北條執権邸旧蹟
(ほうじょう・しっけんてい・きゅうせき)

 

大正七年(1918)三月建之 鎌倉町青年会


碑文

往時此の地に北条氏の小町亭在り 義時以後累代の執権概ね皆之に住せり 彼の相模入道が朝暮に宴筵(えんえん:宴会)を張り 時に田楽法師に対し列座の宗族巨室(重臣)と倶(とも)に 直垂(ひたたれ:礼服)大口(おおくち:大口袴)を争ひ解きて  纏頭(てんとう:褒美)の山を築けりと言ふも此の亭なり 元弘三年 (1333)新田義貞乱入の際 灰塵(かいじん:灰)に帰す 今の宝戒寺は 建武二年(1335) 足利尊氏が高時一族の怨魂忌祭の為 北条氏の菩提寺東勝寺を此の亭の故址(こせき:旧跡)に再興し  以て其の号を改めしものなり

説明

昔この場所に、北条氏の小町亭がありました。北条義時(よしとき)以後代々の執権(将軍代理職)はたいていここに住みました。あの北条高時が、朝に夕に宴会をして、ときには田楽法師に対して、列席している重臣と共に、 ひたたれや袴(はかま)を投げ与えて褒美(ほうび)の山を築いたというのもこの場所であります。1333年に新田義貞(にったよしさだ)が鎌倉に攻め入った時、戦火で焼けて灰になってしまいました。現在の宝戒(ほうかい)寺は、 1335年に足利尊氏(たかうじ)が建てたものです。この寺は高時一族の恨みを鎮めるために、北条氏の菩提寺であった東勝寺を、この屋敷跡に建てて名前を変えたものであります。
位置
小町3-5-22付近で,宝戒寺の門前・参道に建つ。


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