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新大橋と浮世絵 橋のある人生 1 制作 みだれ橋 |
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隅田川に架かる「新大橋」は、河口の勝鬨橋より数えて七番目の場所に架けられた、元禄6年(1693)以来の歴史ある古い橋である。隅田川では両国橋の次に架けられた橋であることから「新大橋」と呼ばれたと云われている。
この新大橋の歴史は古く、今から300年前の元禄6年(1693)12月7日に架けられた。隅田川では両国橋に続いて3番目に古い橋で、橋長は約197m橋幅は約6mの規模であったと云われている。 俳聖松雄芭蕉は、この新大橋のある付近の深川元町に住んでおり、新大橋の工事に大変に興味を持っていたようである。 工事の際の状況を芭蕉は次のように俳句によんでいる。 「初雪やかけかゝりたる橋の上」 橋が完成して渡り初めの際には次の句がある。 「有りがたやいたゞひて踏はしの雪」 また、新大橋の完成を感謝して次のような句を詠んでいる 「みな出て橋を頂く霜路かな」」 新大橋はその後に何度も破損流出等があり、明治になって西洋式の木橋により架け替えられたが、その後の明治45年(1912)に網橋のトラス橋に架け替えられた。このトラス橋は、その後も補修を実施するなど長い間に亘り使用していたが、昭和52年になって現在の2徑間連続の斜張橋として大変にスマートな橋梁に生まれ変わった。 江戸時代の浮世絵師・歌川広重は安政3年(1856)から6年にかけて「名所江戸百景」を描いた。この江戸百景の一つに、新大橋を「大はしあたけの夕立」として掲載されている。(左下図参照)
後期印象派を代表するオランダ人画家ゴッホは、当時の流行のひとつであった浮世絵に触れて、日本に憧れを抱くようになった。ゴッホが特に影響を受けたとする浮世絵は、歌川広重が描くところの「大はしあたけの夕立」で、ゴッホ自らこの絵の模写をしたことで有名である。(右上図参照)
新大橋は東洋の芸術家の広重とヨーロッパの芸術家ゴッホの両雄により描かれる栄誉を受けるなど、橋は単に川を渡るための道具だけではなく、洋の東西を問わずに多くの人々にロマンの心を与える優美な構造物である。アランの芸術論に書かれていた「力学的にも完成されている構造物は芸術的にも美しいものである。」との言葉が思い出された。 |
制作 みだれ橋
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