私の机の上が汚い理由

02月の絵  これほどDNAの研究が進んでいるにも関わらず、私は近年まで、ヒトはサルの進化したものだと思い込んでいた。− となると、現代のサルは明治時代のサルよりヒトにより近づいていなければならない。それは大変面白いことで自分で確かめてみたい気もあった。が、やはり間違いで根っ子は同じでも枝分かれしている時点で別物らしい。
 ことほど左様に自然科学系に弱い。どちらかと言えば人文科学系の人間である。DNAが何かの原因で傷がついて癌が発生するらしいが、それよりも根源的に人間が肉体、精神に内在させている”自己撞着”から発生すると考えた方がよりしっくりする。エイズも狂牛病も「バベルの塔」とか「ノアの箱舟」のように驕慢(きょうまん)な人間に対するある力の仕打ちと考えた方が納得できる。1+1=2という誰が何度やっても同じ結果がでる − それ自体は大切なことで(それで人間社会が成立っているいる訳だから)誰かにキチンとやってもらわなければならないが、その及ばない世界があるようにも思っている。だから人間が楽しく、悲しく、苦闘して生きている意味がある。文学も詩歌も音楽も芸術と名のつくもの全てが生れていくのであろう。脳の発達の度合いでお得意分野が生れて、やれ文系だの理科系だのと言われて、ヒトはそれぞれ自分にない方を羨ましく思い、やたら尊敬してしまう破目になる。普通人はこの二つの世界を行き来しないといけないのだろう。
 私の興味はヒトにあるので、矛盾や喜怒哀楽に寛容である。だから他人に大雑把と非難され続けている。様々な現象や行動を整理をしていくとニュアンスがなくなって、息苦しくなること受け合いである。私の机の上も私の快適さを見事に表現していて大混乱している。でも、それを楽しんでいる部分と、整然としている他人のそれを羨ましくも思っている自分がいる。
 私の父親は数学の教師をしていたが、息子、娘はその遺伝子を受け継いでいなくて私の甥の代でやっと理数系が二人ほど出ている。自分のいい加減さをちがう角度から弁解してみたが余り関係なかったか。今春、社会人となる息子の横顔をみながら、こんなことを考えていた。

(A.M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成14年2月号掲載
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