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ロゴ、亜郁の暑中見舞い

− 朝 の 読 経 −

亜郁



暑中お見舞い申し上げます。


 関心のない方が殆どだと思いますが、私の朝の一コマです。今年は半年で、151回読んでます。むろん、音読です。
 両親の居室のタンスから「曹洞宗勤行」という、折りたたんだのがあったと家内から言われ、手にとって見ました。全49ページで、表裏に11のお経が載ってます。テープも一緒にあり、表紙裏に、読誦 大本山永平寺とあります。聴くと、なかなか迫力がありますが、自分で読んだ方が効能は大きい、と思ったわけではありませんが、読むことにしました。
 読経を始める3,4年前、建長寺で行われた「団塊プロジェクト」のイベントで頂戴した「建長寺研修聖典」も手許にありましたので、この中からもお経を選びました。曹洞・臨済両禅宗のお経を読んでいることになります。
 そのお経は、般若心経、白隠禅師座禅和讃、修証義(5章あるので、5回に分けて)、観音経、十句観音経、甘露門、大覚禅師法語規則の11のお経です。

  1. 般若心経

     正しくは、「摩訶般若派波羅蜜多心経(まかはんにゃはらみったしんぎょう)」。仏教の聖典の一つで、キリスト教の『バイブル』や、イスラム教の『コーラン』に匹敵するもの、と下記の本に出てきました。書架にあった『あなただけの般若心経』(中村元監修、阿部滋園著、小学館)を読んだら、大体のことが分かりました。「ほんの262文字しかないお経ですが、宇宙の真理や人生の哲理が凝縮されている」とあります。著者の阿部さんは監修者が推薦した人で、大船駅に近い黙仙寺の住職でしたので、身近に感じられました。ついでに、この本を解体し、切り貼りして28ページの冊子にRe-bookingしました。時折、開いてみています。


  2. 白隠禅師坐禅和讃

     白隠禅師は、東海道を歩いているとき、原のお寺で知りました。「原に過ぎたるものが二つある、富士のお山に、白隠禅師」と言われている高僧でした。最近、このお坊さんの絵や書が展示されました。
     お経はとても分かりやすいです。「衆生本来仏なり 水と氷の如くにて 水を離れて氷なく 衆生の外に仏なし‥」。最後も素晴らしいです。「此時何をか求むべき 寂滅現前するゆえに 当所即ち蓮華国 此の身即ち仏なり」。


  3. 修証義

     曹洞宗の開祖道元大師が著した「正法眼蔵」から抜粋したもののようで、第1章総序、以下、懺悔滅罪、受戒入位、発願利他、行持報恩からなってます。「生を明(あき)らめ、死を明らむるは佛家一大事の因縁なり‥」で始まります。「無常忽ちに到るときは国王大臣親ジツ従僕妻子珍宝たすくるなし‥」「次には深く仏法僧の三宝を敬い奉るべし‥佛は是れ大師なるが故に帰依す、法は‥」「次にはまさに十重禁戒を受け奉るべし。第一不殺生戒、第二不偸盗戒‥」


  4. 観音経

     正しくは「妙法蓮華経観世音菩薩普門品偈」とあります。「念彼(ねんぴ)観音力」という言葉が12回出てきますが、「観音さま、お助けください」という意味だそうです。漢字は表意文字ですので、単語の意味は分かりますが、全体としての意味は分かりません。

     ここで、観音経についての疎開先の群馬県渋川での思い出を2つ。1つは、道路脇の空き地で香具師が刀で自分の腕を切りつけ、取り出した軟膏で傷をふさぐときの口上でした。「男は度胸で女は愛嬌、(浪曲師の)三門博は観音経、見ているお客は阿呆ダラ狂、(持ってる板で地面を)叩く私はスットン狂‥」です。その三門博の観音経をラジオで聞いて、「念彼観音力 刀尋段段壊(とうじんだんだんえ)」をなぜか、記憶していることです。前の3分の1辺りに出てきます。以前入っていたMLにこのことを書き込んだら、私も、という人がいました。よく知られたフレーズなのかもしれません。


  5. 十句観音経

     「寿命が延びる」十句で説いた観音の教えです。「観世音佛に帰依したてまつる。佛と因有り、佛と縁有り、佛法僧と縁あり‥」。同じくらいの量の言葉が続き、一番短いお経です。


  6. 甘露門

     曹洞宗のお経です。食事を施すから、われを擁護せよ、という


  7. 開山大覚禅師法語規則

     修行中の規則を遵守せよということのようです。
     難しい論語も、「読書百篇、意自ずから通ず」などといいますが、回数読むにつれて意味がこうなのか、と分かってくる所もありますが、分からないままの所もあるのは事実です。



 さて、3年以上、朝の読経を続けてきましたが、その効能は、恩恵はあったでしょうか。明確な因果関係がないですから、良かったのか、何もなかったのか不明です。何か、利することを期待するのも正しいことではないのでしょう。では、なぜ、続けるのか。惰性でしょうか、自分にも分からない何かを求めてのことでしょうか。ただ、亡くなった両親や兄妹の菩提を弔うという気持ちが少しはあるのでしょう。多分、これからも続けることになるでしょう。




著作:亜郁   制作:ひろさん

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