昼食など、旅行なら贅沢なものを食べるでしょうが、仕事で毎日となると、焼き飯 (nasi goreng: ナシゴレン)、焼きそば (mie goreng: ミーゴレン) といったところになります。
焼き鳥 (sate ayam: サテ アヤム) もいいですね。 鶏の肉は固くて歯ごたえがあります。自然の環境で育てられたので引き締まっているといわれると納得してしまいます。
アヤム (ayam: 鶏)
カンプン (kampun:村) は辞書に 「地鶏」 とありましたが、いたるところに放し飼いされているのを見かけます、これを言うのでしょうね。
揚げものでは、鶏が無難ですが、蛙の足もでます。味はあっさりしています。知らずに食べた ”ぐにゃっと” したもの (かきフライの食感) は蛙の腹部といわれ、そこでやめるわけにもいかず、無理してもう一つ食べましたが、その日は腹に何か起こらないか頭から離れませんでした。
日本料理については、誘うと喜んでもらえるのは、ジャカルタのセールス マネジャー クラスあたりで、
地方へでかけると事情が違うようです。
バンドンで皆を日本料理店に誘ったことがあります。喜んでもらうつもりが、何か様子が変なのですね。聞いてみると、これだけのお金を使うのなら、むしろ普段いけない
インドネシア料理の店に連れて行ってくれたほうがありがたいとのこと。
そこで方針を変更。 ”業務目標を達成した月は、皆さんの選んだインドネシア料理店へ。達成しなかった場合は日本料理店に連れて行く。” ということにしました。それ以来日本料理の店に行くことはなくなりました。
さて、さきほどの
アヤム カンプン (地鶏) は別の意味があるようです。
郊外の人里から離れたところに、やや長目の建物が見えてくることがあります。
あれは アヤムカンプン がいるところだと教えてくれますが、養鶏場なのかどうか。
”にやにやしながら” 教えてくれるようなら、ここは、男性に”サービス”をしてくれるところでしょう。
養鶏場なら、派手な着物や敷物は干していないはず。
彼らの楽しみの場所といいますが、冗談なのか、本気なのか、まじめに確認したことはありません。
■イスラム教 そして ラマダン(断食月)
イスラム教との”お付き合い”が始まります。
まずは、ホテルについて部屋の天井を見るとメッカの方向を示す「矢印」が目に入ってきます。この方向に向かってお祈りをするのでしょう。
次に、朝早くから (ホテルの場所にもよりますが、ジャカルタでは遠くから) 地方のホテルでは、いきなり ”頭の上から直撃と言うような” スピーカーからの声で起こされます。コーランの一節でも唱えているのかと思ってしまいますが、礼拝の時間が来たことをモスクの塔上から告げるものだそうです。
さらにラマダーン(太陰暦の第九月)の断食の時期にぶつかります。この時に彼らと出かけると、昼食をとらないので外で待ってくれることが多くなります。”お気の毒” というと、”夜はその分だけご馳走食べたりするので気にするな。” という返事が返ってきます。それなりに楽しんでいる様子です。
そんな時には、こちらもレストランを出たときに、”エナッ(ク) スカリ!(Enak sekali !)” (食事はすごくうまかった。) などとやり返します。少々悪い冗談であったか反省しています。
■お店いろいろ
仕事の関係で多くのパサール(市場)や小売店を回りました。
小売店(業)と言えば、いくつか出来始めていたショッピングセンター (10階以上あり、内側に広場があり、
周りを建物が取り囲むようなもので、日本に持ってきても遜色なし)、 デパート、新興のスーパーマーケット、
パサール(市場)。
トコ (toko) と呼ばれる(独立の)小売店、
カキ リマ (kaki lima) と呼ばれる屋台 (食ものとは別に、日用品を積んだものも多い) などでしょう。
ショッピングセンターやスーパーマーケットは、暑さに慣れているはずの現地の人にとっても冷房はありがたいようで、
買い物よりも涼みにくると、店長さんは苦笑していました
温暖化が進み、日本がインドネシアのように暑くなり、ヤシやバナナがいたるところに生えてきたら、「日本人は勤勉」などといっていられなくなるでしょうね。
トコ は道に面した窓を大きく開けて、商品を並べれば商売になるようです。
