関東大震災の鎌倉 その9
―各区の被害状況―
小町
戸数435戸。うち全焼158戸、全壊123戸、半壊109戸で、死者は43名でした。
火災は停車場付近で激しく、そこから雪ノ下にかけて延焼し大火となりました。 一時は停車場も危機に瀕しましたが、本屋は無事でした。 この焼失区域では地震そのものの被害も大きく、焼失直前には旅館1棟が倒壊を免れたのみで、 18名以上が焼死したといいます。 また、鎌倉御用邸(現、市立御成小学校と市役所)付近では周辺一帯の別荘地が焦土と化し、 旅館磯見・小町園などのほか、若宮大路の松並木数十本が焼失しています。
建物の倒壊が激しかったのは若宮大路沿いの東側、妙隆寺(みょうりゅうじ)と宝戒寺付近などで、 小町通り東側と千葉地(ちばち・現、県企業庁水道局周辺)は軽微でした。 若宮大路東側には鎌倉警察署や鎌倉町役場などの大きな建築があり、役場で1名、 鎌倉銀行で4名の死者を出しました。 主な倒壊建物は鎌倉御用邸・鎌倉町役場・鎌倉銀行本店・鎌倉倶楽部(クラブ)、 大巧寺(だいぎょうじ)・宝戒寺・妙隆寺の各本堂、本覚寺分骨堂・庫裡・鐘楼等で、 蛭子神社(ひるこじんじゃ)は半壊、本覚寺本堂・鎌倉警察署は大破しましたが倒壊を免れ、 停車場は軽微でした。 御用邸前通りと小町通りでは各所に亀裂を生じ、東勝寺橋(とうしょうじばし)は墜落し、 夷堂橋(えびすどうばし)は両橋台が決壊して「へ」の字に折れ、二ノ鳥居脇にあった木橋が焼失しました。
さらに、御用邸裏の山林や、宝戒寺裏手にある葛西ヶ谷(かさいがやつ)の小富士山・屏風山なども崩壊し、 景観が大きく変化したといわれます。
『鎌倉震災誌』(昭和5年 鎌倉町役場)の記載内容から
浪川幹夫
鎌倉停車場前の被害状況1(鎌倉市中央図書館蔵)
鎌倉停車場前の被害状況2(鎌倉市中央図書館蔵)
倒壊した鎌倉倶楽部とされる写真(鎌倉市中央図書館蔵)
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