源氏山
(げんじやま)

 

昭和三年(1928)三月建之 鎌倉町青年団


碑文

源氏山は初め武庫(むこ)山と云ひ 亀ヶ谷(かめがやつ)の中央にある形勝の地なるを以て 又亀谷山とも称せり 源頼義 義家父子 奥州征伐の時 此山に旗を立てたるより 或は旗立山と名付く 山の麓寿福寺境内附近は 爾来(以後)源氏世々の邸宅たりし地なりと云ふ  源氏山の名称は之に起因せるか 旗竿(さお)を建てしと云ふ故址(こし:旧跡)は今尚ほあり

説明

源氏山はその前は武庫(むこ)山と言っており、また亀ヶ谷(かめがやつ)の中央にあって、形が勝れているため亀谷(かめがやつ)山とも言っておりました。源頼義(ともよし:988-1075)、源義家(よしいえ:1039-1106)の親子が東北地方に征伐(せいばつ)に行く時、 この山に旗を立てたことにより、旗立山ともいいました。 山の麓(ふもと)の寿福(じゅふく)寺付近は、昔から代々源氏の邸宅であったと伝えられています。源氏山の名前はそこからきたのかも知れません。 旗竿(はたさお)を建てたと伝えられる跡が今なお残っております。
位置
扇ヶ谷1-17-7寿福寺の山門前の東南方10メートルに建つ


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