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鎌倉の散歩道(43)

鎌倉文学散歩  (13)

− 佐助の井上ひさし宅へ −

 2010年4月に惜しまれて亡くなった井上ひさしさん宅を訪れました。 下見したとき、町内のマップに「井上」とあり、本名だと知りました。

 小雨降る鎌倉駅に集まったのは4人。 市役所前を経て、佐助の四つ角に。

 記者と井上作品との出会いは、『道元の冒険』でした。脚韻を踏んだ文字が30行近くも連ねてあり、言葉遊びの素晴らしさを堪能しました。 いま調べたら、岸田戯曲賞と芸術選奨新人賞も受賞とありました。数え切れないくらいの各種の賞を受賞しているようですが…。

 昨年、イタリアの『ボローニャ紀行』を読んで、ぜひ、ここを訪ねてみたいと思いました。 この本は亡くなる少し前に文庫化されてます。

 四つ角を右折です。この道は、佐助稲荷や銭洗弁天に行く観光客で賑わう通りです。 この日も山梨の北杜市から来たという小学生のグループが追い抜いて行きました。

佐助稲荷道 佐助四つ角
▲ 佐助稲荷道 ▲ 佐助四つ角

 井上氏のシナリオは遅れがちで、公演が延期されたという記事を何度か見ました。 自ら遅筆堂を名乗っています。 A紙には、「怒りを笑いに転じ、人々の胸に届ける過程が井上さんにとって熱い戦いだった。膨大な資料を集め、克明な年表や地図を自作。趣向と工夫の限りを尽くして1本の戯曲を仕上げる。書き終わると体重が5キロも減った」と書かれています。
 司馬遼太郎は、「井上さんは日本一いい人だから、遅れてもいい」といった趣旨のことを書いています。

雨の交差点 町内掲示板
▲ 雨の交差点 ▲ 町内掲示板

 小さな四つ角に来ました。左折すれば佐助稲荷です。 右折しました。緩やかな坂を上ると、石段になりました。 以前読んだ伝記だか、ご自身の文章だかで、「自宅の背後は谷戸になっている」と読んでいましたので、この道でいいのです。その突き当たりに井上と表札が出ている広い敷地に出ました。

 前に、鎌倉駅へ歩いていく氏を見ていますが、この位置なら歩いて10分ほどで行けるでしょう。 大きな屋敷が2棟ありました。 右手の少し小さな建物で執筆されたのでしょうか。 広い庭には黒松が2本と楓があり、名残のツツジもありました。背後の山には山藤が垂れてます。 戻ろうとしたら、ここに来た30代の女性から「何か?」と問われてしまいました。

表札・井上 井上ひさし宅
▲ 表札・井上 ▲ 井上ひさし宅

 最近、『ムサシ』を読みました。 舞台は、「相模国鎌倉十四ケ村のうちの扇ケ谷村佐助ケ谷源氏山宝蓮寺の寺内」です。先ほどの道を直進した所に設定されていました。

 A紙の湘南版には、「小町通りの喫茶店でコーヒーカップを手に、ガラス張りの店内から人の流れを眺めるのが好きだった。 店の主は『人間観察と、作品の構想を練る場として使ってくださっていたようだ』と思い出す」と。

 そうそう、以前鎌倉市内で3日通しの「文章教室」の講師をされたのに、記者は3回も出席しています。初日に課題が出され、翌日提出すると、徹夜をして朱を入れてくれました。 数十人分の文に対して…。休憩時間に、「理解しやすくするために、漢字を多用するのですが…」と質問したら半ば肯定してくれました。
 
 いま検索したら、「むずかしいことをやさしく/やさしいことをふかく/ふかいことをゆかいに/ゆかいなことをまじめに/書くこと」とありました。

 以前ボリュームが多いので途中で挫折した、『吉里吉里人』『四千万歩の男』を気合を入れて読むことにします

 ご冥福をお祈りして合掌します。


 2010年4月18日のA紙に大江健三郎氏は、週一回連載の「定義集」に井上氏の死を深く悼んで書いています。

 「遅筆という仕組みー命のある間は正気でなければー」。




制作:亜郁/太郎   協力:高山/ひろさん

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