足達盛長邸址
(あだちもりなが・ていあと)

 

大正十四年(1925)三月建 鎌倉町青年団


碑文

盛長は藤九郎と称す 初め頼朝の蛭が島に在るや 克く力を勠(合)せて其の謀(はかりごと)を資(たす)く 石橋山の一戦 源家がト運(ぼくうん:運)の骰子(さい)は全く暗澹(あんたん:暗い)たる前途を示しぬ  盛長 頼朝に尾し扁舟(へんしゅう:小船)涛(波)を凌(しの)いで安房に逃れ 此処に散兵を萃(集)めて挽回を策す 白旗鎌倉に還り天下を風靡(ふうび)するに及び 其の旧勲に依って頗(すこぶ)る重要せらる 子 弥九郎盛景 孫 秋田城介義景 邸を襲(継)ぐ  頼朝以来将軍の来臨屡々(しばしば)あり 此の地即ち其の邸址なり

説明

足立盛長は、源頼朝が伊豆の蛭が島にいる時、頼朝の計画が成功するように積極的に協力しました。石橋山の戦で敗れ、源氏の前途が真っ暗になったときも、盛長は頼朝と共に小船で南房総に逃げて、そこで軍を建直し計画を練りました。白旗が鎌倉にはためく時がくると、 その功績により、重要な地位に就きました。盛長の子の盛景(もりかげ)、孫の義景(よしかげ)が家を継ぎました。また頼朝やその後の将軍がしばしば訪れました。この場所がその屋敷のあった場所です。
位置
長谷1-12-1甘縄神明社の参道入り口右側に建つ


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