高野山真言宗 準別格本山 | ||
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縁 起 弘仁10年、弘法大師が東国を御巡礼なされた際、鎌倉に止まって十七日間の護摩の秘法を修されたとき、 美しい天女があらわれ護摩の助法や給仕をなされた。 大師は無事修法を終えることができ、そのことを聞かれた天女は一粒の仏舎利を大師に奉りその姿は忽ちのうちにみえなくなってしまった。 その仏舎利を五鈷に納めて、大師はそのまま一夜を過ごし、翌朝眼を覚まされると、側の池には青色の美しい蓮華が咲きほこっていたという。 当寺はその故地に建立された寺であるために、飯盛山青蓮寺の寺名がつけられている。 また青蓮寺のご本尊である「鎖大師」は弘仁7年、高野山金剛峰寺創建にあたり大師自ら等身像一体を作って嵯峨天皇に奉献したものであると伝えられている。 この像はその後、源頼朝が鎌倉幕府を開いた際、鶴ヶ岡十二坊の一院である等覚院に安置されていたが、明治維新の神仏分離を経て、青蓮寺のご本尊として厚い信仰に支えられている。
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