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鎌倉の散歩道  ・・・・・・  31
鎌倉文学散歩  (2)
長谷から光明寺へ

長谷駅に4人が集まりました。歩き始めてすぐに、民家の玄関先の棚からムベ(郁子)の茶色い実が垂れていました。
アケビ科で、花は4月に咲くとの説明板がついています。
ムベ(郁子) 川端康成旧宅

長谷の交差点を右折し、消防署を左折すると、正面に甘縄神社の石段。その手前奥まって川端康成旧宅です。和洋2つの建物の間に松が見えます。
この家の辺りが登場する『山の音』には、「鎌倉のいわゆる谷の奥で、波が聞こえる夜もあるから、信吾は海の音かと疑ったが、やはり山の音だった」とあります。
その隣は、『江分利満氏の優雅な生活』で直木賞を受賞した山口瞳が住んだ所とか。

甘縄神社の石段 吉屋信子記念館

右に進むと、長谷子ども会館となっている旧諸戸邸の洋館があります。『悪の華』などの翻訳で知られる堀口大学はこの近くに住んでたそうです。前回に続き、鎌倉文学館に入りました。「芥川龍之介の鎌倉物語」が開催されていましたから。鎌倉で執筆した草稿や婚約者?の文に宛てたラブレター、愛用の脇机などが展示されてました。鎌倉ケーブルがこれを紹介しようと若いアナウンサーを撮影していました。
さらに進むと、長い板塀の屋敷があります。『花物語』などの少女小説や大衆小説で人気のあった吉屋信子の旧宅を利用した記念館です。市が管理していて、小グループが利用でき、時折、公開されます。

高浜虚子の句碑 地元の植木屋さん

バス道を少し行ってから右の道へ戻ると、踏切が2つ見え、左手の踏切の足元に高浜虚子の句碑があります。

  波音の由比ケ浜より初電車

その後ろが虚子旧宅の虚子庵です。その前で剪定材をトラックに積んでた植木屋さんに聞いたら、この句碑は邪魔なので撤去することになっていたが、予算がなく取りやめになったとか。どこへ移そうとしたのでしょうか。
そして、若い頃、句会が開かれると、バイクのエンジンを吹かして、句会の邪魔をしたとも話してくれました。
光明寺・山門 光明寺境内

下見の時は、行き止まりだと思い引き返しましたが、行けるというので細い道を行ったら、それが長くつづき、芥川龍之介がかつて下宿していた、野間西洋洗濯店跡に出ました。
芥川が友人宛に書いた、和田塚駅から下宿先までの地図が文学館に展示されています。旧海浜ホテルの隣です。ここでラブレターをせっせと書いて、送ったのだとか。
海岸通りを直進して、九品寺手前を曲がった先に、久保田万太郎の父の別荘跡らしきがあり、バス道を戻って、右折して閑静な住宅街を行くと、『ビルマの竪琴』の竹山道雄旧宅がありました。まだ表札が残ってました。
その先、光明寺境内の左外にある千手院には、鎌倉とは直接関係はないですが、芭蕉の句碑があります。

  春もやや気しきととのふ月と梅。

なお、光明寺では戦後、鎌倉アカデミアが立ち上げられ、山口瞳、いずみたく、前田武彦らが在籍していたとか。2時間ちょっとの文学散歩でした。

制作:太郎/亜郁  協力:りんでん/ひろさん

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