大慈寺址
(だいじじ・あと)

 

昭和三年(1928)三月建之 鎌倉青年団


碑文

大慈寺は建暦二年(1212) 源実朝の創建にかかり 新御堂と号す 建保二年(1214)七月二十七日 大供養を行はれ 尼御台政子及ひ将軍実朝 大に儀衛(格式)を張り之に臨めり 後正嘉元年(1257) 征夷大将軍宗尊親王の時  本堂 丈六堂 新阿弥陀堂 釈迦堂 三重の塔 鐘楼等悉(ことごと)く修理を加へられ 荘厳の美殆んと古跡に軼(過)たりと 東(吾妻)鑑に見 へたり 当時の盛観以て想ふべし 爾来(以後)星霜七百年 布金の地また一片の礎石をも止めす  桑滄(滄海桑田)の変嘆ずべき哉

説明

大慈寺は、1212年に、源実朝(さねとも)が建てた寺で、またの名前を新御堂(しんみどう)と言いました。1214年7月27日に、大がかりな供養(くよう)が行われ、頼朝の妻の政子と将軍実朝が、格式張って参列いたしました。  その後1257年に、将軍宗尊(むねたか)親王の時、本堂、丈六(じょうろく)堂、新阿弥陀(しんあみだ)堂、釈迦(しゃか)堂、三重の塔、鐘楼(しょうろう)などことごとく修理を加えられて、その美しさは、ほとんど前の建物以上である、 と吾妻鑑(あずまかがみ)に書いてあります。 当時の素晴らしさが目に浮かぶでしょう。 その後740年過ぎた現在、ひとかけらの礎石(そせき)をも見付けることができません。本当に時代の変化の大きさには驚かされます。
位置
十二所66付近で,同地の邸宅の西南に在り,明石橋から東方へ30へメートル進み,左折40メートルの交差点の右側に建つ。


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