鎌倉生活、序の口

1月の絵  鎌倉に住んで、はや一年が経った。妻は娘と東京に、私は息子とこの地に。他人から見れば確かにヘンな家族だ。だが他人に説明のしようのないほど自然にそうなった。いつまで続くか分からない。また自然にもとに戻ったりしていくのだろう。
 とにかくこれが妙にイイ。夫婦が互いを思いやるに格好の距離なのだ。殺風景だが快適だ。不便だが好都合だ。貧しいが豊かだ。夜、星を見て、四十六億年の地球の今日を想い、あと5億年の地球の生命を考えるなぞ、東京ではちょっと出来ない。
 鎌倉のことは少しは分かっていたつもりだったが、住んでみると現実的すぎて寛大になれない。この規模の街にしては濃密な気分がない。図書館も、プールも、映画館も近くにない。利用するには出かける気分が必要になる。「便利さ」は時間が有効に使えるかどうかだと思っているが、その点では不便な都市だ。
 だが、私が思うには基本的には鎌倉はマルの街だ。決してバツではない。首都圏にこれだけ近くて、この環境を残しているのは驚異であり、大変な努力があったのだと素朴に思う。人工的なものも少なく、歴史的なもの、自然のものがまだ十分に残されている。また、そのことの良し悪しを、市民の人たちが存分に知り尽くしていることにも驚かされる。それは残すための努力を自分たちの手で行ってきたからに違いない。工夫して知恵を出し合って変革に反対して、別の方策を選んできたに違いない。そこに敬意を表する。鎌倉が益々のポピュラリティを得るのは鎌倉らしさを深くすることだけなのかもしれない。

 ただ、新世紀の始まった今、全ての分野で変革が起ころうとしている。旧世紀のツケかもしれない。国家も、都市も、企業も必死になって、自分たちの仕組みを見直そうとしている。鎌倉がとり残されて、活力を失っていくことがあってはならない。そこに住む市民の力は勿論だが、いま少し視野を広げて、他からの力、例えば秀でた企業の力を上手に取り込むとかの考え方を採れば違う魅力が出てくるとも思える。

 何といっても一年生である。まだとば口である。(A・M)

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネルガイド」
平成13年2月号掲載
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