
編集部員のリレー随筆(41)
中山道を歩く(2)
作者:亜郁
私は中山道を歩いています。現在までに足かけ2年掛かって日本橋→53番加納宿まで踏破しました。
ここにその記録の一部を掲げます。前回最後の下諏訪宿から加納宿までがこの拙文です。
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(10日目)下諏訪宿→塩尻宿('09年12月10日、日帰り12km)
- 下諏訪本陣"岩波"の受付にいたサチ子さんは、当主の母親だと後で知りました。
- 下諏訪駅前の蕎麦屋さん「登満寿屋」の「はぜ天ざる」はお勧め。陶器製の湯桶も添えられていて、気が利いていました。
- あえぎ上った塩尻峠、展望台からの諏訪湖と市街を俯瞰。
- 歩き=3時間50分、電車(含、乗換え待ち)=10時間15分。何しに行ったのか。

(塩尻峠から諏訪湖を望む)
(11)塩尻宿→洗馬宿→本山宿→贄川駅(電車で塩尻駅に戻る)
('10年1月6日=18.5km)
- * 塩尻駅11時半着、駅前ホテルを予約。昼食。12時20分スタート。
- 59番目の1里塚、その先にブドウ畑。リンゴなどの直売所も。今、塩尻ワインが元気です。
- 「そば切り発祥の地、本山そばの里」の幟。屋根が大きくせり出し(出桁造り)、太い柱と梁の家。
- 途中から、路上に積雪が。車道にも。
- 風を切る音がうるさいので補聴器を外していましたが、贄川駅で紛失に気付き、さらに、メガネが1個外れていました。大失敗でしたが、後日、難聴の原因が判明し、手術で聴力ほぼ回復。「人間万事塞翁ケ馬」でした。

(本山宿で見かけた看板)
(12)(塩尻から電車で贄川へ)贄川宿→奈良井宿
('10年1月7日=12km)
- 復元された贄川関所が丁度、雨戸を開けてる所で、郷土史研究の受付の人が案内してくれました。「女改めの探り婆」。3万人が通行/1716年。
- 国道に、ー0.1〜0.4℃の気温標識。11時、奈良井駅に到着。
- 「漆アートの花筏」に入り、おかみさんと長く話しました。宿場先の鳥居峠は、一昨日からの雪で吹き溜まりがあろう、止めた方がいいと。その先の観光案内所でも引き止められましたが、峠入口まで行きました。積雪に、こりゃムリだと断念し、駅へ引き返しました。名古屋経由で帰宅。
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(奈良井宿)
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(漆アート花筏)
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(13)(奈良井宿→同駅→薮原駅)→宮ノ越宿→福島宿
('10年3月29日=15km)
- 又、観光案内所から引き止められました。中にいた30代の男も断念したと。又も、峠越えはなりません。現代も「…鳥居峠が無かよかりょ」でした。
- 隣の薮原駅からスタートですが、この先に中山道の中間点。京へ72里28町。
- 大きな冠木門の福島関所へ。和宮の一行の人足2万人余、馬3千が通り過ぎるのに10日間かかり、全長30kmにもなったと。幕末に、信じがたい愚挙です。
- 「高瀬奇應丸」の高瀬家は、島崎藤村の姉が嫁いだ所。この地方の屋根は、昔、石が置かれていましたが、釘を使わなかったからと。
(14)福島宿→上松宿→須原宿→野尻宿(→福島駅) ('10年3月30日=30km)
- 木曽の桟(かけはし)はその下の国道を歩きましたが、急峻な絶壁でした。
- 浦島太郎の伝説がある奇勝「寝覚の床」に、太郎の釣竿があったのには笑ってしまいました。亀の甲羅も置いてありましたが、流石に、説明なし。
- 人家の縁側前を横切るような"中山道"が何箇所もありました。
- 明治天皇の行幸で、木曽福島→三留野と健脚ぶりに驚きました。駕籠、乗馬もあったと思いますが。
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(奇勝寝覚の床)
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(木曽福島で泊まった「御宿むらちや」)
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(15)野尻宿→三留野宿→妻籠宿→馬籠宿→落合宿→中津川宿
('10年3月31日=32.5km)

(須原宿の「水舟」)
- 樹齢300年超のサワラを繰り抜いた"水舟"は、今でも町の人たちに愛用されていました。
- 木曽五木(ヒノキ・アスナロ・コウヤマキ・ネズコ・サワラ)のうち 、コウヤマキ以外はヒノキ科でした。見ただけでは区別はつきません。
- 木曽路の圧巻は、妻籠〜馬籠の山間の石畳でした。「これぞ、木曽路ぜよ!」と叫んでしまいました。「木曽路はすべて山の中…」

(妻籠〜馬籠間の石畳)
(16)中津川宿→大井宿('10年4月1日=10km)
- 大井宿から20キロ先の細久手宿までは旅館がないので、大井で打切りに。で孫たちにハガキを書くなどして、出立は8時50分でした。
- 大井宿は美濃16宿でも大いに繁盛した宿場とか。本陣門、長屋門、旅籠など昔の面影を残す建物も多く残っていました。
- そして、中山道随一といわれる6箇所もの「枡形」が残っています。それもコの字に曲がった後、同じ方角に伸びているのです。
- 12:10′恵那駅ゴールです。駅前の軽食屋でランチ。
(17)奈良井宿→薮原宿(→電車で恵那駅に→更に電車で
美濃川合駅へ、泊)('10年7月23日=5km)

(鳥居峠)
- 「花筏」と「案内所」により挨拶。前日、草刈りしたと。3度目の正直で越えることができました。
- 峠はきつくはなかったですが、時間が足りなくなりそうで、急ぎ足に。
- 峠に、薮原駅まで3.0キロの表示。30分しかないです。「熊除けの鐘」を鳴らしました。その先の石畳で転倒。大したことはありません。
- 線路際の「飛騨街道追分」で、電車が行きました。次の電車は2時間後。
- 幸い清水屋食堂があり、ビールと親子丼。きゅうりと大根の漬物が出ました。
- 恵那駅着15:24′。予約した宿に電話。着くのは夜8時になろう。途中は山道で人家は少ないと。アイルランドのダブリンで朝と夜を勘違いしたときの
困惑。主人がキャンセルで結構ですと。
- 電車で多治見に。この日、多治見は1週間続いた全国一の暑さの最中でした。
- 美濃太田駅手前の木曽川畔の民宿「川桟敷」に投宿。部屋からすぐ上の発電所からの放水と、川中の岩場にいた川鵜の群れが印象深かったです。
(18)太田宿→鵜沼宿→加納宿('10年7月24日=25km)
- 「又、どうぞ 日本ライン下りのまち美濃加茂へ」の標識。
- 太田宿に、「昔のみがき砂」「鮎の甘露煮」の貼紙。街道に背を向けた寺に芭蕉句碑と白秋歌碑。
- 長い木曽川の土手上の道が終わり、国道に出たら、日焼けして浅黒い女性が走ってきました。夜行バスで可児市に来て、今晩夜行バスで東京へ戻るという元気な61歳でした。「塩分補給を!」と言いながら走って行きました。
- 国道を外れ、長良川鉄道をくぐると、別天地の山道になりました。ここが中山道最後の土の道で、「うとう峠」につながります。
- 暑さでバッグのベルトが白く塩を吹いています。中山道最暑の日とメモ。
- 加納宿に。宿案内所の看板のある洋服屋さんで安いホテルを紹介してもらいました。岐阜駅はこの近くでした。喫煙室が3800円のホテルに泊まる。
作者:亜郁 制作協力:ひろさん
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