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「たぎぎこる鎌倉山の木垂る木を待つと汝がいはば戀いつつやあらむ」 という歌が万葉集巻14に出ているそうです。 たきぎこるは「薪樵る」で、薪を樵る鎌という意から『鎌倉山』にかけていう、と大塚龍夫著の『枕詞辞典』(風間書房)に出ていました。 杣人や農夫が住んでいたであろう鎌倉山住宅地の歴史は比較的浅く、昭和の初期に道路と住宅地の開発が行われたと、『鎌倉山正史』((有)玄同社、以下、『本』)で、開発に携わった親を持つ米山尚志さん(故人)が著しています。 今回は、鎌倉山住宅地の昔をこの『本』により偲び、今を見て 回りたいと思います。『鎌倉山正史』は鎌倉市図書館で借りることができます。 |
● 鎌倉山ロータリー
(佐佐木信綱博士の歌碑) ![]() 道が大きく左に曲がる辺りに、佐佐木信綱博士の歌碑が建っています。 その歌碑の前の高い擁壁の上には、開発会社の初代社長の古島安二郎宅があった所です。その子孫でしょうか、家が垣間見られました。 ● バス停「住吉」あたり(バス停「住吉」)![]() ここら辺一帯の 大地主大塚一族から取ったようです。この大塚山に「交詢閣」というロッジ風の ログハウスがありました。 そこは鎌倉山のシンボル的存在であると共に、 湘南地方における近代的社交場として華やかな話題をまいたと『本』にあります。 建物の内外の写真をスキャナ−で取り込めないのが残念です。 ここの経営は 帝国ホテルでした。そして、後年、この脇に「交詢閣」をたしなめるかのように 「爆弾三勇士」の碑が建てられたとか。(現在、この碑は七里ガ浜方面への坂の 脇に建っています) さらに、この近くには尾上梅幸や市川松蔦の居宅もあったそうです。 左手の坂を上ると「ロ−ストビ−フ鎌倉山」ですが、今日は割愛です。 バス道を進むと、右手の道の奥に田中絹代宅を利用したと言われる「山椒洞」が あります。 鎌倉山は百合の名所で一目万本ともいわれ、百合=一斗からこの尾根 の突端には茶亭「一斗庵」があったとか。 ● バス停「見晴」と「高砂」あたりバス停「見晴」は当時は「清香園」で、今の「擂(正しくは木偏)亭」は、 ここを開発した事業者の一人で、菅原通斎の父親の菅原恒覧氏邸だった所です。その擂亭を見過ごして進むと「高砂」です。 この付近は北風がなく、海が望めた ので人気があり、早くから家が建ち並んだ所だったそうです。
棟方志功のエピソ−ドなどを知っているというご主人の喫茶店マウンテンは、 「都合により本日休業」であり、前の道へ入ると、棟方板画美術館に行きますが、 「2月22日まで休館」でした。 まことに残念ではありました。
その先、交番手前の小さな花屋さん「苔丸」には、濃青紫の四つ葉のクロ−バ−や プリムスト−ンの苗が置かれていました。 その先のパン屋のボンジュ−ルも休みでした。 昭和10年には、この辺りに 土地100坪、建物20〜30坪の建売りを数戸売り出したそうです。1戸2千円だったとか。
● バス停「旭ヶ丘」あたりバス停「旭ヶ丘」の十字路を右に上ると、小さなお宮の「鎌倉山神社」があります。 開発に当たって、近くの笛田の分霊を遷した末社です。今日はパス。● らい亭 と庭戻って、擂亭(らい亭)に入りおそばを頂きました。食べ終わって石仏がたくさんある 広い庭を見て回りました。
その後、歩いてバス停鎌倉山へ。のんびり歩いて2時間の散歩道でした。 |
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