遠い日

2002年12月28日  両親が健在であった頃、つまり今から三十年以上前のことになるが、わが家では元旦に"四方拝"を行う習慣があった。
 朝起きて顔を洗い、口を漱いで身を清め、家族一同集合し、家長に合わせて、拍手を二回して拝む、これを東西南北と四方に向きを変えて行う、それを済ませてから、おめでとうございます、と新年の挨拶を交わすことになる。内心、なんともアナクロニズムを感じたものだが、その頃まだ小学生位だった甥っ子が、今でもずっとその習慣を続けていると聞いて、驚いたと同時に、大げさに言えば家系に流れるしきたりとはそういうものかと感じ入ったりもした。
 そう言えば、むかしの日めくりの暦を思い出してみると、大きく赤い字で1とある日付の脇に、四方拝と書いてあった。あの暦は、現代のカレンダーと違って、今風に言えば情報満載であった。暦に記載される事項を、暦注と言うそうだが、日出・日没、満潮・干潮、十干十二支、二十四節気、六輝、二十八宿等びっしり書き込まれていた。因みに六輝とは、大安だ、仏滅だというあれで、結構現代人も重宝しているのだ。干支、にしたところで、とら歳だから気が強いとか、いぬとさるでは相性が悪いとか、気にする人も多い筈だ。
 正月の話に戻すと、暦に祭日の赤字で書いてあるのは、一日のほかに三日の元始祭、五日の新年宴会である。何れも宮中の行事で、赤提灯、縄のれんでどんちゃん騒ぎをする新年宴会ではない。だからその頃は、四日が初出社で、翌五日が休日であった。更に言えば、元旦の四方拝は、明治時代に定めた四大節の一つで、四方拝・紀元節・天長節・明治節、祝日はこれしかなかったのだ。四方拝を別にして、あと三つが、何月何日で、何の日かは、今はやりのクイズにでもした方がよさそうだ。
 何年頃かは忘れたが、ある年の正月、暮れから二宮の旅館で新年を迎えたが、寒風の吹きつける海浜で、それぞれ外套を着たり、頭からマフラーをかぶったりの怪しげな風態の一家が、まじめくさって、あっちこっち向いて拍手を打っている所の写真があって、まるで何かの新興宗教の一団のようだと大笑いしたが、今では懐かしい思い出である。
 老妻と二人だけの新年は、八幡宮への初詣でも、混雑するからと三ヶ日は遠慮して、今年も又家にくすぶっていることになりそうだ。

(S・Y)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成15年1月号掲載
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