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編集部員のリレー随筆(32)

私の街道歩き(走り)旅

作者:亜郁

若いときから、奥の細道を歩きたい、四国遍路をしたい、と思っていました。
今までに歩いたり走ったりした街道を整理しました。
おかげで、とって置いた48年 前の旅の資料が入った紙袋に、メモ帳が入っているのが分かり、アルバムを作れる ことになりました。ほかにも収穫が…。




1)「奥の細道」を逆行一人旅(北陸路をゆくー芭蕉を慕いてー)
 大学の2年の夏と翌年の春休みに、奥の細道を歩こうと考え、あれこれ思案の末、琵琶湖畔の堅田から金沢まで20日を要して歩いてます。
水ぶくれが出来、彦根城から撤退しています。新保温泉に泊まった翌日、膝までつかる雪の木の芽峠を越しました。

北陸トンネルを建設中の現場に下ってます。

 手帳の最後に、「やはり、我が家が一番いいが、怠惰な気持ちに陥りやすいので、引き締めるために旅は良い」、とありました。 (1961/8/6→8/12 &'62/3/28〜4/9)

賤ヶ岳
(賤ヶ岳)


2)高知の39番延光寺から愛媛の40番観自在寺まで遍路('90/8/8)
 ランニング雑誌で知った、四万十川を5km泳いで下る大会(念のため、浮き輪を腹に巻きました)に出た後、連れて行った高校生の次男と別れ、一人で炎天下、32 〜3キロを歩きました。
観自在寺の本堂に面した宿で息子と落ち合えました。
 高知で入ったスナックの若いママさんとは、その後、自分史「塞翁」を送り、毎月のように返事が来ました。そんな付録もありました。
(アルバム「四国を泳ぎ、漕ぎ、走り、歩き、乗るー大志とともにー」P28、「飲む」を入れるのを忘れてます。別に、詳細な未綴じの4cm厚のアルバムも発見)

四国八十八札所第39番 延光寺
 
四国八十八札所第40番 観自在寺
(四国八十八札所第39番 延光寺)
(四国八十八札所第40番 観自在寺)


3)「四国をラン&ドライブ」('00/4/2〜5/5)
四国八十八札所第1番 霊山寺
(四国八十八札所第1番 霊山寺)


 所属するランニングクラブの20周年記念で四国を走りました。
第1番の霊山寺から10番切幡寺まで、室戸岬の最御崎寺や足摺岬の金剛福寺、最後の第88番大窪寺への急な登りも思いだします。

      傘さして走る酔狂佐田岬


4)「東海道」を2日/月×10ヶ月かけて完歩('99/1〜12))
 完歩した最初の街道は東海道でした。

大磯 城山公園でトイレ休憩
(大磯 城山公園でトイレ休憩)


'98年の暮、当時、東海道を年末から年始にかけて、昨年は京都から、今年は東京からと、走る大会を主宰していたランナーの呼びかけに応じて歩きました。走る大会に参加しているランナーの奥さんなど10人くらいが、夏の暑い時期は避けて、歳末の京都三条大橋にゴールしました。

出迎えの地元のランナーを交え、祝杯をあげてます。このときのアルバムは、厚さ6.5cmのパイプファイルに収まりきれてません。

 その後、ブランクがありましたが、俳人の黛まどかの『サンチャゴ巡礼』を読ん でから、街道歩きに目覚め直したのです。サンチャゴはフランスから入り、スペイ ン南部の西端まで8百数十キロです。その後、壇ふみ、大学の先生の「サンチャゴ 巡礼」の紀行文や歴史、司馬遼太郎の『街道をゆくー南蛮の道ー』などを読んでい ます。南川三次郎さんの写真展にも行き、日経新聞の編集員の話も聞きました。そ んなころから、街道歩きの長期計画を立てました。
  • 70歳:日光街道と甲州街道。
  • 71歳:中山道
  • 72歳:奥の細道
  • 73歳:サンチャゴ巡礼
  • 74歳:四国八十八札所遍路+高野山
  • 75歳:日本歴史街道(伊勢−飛鳥−奈良−京都−大阪−神戸)


    5)日光街道は昨春5日かけて、完歩しました。
     草加に住む兄貴宅に2泊してます。お昼ごろ、なぜか疲れるな、と思ったら、休憩なしでした。休みをとる場所がなかったからでした。

    日光街道のスタートは浅草
     
    千住の古民家
    (日光街道のスタートは浅草)
    (千住の古民家)

    あまり面白い街道ではありません。ゴールは神橋です。奥の細道は日光の手前からスタートです。


    6)甲州街道は日帰りで、10日を要して秋から今春に

    八王子千人同心屋敷跡
     
    大日影トンネル遊歩道にて
    (八王子千人同心屋敷跡)
    (大日影トンネル遊歩道にて 左側が現トンネル)

     2回目の小仏峠では、道を間違えたのではないかと心細い思いをしました。
     「イノシシ」を狙う猟銃のおじさん、その先の「熊出没」の標識にギョッ! 最終日は雪でした。
    永六輔ではないですが、「おんな三人」で、気分の良い大団円となりました。醸造元「眞澄」の売店で、若い女性に注いでもらって試飲。
    下諏訪の本陣のガイドをされていた「さち子さん」とは、中山道経由でまた来ますから、それまで元気でいて下さいよ、と握手。

    帰りの中央線では、小説家の小池真理子似の40代の女性と相席となりました。どちらへと聞くと、裾を少しあげました。粋な返事でした。喪服がチラリ見えました。高尾でバイバイ。


    7)初瀬街道(=日本歴史街道)を一部、歩きました

     3月の下旬、在阪時代によく通っていたスナックから、月末を以って閉店するという案内があり、行きました。
    当時、私のマラソンや作っているアルバム、現自分史「塞翁」の話などしたら、私もと、「常ちゃんと歩く会」を主宰し、毎月店の常連とあちこち歩くようになったのです。
     3月は私のリクエストで長谷寺から桜井まで歩きましたが、この道が伊勢から続く初瀬街道であり、日本歴史街道だったのでした。嬉しかったです。
    「浄妙寺」は「浄明寺」にあり、「初瀬」町は「長谷寺」からもらったようです。コレクションが一つ増えたのでした。


     で、そろそろ中山道を始めようかと考えています。幸い、いいガイドブックも教えてもらい入手しています。     



  • 作者:亜郁  制作協力:ひろさん


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