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編集部員のリレー随筆(36)

中山道を歩く(1)

作者:亜郁

 私は今、中山道を歩いています。
2010年の正月の7日までに12日を要して奈良井宿まで到達しています。
以下、何回かに分けて、「中山道」を描こうと思います。
 「五街道」のうち、東海道は1999年に2日×10ヶ月で完歩し、日光街道は5日間で ゴールの神橋に到達しており、甲州街道は2008年の秋から2009年の正月にかけて10日間、日帰りで終点の下諏訪にゴールインしています。
そして、中山道は2009年6月に開始しました。
 中山道の表記については、「中山道」とすると幕府が通達を出しています。
それでは、69次の長い旅を出立することにしましょう。
しかし、書きたいことは一杯あります。断腸の思いで、厳選に厳選を重ねることにします。



(1)日本橋→板橋宿→蕨宿→浦和('09年6月4日、26km)

日本橋
(日本橋)

  • 「板橋」の下は深い石神井川でした。
  • 蕨市立歴史民族資料館に高校時代お世話になった、児玉幸太の『中山道』が。

(2)浦和宿→大宮宿→上尾宿→桶川宿→鴻巣宿(6月10日、25km)

  • 高崎線などの車窓から右に見えるケヤキ並木が中山道です。
  • 武蔵国一宮の大宮氷川神社の亭々とした欅並木を通って、旅の無事を祈願。
  • 二百年祭りの幟が立つ、文化文政期創業の漬物屋「河村屋」で3種の漬物の味比べを。「玉ねぎの漬物」が旨かったです。自分で作りたいと思いました。
  • 「べに花まつり」のポスターの桶川。宿場館で、絶版という長野県内の街道マップなどをコピーしてもらいました。古い家並みが現れ始めました。
  • 「雛人形の町」の幟が立ってた鴻巣。最初は「広田屋」。
桶川宿にて
(桶川宿にて)

(3)鴻巣宿→熊谷宿→深谷宿(6月28日、26km)

  • 利根川を江戸湾から銚子に流れを換えた伊奈兄弟の墓がある勝願寺に。
  • 勢いよく流れてる「武蔵水路」、幅は8、9mも。
  • 元荒川から引いた水路にレンガ造の水門。昭和22年のカスリン台風で「決壊の跡」碑。
元荒川からの分水路
(元荒川からの分水路)
  • 人影もまばらな熊谷駅周辺。小川が多いと思ったら、「県立 川の博物館」。

(4)深谷宿→本庄宿→新町宿→倉賀野宿→高崎宿(7月12日、31km)

  • 東京駅を模したレンガ造の深谷駅。造り酒屋「菊泉」の煙突。深谷ネギ畑。
  • 神流川に架かる橋の両端に文化12年の常夜灯。
  • 日光例幣使街道の分岐点に大きな常夜灯。
深谷駅
 
造り酒屋「菊泉」
(深谷駅)
(造り酒屋「菊泉」)

(5)高崎宿→板鼻宿→安中宿→松井田宿(7月18日、20km)

  • 群馬県内の街道絵巻が道脇に。旧山源漆店は明治15年築。
  • 創業天明7年(1787)の「日本一醤油」。高崎だるま製造所に白ダルマがゴロゴロと。
  • 山の斜面に東邦亜鉛の工場。駐車場に「木暮様」の札。父が生まれたところに近いです。
  • 明治44年築の郡役所。奉行役宅。双体道祖神が現れ始めました。
  • 凸兀とした妙義山も。
  • 和宮が初潮をみたという小休所。女になる前に京都を出立したとは!
松井田宿から見た妙義山
(松井田宿から見た妙義山)

(6)松井田宿→坂本宿→軽井沢宿(7月26日、20km)

  • ”峠の釜飯”の「おぎのや」の先に横川の関所跡。厳しく詮議したか。
  • 「覗き」からは、眼下左手に坂本宿、右に妙義山。
  • ほんに碓氷峠は難所ではありました。遠雷轟き、土砂降りとなりました。傘もさせません。えぐられた道の中央は濁流となりました。

