取り越し苦労

3月の絵  さすが二十一世紀である。
こんな新聞記事があった。 "人はインターネットだけで生活が出来るか"  − 家を借り、パソコン一台を置いて、一年間家に籠りっきりで生活する。アメリカでそんな実験をした男がいた。二〇〇一年元旦の未明、一年ぶりで家から出て、家族や友人の祝福を受けたという。尤もこれは一種のパフォーマンスで、その全てをキャメラで捉え、ネット中継する目的だったようだが、なんとか生きることには事足りたという。
 笑っていられないと思った。確かにインターネットの普及のスピードは驚異的で、人間社会の進歩という点では、まさに画期的と言える。もともと日本人は、新しい現象に過剰に反応する所があるようで、こんなにも急速に、特に若い世代の人たちの生活がインターネットと切り離せなくなってよいのだろうかと、文字通り老婆心ながら不安になる。
 大袈裟でなく、ITの発達は時々刻々で、何でも次世代携帯電話というのはインターネットの機能もついているとか、どんどん便利になるのはいいが、当然利用料金はかさむだろうから、社会問題の種にならなければいいが、と又してもお節介が頭をもたげる。携帯電話の莫大な電話代を工面するために、友達を恐喝したりするような事件もよく耳にするし、延いては今の青少年問題とも無縁とは思えない。それ以上に、人間同志の交流が、どんどん希薄になる社会を考えると空恐ろしい。とんでもない、インターネットのメールのやりとりは、世界中の人と瞬時に交流が出来ると反論されるだろう。私の娘なども、パリにいる従姉妹と、毎日のようにメールのやりとりをしているそうである。所詮は時代の違いで、我々戦前派人間は取り残されるのだろう。どんどん機能的になる社会が、どんな未来社会を生むのか、あまりテンポが早いので想像も出来ないというのが、本音である。
 母の胎内に生を享けての母と子の絆から始って、家族、友達、社会へと、人は人と接することで、知を広め、情を知り、信を生んで来たのだと思う。その何万年もの人類進化の歴史はどうなってしまうのだろう。
 肌で知る、そんな日本語が、何となく頭に浮かんできたりする −。 (S・Y)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成13年3月号掲載
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