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鎌倉の散歩道  ・・・・・・  35
鎌倉文学散歩  (6)

− 笹目から雪の下へ −

 バス停「笹目」に4人が集合。鎌倉駅方面に少し戻ると、2階が重厚な戦前の建物風の毎日新聞の専売所があります。以前から気になっていたので、ドアを開けて、前の所有者などお尋ねしようとしたら、全く知らないと、けんもほろろの返事でガッカリでした。

▲ 笹目付近 ▲ 江ノ電踏切

 その先、六地蔵手前を右の「琵琶小路」に入ります。江ノ電踏切を渡った右手にあるのが第一小学校で、戦前は鎌倉尋常高等小学校と呼ばれていたそうです。昭和7年にここの講堂(現体育館)で久米正雄の町会議員立候補の演説会が行われ菊池寛なども応援演説をしています。また、岸田劉生も、大正11年3月には「麗子」作画中に講演で訪れています。さらに学校門前にあった「そば処・一生庵」には、久保田万太郎がよくそばを食べに行って、「春雨や一生庵の割子蕎麦」の句を残し、川端康成も来客があると、10人前、20人前を注文し、ハイヤーで届けさせていたこともあったとか。

▲ 第一小学校 ▲ 琵琶橋

 大正、昭和初めにかけて、多くの文人が出入りした「料亭・小町園」があったのは、横須賀線のガード先の青物小売市場のある裏手一帯で、広大な庭を誇っていたとか。編集子の一人が、そんな名の料理屋さんがあるというので、右への道を入ったらありました。今は、フランス料理を出すそうです。

▲ 青物小売市場 ▲ 料亭小町園

 若宮大路に面したS銀行がある辺りには、明治から昭和初期にかけて栄えた「旅館・橋本屋」があり、戦後は劇場「市民座」となり、昭和25年10月には里見ク父子を主体とする劇団「かまくら座」の初公演があり、菊池寛作の「父帰る」が久保田万太郎の演出で行われ、久米正雄も出演したとか。豪華なスタッフ、キャストです。

▲ 大巧寺(おんめさま) ▲ 江ノ電のりば

 江ノ電は、若宮大路の「おんめ様」前が「鎌倉停車場」で、JRに隣接したのはS24年のこととか。
 鎌倉駅前に、おでん屋「貴水」があり、久米正雄らの好評を得ていたそうです。鎌倉駅のガードをくぐって、西口に出て線路沿いの道に面してあるのが、鎌倉ホテルで、ここで、岡本かの子・一平夫妻が、偶然、芥川龍之介と出会っています。帰る予定の9月1日、関東大震災に遭遇し、翌日、帰京したなどと大きな看板に書いてあります。(旧平野屋)
 この日、鎌倉市役所にて、鎌倉の世界遺産登録のために関係する県、横浜、逗子両市のサミット会議が開かれ、我々が市役所の前を通ったとき、県知事の車が帰庁するところでした。

▲ 鎌倉ホテル ▲ 寿福寺

 銭洗弁天への道をとり佐助へ向かいます。蛇笏賞を受賞した草間時彦が住んでいたのはこの辺り(寿福寺境内に居住とも) のようです。『淡酒』。父は鎌倉市長を勤めたとか。
さらにこの周辺には、『吉里吉里人』『道元の冒険』他多数の小説、戯曲を書いている井上ひさしや、各種文学賞を受賞し、『嘘つきアーニャの真っ赤な真実』などの作品で知られる米原万里なども住んでいらしゃるようですが、所在は不明です。
 戻って、左折して佐助隧道を通り、裏から寿福寺の墓地に入りました。「汚れっちまった悲しみに‥」と歌った中原中也がここに住み、告別式も行われたとか。『在りし日の歌』。ここには、大仏次郎、高浜年男、星野立子、五百井(松井翠声)らの墓があります。NHKのバラエティショー「陽気な喫茶店」の冒頭の「松井さん、松井さん」という内海突破の声が耳に残っている読者もいらっしゃると思います。翠声は、大仏次郎や永井龍男らとの交流もあったとか。
 最後は、『天と地と』などの作品がある海音寺潮五郎です。雪ノ下の借家に居住していたそうです。編集子はこの人の名で、受験勉強時代を思い出します。題名は忘れましたが、受験勉強誌に連載されていましたので。

制作:太郎/亜郁  協力:ひろさん 高山

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