(7)軽井沢宿→沓掛宿→追分宿→小田井→ホテルへ(9月24日、13km)

  • 落葉松の並木道。両側は広い敷地の別荘群。
  • 沓掛時次郎の碑、見つからず。追分宿郷土館は見ごたえあり。「追分節」発祥の地でした。その先『風立ちぬ』の「堀辰雄文学記念館」。
  • 出桁造り縦格子の家が多数残された小田井宿。
  • 岩村田宿の手前で右折。長野新幹線「佐久平」駅近くのホテルに投宿。
堀辰雄文学記念館
 
双体道祖神−望月宿
(堀辰雄文学記念館)
(双体道祖神−望月宿)

(8)小田井宿→岩村田宿→塩名田宿→八幡宿→望月宿→芦田宿→
    長久保宿→和田宿(9月25日、36km)

  • リンゴ園が現れ始め、門構えの立派な古い大きな家が目立つ集落。その先骨董屋の店先に小さな大砲が置いてありましたヨ。
  • その先の千曲川には、穴が開いてる「舟つなぎ石」が見えました。赤い実が生っている生垣は一位の木と。  
  • 天明5年築の旅籠大和屋の2階は連子格子の望月宿。歴史民族資料館も立派。大きな下駄が軒下に下がっていた家。古い看板です。
  • 入った食堂に2mもある「モンゴル狼」の毛皮。旭鷲山と知り合いとか。
  • その先、間の宿「茂田井」は素晴らしい所でした、造り酒屋、白壁の蔵、緩やかな広くない上り道、左脇には澄んだ水が勢いよく流れる用水路。
  • 笠取峠の茶屋のおかみさんから、グッドアイデアをもらいました。宿が2軒しかない和田宿の宿の予約がとれなかったので、2泊3日のこのときの旅では寝袋を買って担いで行ったのです。寺社の軒下を借りようと悲壮な覚悟をしていました。和田宿の手前の長久保宿の旅館に荷を預けて、和田宿まで歩き戻ってきたらいいと。ここは先へは行けないから、戻ればいいという発想!
  • 幸い、長久保宿の古い雰囲気が残る「浜田屋」さんに泊まれることになりました。その日は休業だったのですが、夕食抜きならと。また、両宿場を結ぶバスがあり、和田→長久保→和田(翌日)を利用でき、時間が節約できたのです。
  • 和田宿では、万屋さんの前に焼き鳥の屋台があったので、今夜の宿が取れたことを祝して、焼き鳥と缶ビールで一人乾杯でした。
  • そして、詠んだ句です。

        峠より 宿が難所の 和田宿場


(9)和田宿→下諏訪宿(9月27日、24km)

  • 浜田屋の廊下には袋に入った琴、箱に入った三味線、鉄瓶が乗ってた火鉢がありました。トイレには水の入った容器が吊るされて…。小さなガラス窓は嵌め殺しでした。
  • 宿場時代からあるという和田宿の本亭旅館は何故か、この時間に門が開いていませんでした。
  • 峠に入り、熊が出るとあったので懐中電灯を取り出しました。
  • 力餅を売る「東の茶屋」がありました。建物も老朽化し、主人も老いた。あと何年やっていられるか、と。
  • 和田峠は高校時代、友人とテントを担いで越えていますが、当時の場所は見当たりませんでした。

和田宿の本亭旅館
 
和田峠の下り道
(和田宿の本亭旅館)
(和田峠の下り道)

  • 峠の下りはかなり狭い道。和宮も籠から下りたでしょう。
  • 諏訪大社の御柱祭りの木落とし坂の上を過ぎました。
  • 下諏訪の本陣岩波の受付の「サチ子」さんと再会し、お土産を渡しました。甲州街道のとき、元気でいてください。中山道からここに来ますと言っていたのです。覚えていてくれました。(つづく)



作者:亜郁  制作協力:ひろさん


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