好み

8月の絵  酒は手酌で呑むべし、私の父の主義、は少しオーバーかも知れないが、生涯変わらぬ酒の呑み方であった。小さい頃から、家庭の夕食の席で、父がひとり手酌で酒をつぎながら、旨そうにチビリチビリと猪口を口に運ぶ姿をよく覚えている。右手の親指と人差指で猪口をとり上げ、ちょっと指先で猪口を廻すような仕草で呑む癖まで眼に浮かぶ。
 長じてから、一緒に酒を呑むことが多かったが、最初の一杯だけは注いでくれたが、あとは勝手に一本ずつ銚子をもって、お酌を交わすことはなかった。何時の間にか、私もその癖がついてしまい、手酌で、自分のペースで呑むのが、一番おいしく酒が呑める。
 燗の熱さの好みもいろいろで、父はぬる目の燗だった。人肌という謂い方があるが、人間の肌程度の温度というと、三十六、七度ということになるから、これはかなりぬるい燗だと思う。私の師匠である映画監督の小津安二郎は、無類の熱燗好きで、燗は五十五度を好んだ。お手伝いさんが、いつも寒暖計を使って台所でお燗番をしていた。父の家へ来て一緒に酒を呑む時など、父もすっかり心得ていて、オーイ、小津くんの方の酒一本、などと言っていたのを思い出す。私も、小津先生の燗番をよくやらされたせいで、熱燗党になってしまった。
 こんな話をするのも、近頃は呑み屋などで酒を頼む時、燗してくれ、と言わないと 、冷酒で持ってこられることが多いからで、中には、お燗するんですか、と面倒くさそうな顔をされたりする。一時、日本酒が若者たちに敬遠されて、焼酎ブームやワインブームになったことがあり、それ以来、日本酒独特の麹の匂いの少ない吟醸酒を冷やして呑むようになったからだろう。冷酒だと、猪口でなく、小さ目のグラスで呑むから、お酌のやりとりなどのわずらわしさもなく、それに昨今は地酒の種類も豊富で、ワインの銘柄と同じように、銘柄の好みがあったりして、若い人たちにもお洒落な呑みものに戻りつつあるようだ。時の流れというものだろう。
 父の好みだった菊正宗が、辛口で私も口に合う。先入観かも知れないが、長い間呑みなれた味なのだろう。熱燗でお銚子二本ぐらいにしておけばいいものを、いくつになっても羽目をはずしてしまうのも、酒好きのご愛嬌というところか。

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネル鎌倉」
平成12年8月号掲載
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