墓参り

5月の絵  ”暑さ寒さも彼岸まで”――昔からよく言われる言葉で、その年によって狂いはあろうが、大体お彼岸がすむと、気温の変化が肌で感じられるようになるものだ。ご承知のことと思うが、お彼岸というのは、春分・秋分の日とその前後三日をあわせた七日間で、その間に先祖の墓参りをするという習わしがあり、古い生活習慣が忘れ去られようとしている現代でも、これだけは全くといてっていい程変わっていないように思う。
 わが家の墓地は、現在は鎌倉霊園にあるが、三十数年前までは多摩墓地にあった。その又以前は青山墓地にあったそうで、東京都の道路計画で移されたらしい。多摩墓地に行くには、鎌倉から横須賀線で東京駅、そこから中央線で武蔵境、そして多摩川線という小さな電車で二つ目の駅まで、その頃(昭和三十年頃まで)は中央線も今日のように快速などなかったから、家を出て着くまで、優に三時間はかかったように思う。全くの一日仕事で、帰りに多摩川で船に乗って食事をしたりするような愉しみにつられて、渋々行ったような覚えがある。
 鎌倉霊園が出来たのが何時頃かはよくわからないが、私のすぐ上の兄が四十歳前半で病死した折に、鎌倉へ移した。これでやっと彼岸の墓参りの苦労から逃れられたかと思ったら、あにはからんや、バスの渋滞が年々ひどくなり、三キロちょっと位の距離なのに、片道二時間以上かかったりすることもあり、近くて遠いところになってしまった。
 今年の墓参りは、いつもより送れて春分の日になってしまったので、渋滞を怖れて朝早目に家を出たせいか一時間半で往復出来たが、春一番かと思う程の強風に悩まされた。これも習慣で、わが家の墓参りがすむと、北鎌倉の円覚寺へ、恩師と旧友の墓参をすることに決めている。ついで詣りはいけない等と言うが、これはついで詣りと言うより、墓参りにはしごというべきか、もう三十年以上それが続いている。年と共に、彼岸に行ってしまった人が多くなるのは致し方ないが、欠かさずお参りできる間は幸せと思わなければなるまい。天候の良し悪しにかかわらず、墓参りした後の清々しい気分は、何ものにも変え難いものだ。

鎌倉ケーブルテレビ広報誌
「チャンネル鎌倉」
平成12年5月号掲載
▲TOP

Copyright (c) Kamakura Citizens Net / Kamakura Green Net 2001 All rights reserved.