不揃いの椅子

2002年9月29日  私の家族は4人だが、私がいま一人で住んでいる鎌倉の家には、高価ではないが、4人でも十分の大きさの食卓が置いてある。
 この4月に同居していた息子が就職を決め、この家を出た。妻と娘は引越す以前の近所に暮らしていて、まあ、いわば一家離散の形となってしまった。格別の理由はないがそれぞれに理由はある。自然な帰結ではある。一家の仲は期待に反して良い。一体この後どうなるのか、確たるスケジュールはない。
 この食卓の椅子がよく見れば、全てバラバラの不揃いである。それは二人の子供たちの成長につれて汚れたり、破損したりして使用に耐えられなくなったが、高価なものでないので同じ椅子を追加注文することも出来ず、似たものでその都度揃えたからである。食卓の方は丈夫で健在だ。−−そんな20年が過ぎて、皆がいなくなって不思議な食卓セットとなっている。
 −−息子がフランス系のクリスチャンの小学校に入学した時、覚えたばかりの食前の祈りをするようになった時、一家はその珍しい儀式を面白がり、全員で唱和するようになった。すると娘もミッション系の学校に入りたいと言い出し、編入を募集している小学校を大あわてで探してあげたことを昨日のように覚えている。
 平日は私の仕事のせいもあって全員揃うことの少なかったわが家だったが、土曜日に揃えば楽しくおしゃべりが出来た。時に私の日頃の穴埋め的な性急な話に皆がついてこれなかったり、叱りつけて「出て行け」と言ったら小学生の息子が平気な顔で出ていって、私は心配になって夜の町を探しまわったり・・・どこの家にもある日常的な事件がこの食卓の上で繰り広げられた。
 今思えば、もっと彼らのためになる話を一生懸命してあげればよかった。かけがえのない家族の絆づくりの場であったのに、と悔いが残る。
 親バカだが、息子も娘も私の大好きなタイプの人間になってくれた。口に出したことはないが「君たち大したもんだネ」と敬している。すべては共働きで頑張った妻の功績である。

−−この夏、田舎に帰り両親にわが家の現在(いま)を報告した。両親を二人きりにしてわが姉弟は3人とも早くに家を出た。それが良かったか長男の私には今も心をよぎる問題である。いまの私の状況は気にしていない。私は毎朝、この食卓の椅子を見て少しだけ過去をふりかえってから家を出ることにしている。

(A・M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成14年10月号掲載
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