最新号 編集部員のリレー随筆(71)

鎌 倉 山 さ く ら 道 花 見 逍 遥


3月31日、思い立って、鎌倉山へ花見に出かけました。10時前、自宅を出ました。 先ずは、スーパーで缶ビールを2本仕込みました。

すぐ上りが始まり、神奈川県道32号藤沢鎌倉線を跨ぐ深沢第1跨道橋先に1本目のサクラがありましたが、2、3分でした。

ここを通るのは何年振りか、右側に新しい家が数軒建っていました。 その先、2本目のサクラは8、9分といった感じでした。

京浜急行の境界石杭がありました。 この道は以前、京浜急行が所有する有料道路で、その名残でしょうか。 富士見町と龍口寺の手前に料金所があり、車は50円を支払うのでした。

モノレールが真横に見える所に変電所があります。 下にユキヤナギの白い花。

古美術屋「華陶」の店。 やっているのでしょうか。

韓国で見られる1対の武将と僧侶の石像が立つ家がありました。 小高い所に華厳宗普賢公明寺の看板がありますが、建物は見えません。

介護施設のグランダ鎌倉山。ここからの眺めがいいです。 鎌倉画廊では、ある人の個展が開かれていました。

鎌倉山ロータリーに到着です。赤丸ポストがあります。 菅原通斉筆の鎌倉山石塔。 ここでのサクラは5、6分といったところ。

掲示板に、「お花見会」が2日に、鎌倉山集会所と工房ひしめきで開かれると出ていました。 ふと、「願わくば花の下にて春死なん…」の西行の歌を思い出しました。 バス停のベンチで缶ビールを飲み始めました。

孫を連れたおじいさん、数人の女性のグループが上っていきます。 ロータリーに面したケーキ屋さんが喫茶店になってました。

鎌倉駅行きのバス「ふくちゃん号」が2人を乗せて出て行きました。 飲み終わったので、私も先に進みます。

さくら道を通るのは4、5年ぶりです。 笛田グランドにホームグラウンドを持つジョギングクラブで、よくこの道を通り、龍口寺、腰越の神戸橋の手前を左折して、赤羽からグランドに戻る10キロが練習コースでした。

少し歩いたら、喫茶店がありましたが、ビールは置いてないと。

その先、佐佐木信綱文学碑。佐々木ではありません。 「日ぐらしに見れどもあかずここにして富士は望むべし春の日秋の日」

大きな石塔の「鎌倉山記」の前で、シニアの人たち20人ぐらいをガイドさんが説明しています。 鎌倉山の由来が書いてあるとか。「天慶の乱に平貞任が平将門を夷滅すしてより…。

ここが別荘地として開発が始まったのは昭和初期。 実業家の菅原通斉らが仲間と語らって開発に着手。 『鎌倉山正史』(米山尚志著、(有)玄同社)には、開発の様子や住民のことが書かれています。

Wikipediaによると、「鎌倉山とは、深沢地域のある大字で、現行行政地名は鎌倉山1〜4丁目」と。特定の山はないようです。

その先の喫茶店にもビールは置いてないと。商売っ気がないみたいです。 お花見会の会場にもなる工房「ひしめき」がありました。

「犇(め)き」と書くのは知っていました。 車が3つの「轟」は皆さんご存知でしょう。馬が3つで驫木(とどろき)という駅が、秋田県と青森県を結ぶ五能線にあるのは記憶の片隅にありましたが、深浦駅近くにあるのを確認しました。

以前あったパン屋さんには、「テナント募集の看板」が立ち、その先の十字路に面してあった酒屋さんも廃業していました。 親父さんが亡くなったので、と近くに住む友人が教えてくれました。

二人の子どもが未だ幼稚園に行く前でしたから40年以上前です。この先の空地に座わり持参のおにぎりで、ささやかな花見をしたのは。そこは今、家が建ってました。

鎌倉山の花は総じて5分といったところでした。

県道に下りて、ラーメン屋の「ちんや」に11時50分到着。ビールと野菜炒めのお昼を摂 りました。この後、バスで鎌倉に出て、「鏑木清方記念美術館」に行きましたが、割愛します。

尚、筆者が鎌倉山を歩いた記録が、「鎌倉シニア通信」-「ジャンル別目次」-「散歩道」のバッグナンバーにある「赤丸ポストと風景印(7) (「鎌倉の散歩道−51 )」にあります。ご興味のある方は、ご覧ください。


作者:亜郁  制作協力:ぱどれ
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