが、予断は許されない。
 女房殿は東京に娘と安穏に暮らしていて、私は鎌倉で不自由ながら極めて快適な一人暮らしを楽しんでいて、全てが順調に進んでいた。調和がとれていた。考えてもご覧、五十才代を一人暮らしで過ごすというのは、縛られるものもなく、無理矢理の会話もなく、好きなときに寝られる、全て自由なんだヨ。
 それがどうしたことか、女房殿が「私が一緒に住むならもっと便利な駅の近くがいいな」と言い出した。一瞬、蒼ざめた私は「ひょっとしたら、これは大変なことになるかも」と、実行力の点では数段上回る女房殿の顔を盗み見していた。
 翌日から、女房殿はどこで手に入れるのか、住居の情報を次々とFAXしてくるようになった。
 私には余り断る理由がない。ありとあらゆる手を使ってこの生活を守る術と才覚もない。ただただ、優柔不断を装い、仕事が忙しいと言い訳をして耐えている。
 一体どうなるのか?それは私にも分からないのである。一見、順調のような私の生活に、今年を堺に、暗雲が立ちこめるのか−私にとってデジタル問題と同様に大きな変革が訪れようとしている。どうか一緒に祈って欲しい。メリークリスマス、ハッピーニューイヤーと結んでおく・・・

(A・M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成15年12月号掲載
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