路地裏の奥にもあって、向こう三軒両隣でご商売をしているのか?と思うようなお店もあります。
カキ リマ (屋台) は町の裏道まで入り込み、こちらも奮闘しています。
カキ リマ (五本の足) の名前の由来は
カキ が「足/脚」で、
リマ が「5」で、車輪が2つ、引いている人の足が2本、加えて止めたときに傾かないようにつけた 「つっかい棒」 が1本、合計5本からきたとのことです。この商売をバカにしてはいけないようで、子どもに高等教育まで受けさせたという人もいるようです。
(密集した住宅 : ここにカキリマの活動の場があります。)
■どうも納得できないこと
海外では、”違和感”を感じることが多いのは当然ですが・・・。
ひとつは、会食などの「席順」です。おそらくお得意さんと食事をすることになったら、料理をどうするかと共に
席順などに頭を痛めることもあるのではないでしょうか。(駐在事務所などでは、がっちりルールが出来あがっていますが)
地方へ行くと全く無いのです。
準備もあるので当方のものが先に入り、自然に奥のほうに先に占めてしまいます。従って後から来たお客さんは入口近く、残った席につくことになります。これはインドネシア人の役員が言うのですから間違いないようです。
くだらないことですが、ホテルにある日本料理屋で出てくる尾頭付きの魚(焼いたサンマ。ついでに言うと鮮度がよくないが、懲りずに注文してしまう。)が、頭が左か右、背(腹)が手前か
向こう側か、全部で4通りの可能性があるのです。”日本では・・・” と説明しましたが、説得力に迫力がなかったせいか、一向に改まらず。納得できないのはどうも向こうさんのようでした。
■ブンガワンソロ
われわれの年代のかたは、「ブンガワンソロ」 という歌をよくご存知でしょう。
「ブンガワンソロ 涯しなく 清き流れに今日も祈らん 〜」
子どもの頃、ゆったりとしたメロディがラジオから流れてきて、歌ったものです。
松田トシさんの歌は下のサイトで聞くことが出来ます。
(ただし、リンクはさせていません。)
画像にテロップがでますが、間違っているところがありそうです。
[ http://www.youtube.com/watch?v=csZW5RdoGV4 ]
日本ではロマンチックな歌として歌われていますが、元の歌詞は違うようです。
どこかの駐在のかたがそれを調べて、日本人向けのコミュニティ誌で紹介されていたものは、正確には覚えていませんが、
「ソロ川は商人が舟で品物を運ぶのに使われている。
乾季には細く、雨季には太くなる。合流して大きくなり、海に至る。」といった内容のものだそうで、”ロマンス”とは全く
縁が無いようです。
スラバヤのカラオケで歌いました。”受けました!?”
当時、流行っていた日本の歌は五輪真弓さんの『心の友』とのことでした。インドネシアでは知らない人はいないくらいのヒットソングで、男女関係無く歌っているようでしたが、私は聞いたことがありません。 五輪真弓なら『恋人よ』だと言って
歌いたいところでしたが、あの迫力で歌う技量はありませんので諦めました。
■『神鷲(ガルーダ)商人』とデビ夫人
深田祐介著『神鷲(ガルーダ)商人』は駐在員の必読書のようで、かなりのスペースで並んでいました。
デビ夫人(旧名 根本七保子)が根岸直美として登場。小説ですから割引も必要でしょうが、スカルノ大統領と夫人、インドネシアの賠償に群がる商社・メーカーの暗躍、(直木賞 『炎熱商人』 より 話としては)文句なく面白いですね。
(市の図書館で借りることが出来ます。)
デビ夫人は1993年に「写真集」を出し、当地では物議をかもしましたが、これは大変な貴重品で、日本からの”最高の”お土産の一つのようでした。
1冊をばらして皆で分け合ったといった話も聞きました。日本航空も「男性向け週刊誌」を機内に置きましたから、これをお土産にした不届き者もいたようです。
とりとめも無いことばかり、今回はここで終りとさせて頂きます。
インドネシアを終わって、阪神淡路大震災の直後の2月に大阪に転勤。
そして、3月には本社近くの地下鉄の駅でもサリン事件が発生、同じ職場であったものが巻き添えとなったり
(幸い軽くて、暫く後遺症があったが全快)、海外で無理したところの手術をしたなど、”波乱の数年間”でした。