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フィールドワーク写真集


鎌倉の散歩道21 朝比奈切通しと名越切通し

金沢大学日本史学研究室フィールドワーク同行記



2003年9月、鎌倉シチズンネットのホームページ「e-ざ 鎌倉 ITタウン」の「鎌倉七口・坂と切通 」の作者に一通のメールが舞い込んだ。
金沢大学の女子学生からで、同大学の日本史学研究室のフィールドワークに鎌倉を選んだ場合、地元からの情報提供が期待できるか?という趣旨のメールだった。
作者のシチズンネット大西理事長以下関係者は色めき立った。
金沢大学との連絡は理事長の依頼で鎌倉シニア通信の桐山編集長が担当し、綿密な打ち合わせが繰り返された。
2004年4月、フィールドワークの遠征旅行は実現した。
引率の先生は能川助教授。近代史のご専攻。
かたや、案内役を買って出た内海先生は、鎌倉で著名な歴史研究家。特に鎌倉の史跡や古建築に造詣が深い。
以下はそのフィールドワーク同行記。

金沢大学日本史学研究室ホームページにリンク

(フィールドワーク参加者と案内人・光触寺山門前で)


フィールドワーク当日の集合は8時半鎌倉駅前。
あいにく、天気は前夜からの荒天で、夜中には今年初の春雷がとどろいた。

(能川助教授と内海先生
初対面の挨拶)
(内海先生のご挨拶)
(大西理事長のご挨拶)
先生同士のご挨拶
内海先生のご挨拶
大西理事長のご挨拶

今日のコースは、バスで横浜市の朝比奈まで行き、朝比奈切通しを鎌倉の外側から入り、鎌倉の時宗「光触寺」を拝観、浄明寺バス停前を通って「巡礼古道」をたどり、名越切通しに至り、鎌倉側に下ってバスで鎌倉駅前に戻るという、半日のコースにしては強行軍の道のり。

鎌倉駅前では小康状態だった天候も、朝比奈でバスを下りた頃から雨足が強まり・・・

(金沢八景行きに乗車)
(横浜市の朝比奈下車)
(朝比奈切通し入り口)
金沢八景行きに乗車
横浜市の朝比奈下車
朝比奈切通し入り口

朝比奈切通しの峠あたりでは、土砂降りとなった。
内海先生は、朝比奈切通しの経済的意義や、切通しを掘削する際の断面の形状の時代考証、やぐらの形状とその時代考証などを熱心に説明された。

(やぐらを見上げる学生)
(説明に熱心な内海先生)
(朝比奈切通し)
やぐらを見上げる学生
説明に熱心な内海先生
朝比奈切通し

朝比奈切通しを下る頃は、雨風が最悪の状態で、道も川のような状態になった。

十二所(じゅうにそ)にたどり着いた一行は、奇跡的?に尻餅をついた人は居なかったが、下半身はずぶぬれ状態だった。

(道だか川だか?)
(オット危ない)
(ようやく十二所)
道だか川だか?
オット危ない
ようやく十二所

時宗「光触寺」は桜が満開。
濡れた靴下を脱いで本堂に集まった。
内海先生が、光触寺の由来や建物の特徴、頬焼阿弥陀像(重要文化財)のいわれなどを話してくれた。

光触寺門前で全員の記念撮影。雨が上がり、身体が乾き始めた。

(一遍上人像も雨に濡れて)
(浄明寺バス停前)
(報国寺前)
道田か川だか?
浄明寺バス停前
報国寺前

光触寺を辞し、浄明寺バス停前、報国寺前と過ぎて、巡礼古道の急坂を登った。
内海先生の地形の話、やぐらの話などが折に触れて続く。

昼食時を過ぎ、天候が回復したのと裏腹に空腹との戦いが始まった?

(巡礼古道入り口)
(磨崖仏の説明)
(雨も上がって)
巡礼古道入り口
磨崖仏の説明
雨も上がって

巡礼古道はいつとはなしに逗子と鎌倉の境界の尾根道にかわり、両側がそそり立ってきた。

逗子側が大切岸。下に法性寺の墓地が見える。

(法性寺を望む)
(法性寺の大切岸)
(石廟にて)
法性寺を望む
法性寺の大切岸
石廟にて

ついに名越切通し。
名越切通しを歩くことは、今回のフィールドワークの最大の目的。
内海先生は、名越切通しは、戦略的、政治的に重要な切通しと位置づけて説明された。

名越切通しは、落石のため危険ということで通行止めとなっており、迂回して逗子側からも見学した。

(名越切通しにて1)
(名越切通しにて2)
名越切通しにて1
名越切通しにて2

時計は14時を廻っており、空腹がこたえた。
名越切通しからの下りは、横須賀線のトンネルの上を通り、すぐに住宅地。

長勝寺前のバス停で、14時半のバスをつかまえ、15時頃鎌倉駅前に着き解散となった。

6時間にわたる鎌倉の切通し探索は、初夏を思わせる晴天の中、桜の花につつまれて無事終了した。

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制作 ひろさん / かぼちゃ

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